愛する人たち
「この前Sogiって言葉を教えてもらったんだけどね、みんながみんな等しく、何かしらの性的な趣向や恋愛の傾向があることを示す言葉なんだけど。LGBTってこうもっと少数派って感じじゃない?でもそうじゃなくて、みんな何かしらの傾向があって、LGBTもただその中の1つなんだよ、ってやつなの」
近所のビャンビャン麺屋で彼にそんな話をすると、一般男性が苦手としそうな話題なのに至極真面目に聞いてくれ、おまけに彼自身の見解まで話してくれた。
私たちは、歩いて数分もかからない自宅にも手を繋いで帰る。エレベーターの階数がゆっくりと自宅に近付くにつれ、どちらともなく鍵を探し始め、彼が私より先に鍵を見つけた時は、私はエレベーターの開くのボタンを押す。玄関のドアを開けると、お帰りなさいと言うように、飼っている茶トラが尻尾を震わせながら玄関の方へやってきて、お腹を見せて寝転がる。この子に触れていると思う。きっと、愛おしさには際限なんてないんだろう。
sogiの話にしてもだけど、こういう癖のある話題を受け入れて、かつ自分の意見をちゃんと開示できるなんて素敵なことだと伝えると、彼は「俺ってアクティブリスナーなんだって」と言った。
初めて聞いた言葉だったけれど、その分かりやすい横文字はとても端的に彼を表していて、すとんと私の中に落ちてきた。
それから話題は、そんな彼にはどんな仕事が向いているのかに移り変わり、私たちは昼間買ってきたみはしの甘味を食べながら、ネットフリックスで深夜食堂の映画を観た。
彼と暮らしてからまだ3ヶ月も経たないから、どの季節も2人で過ごすのは初めてのもので。
エアコンの送風をつけっぱなしにする際に、網戸をどれくらい開けるのが1番心地良いのかすら、まだ模索している最中である。
私にはほぼ毎週会っている友人がいる。
まるで会話かの様に連日メッセージを交わし合い、2人とも食べることが好きなはずなのに一緒に行くと会話が楽しすぎてそれどころでは無くなり、行った店のことではなく、なにを話したのかばかり覚えている。物言いがハッキリしているのが面白いのか、其々に可愛がってくれているおじさんがいて、そんな歳の離れた「おじさんフレンズ」を紹介し合うのだけれど、一見港区おじさんみたいな会合も、最終的にはただの呑んだくれの集まりみたいになる。おじさんが疲れ果て、会が解散しても、私たち2人は次の場所、例えばカラオケや朝9時までやっている焼き鳥屋で、まだ話す。まだまだまだ、話す。彼女と一緒に過ごして話が尽きたなんて思ったことは、今までに1度もない。
私の日常にあまりにも彼女が登場するから、私の彼も、とてもお世話になっている会社の上司も、家族も、みんな彼女のことを「私の友人」という枠を超えて、よく知っている。
それがどの季節だったのかすら、覚えていない。
メッセージのやり取りを確認するとそれは11月のことで、私たちはその日、早稲田松竹で「Love, Simon」と「Call Me By Your Name」を観た。
映画の後、彼女がタバコを吸い終わるのを待ってから、駅の方へと向かう。もはやいつものコースとなりつつある早稲田松竹からのとんちゃん。その日のとんちゃんにはちゃんと空席があって、私たちは深く悩むこともせずサムギョプサルをオーダーし、あれこれ自身の考えを開示し合った。たまに周りの人に迷惑そうな顔を向けられるくらい、私たちはよく話しよく笑う。
Call Me By Your Nameを観た後、彼女はおんおんと泣いていた。
私は、誰かを本当に好きになれたならそれがどんな終わり方をするにしろ幸せなことだと思っていたから、彼女がそんなにも泣く理由が分からなかった。
彼女と話していると学びが多い。その日1番の学びは、私たちの違いについてで、彼女は人がいるからこそ生きていると思っていて、私はどこまで行っても人は一人だと思って生きているという点だった。彼女は彼女同様に「人と生きる人」である主人公が大切な人を失ったその辛さを思い泣き、私は私なりの哲学のもとで、人生の中で一時でも大切な人と共に生きる事が出来た彼らの奇跡を尊んだ。
