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ボブの旅立ちと「イシューのおじさん」の引退

2020年6月「ボブ」が虹を渡ってお空へ帰って行きました。

Twitterで彼の訃報を知ったときは、会ったことのない猫さんだけれど、その旅立ちが悲しくて悲しくて涙が止まりませんでした。ボブはこの世での役目を終えて旅立っていったのだと思います。たくさんの優しさをありがとう、ボブ。

優しい目をしたボブが表紙のビッグイシューを手に、販売員さんが今日も駅前におられました。でも・・・あれ?いつもとは違う販売員さんだ…。

人見知りの私ですが今聞かないとずっと聞けないような気がして、勇気を出して「あの…いつものおじさんはどうしたんですか?」とうかがったところ、少し年若く見える販売員さんは「引退されたようですよ」と教えて下さいました。

私の最寄り駅を担当されていたのは、長らく同じ年配のおじさんでした。ビッグイシューがホームレスの自立を助ける雑誌だと、私が知らない頃からずっと同じおじさんだったと思います。

ビッグイシューの存在を正しく理解したときから、私はこのおじさんを「イシューのおじさん」と心の中で呼ばせてもらうことにして、おじさんの卒業まで応援しよう!と密かに決めました。

「決めました」なんておこがましい。毎月2回、定期的におじさんから購入させてもらうことにしただけです。手持ちのお金に余裕があったり、友だちが興味を持ちそうな話題の号は数冊まとめて購入することもありましたが、家計がピンチのときや手持ちがないときは「おじさん元気そうだな」とすれ違うだけのこともありました。

2か月ほど前、購入していないバックナンバーにボブが表紙の号があることに気づき、おじさんに「ボブちゃんが表紙のやつが欲しいのですが、ありますか?」と聞いてみました。すると「今は手元にないけど、次号が出るときに仕入れておきます」と言ってくれました。

そして翌月、「おじさん、私のことなんて忘れてるだろうな」と思いながら「あの…バックナンバー欲しいんですが…」とおじさんに声をかけました。するとおじさんは「ああ、猫のやつだね」と、バッグからボブが表紙を飾る1冊を大事そうに取り出して私に手渡してくれました。「おじさん、覚えてくれてた!!」私はおじさんを信用していなかった、自分の人間としての器の小ささを思い知りました。

その時はうまくお礼の気持ちを伝えられなくて、そのうちにきちんと感謝を伝えればいいか…と先延ばしにしてその場を後にしました。次に会ったら…、次にイシューを買うときに…先へ先へと延ばし続けました。私の中でおじさんはいなくならないと何となく思ってしまっていたのです。卒業を応援していたつもりなのに。

それが今日突然おじさんの引退を知り…。まだきちんとお礼の気持ちを伝えていない、どれだけ私が嬉しかったか伝えていない、と後悔の気持ちばかりが募ります。

永遠なんてない。一期一会、その時その時を大事にしないと、ある日突然お礼すら伝えられなくなるんだ。当たり前の事実に打ちのめされている自分がいます。

おじさんにお礼を伝える、ただそれだけの簡単なことをどうして私は先延ばしにしたんだろう、おじさんが忘れていたっていいじゃないか。

おじさんの引退理由は分かりません。年齢的なものなのか、それともおじさんを取り巻く状況が引退してもやっていけるくらい改善したのか。今となっては知るすべもありません。

私の今の正直な気持ちは「寂しい」です。おじさんの状況が改善されたのなら、もう駅前に立たなくてもいいことに嬉しさを覚えてもいいはずなのに、寂しさばかりが募ってきます。

もっと深く関わっていたなら、もっとおじさんに話しかけていたなら、あるいは事前に引退を知ることもできたかもしれない。そんな信頼関係を築いていなかった自分が情けないのです。

おじさんを応援すると決めたはずなのに、人との距離を縮めることを恐れて近づけなかった自分。あれも話したい、これも伝えたい、いつかたくさんイシューを買って応援したい。そんな私の独りよがりの応援は自己満足でしかなかった…。

これは私の人間関係、生き方全般に言えること。

次のチャンスがいつも必ずあるとは限らない。一期一会。一瞬一瞬を大事にすることを、イシューのおじさんは彼の引退をもって私に教えてくれました。

おじさん、ありがとう。伝えられなかった「ありがとう」も上乗せして、本当に本当にありがとう!これからもどうぞお元気で。いつかどこかですれ違えたなら、その時は絶対「ありがとう」って伝えよう。

あなたのお気持ちとコーヒー1杯で半日がんばれます! 私にエッセイを書き続けていくエネルギーをください!