Call Me By Your Nameは北イタリアが舞台の美しい映画で、その中では、オリバーとエリオという2人の男性が恋に落ちる。恋に落ちないように、相手に近付かないようにとしながらも、彼らは結局どっぷりと相手を愛おしむ。タイトルにあるように、彼らは自分の名前で相手を呼ぶ。まるで、2人の境目を曖昧にするように。
オリバーは映画の最後、その特別な恋を終わらすことを選ぶ。それは彼の意気地のなさからくる判断なのかもしれないけど、育った環境や生きてきた世界から、どうしても一歩が踏み出せない場合もきっとあるのだろう。
長回しのエンドロール、決定的な区切りとなるような電話の後、さっきまで、受話器越しにオリバーから「オリバー」と呼ばれていたエリオが、母に名を呼ばれるシーンで映画は終わる。「エリオ」と。
いい映画だった。
それはきっと人生に何度もない本物の恋で、彼らは現実味がないくらい美しいカップルだった。もどかしくも抗えないような距離の縮まり方がいじらしく、最終的に駄目になる理由が悲しいけれどリアルだった。
私は映画を観た後に色んな人の考察を見るのが好きなので、今回もいくつかの考察ブログを漁っていた。Call me by your nameの場合は、多くのブログで主演の2人の美しさと、理解のあるエリオの両親が褒め称えられており、父の言葉について触れているものが多かった。
オリバーが北イタリアを去った後で、エリオの父がエリオに向けて言ったのは、こんな言葉だ。
「彼は旅を楽しみ、お前とも友情を築き、特別な絆で結ばれた」
「二人ともお互いの中に優れていることを見いだせた」
「お前は確かな何かを感じた、美しい友情以上のものを感じた」
「息子が冷静になることを祈る親が多いが、私はちがう」
「感情を無視するのはおかしい」
「お前たちが得た経験を、私は昔、自分の気持ちを抑えて、逃してしまった」
「心も体も一度しか手に入れられない」
「今はひたすら悲しくつらいだろうが、痛みを葬るな」
「感じた喜びも忘れるな」
ふと思った。
私は彼女にそんな思いがあるのに、これを「恋」に「しない」のは、何故だろう。
それはわりと決定的で、しかもそれを口にできないのもその気持ちに輪をかける様で、私はこれは誰にも言わないでおこうと、静かに決めた。
彼女が男の人だったらどうなっていたんだろうと思うたびに、図らずもそんなことから、確たる答えとして、私は男の人が好きなんだと知った。
彼女が誰となにをしていてもなんら構わない。恋の相談をされれば一生懸命親身になるし、とにかく彼女にはとびきり幸せになって欲しいと思う。彼とデートを重ねていた時期には、カラオケで歌も歌わずに、彼のことを相談したり、そこから派生して過去の恋愛や、自分たちの人生感について話し合った。私は多くの事を彼女に一緒にやってきたのだ。げらげらと笑いながら。
彼女のことを考えると思うことは、彼女ほど大切な人がいるのか、ってこと。
この気持ちに気付いてから、わたしは何度も何度も、その事実をただ眺めている。
彼に初めて会ったのはクラブのバーカウンターで、一目見て佇まいの綺麗な人だなと思った。
今思えばその時点で彼は私にとって間違いなく特別だけど、見た目しか知らないのに、しかもクラブで話しかけるなんてと思い、その日はただスピーカーに向き合って踊った。でも、自分の気持ちがどこかバーカウンターの彼に向いていることに気付いていた。
次に彼に会ったのは彼女を初めてそのクラブに連れて行った日で、その夜はなぜかやたらとお酒が美味しかった。何度もお酒を作ってもらいにカウンターに行くのは面倒だったし、カウンターの彼にとっても面倒だろうと思ったから、私は彼に、2杯分払うからお酒を多めに入れてもらえる様にお願いした。
不思議とあまり緊張はしなかった。
妙な安心感と自信の上で、お酒を作ってくれる人としてではなく、男の人として、彼にちゃんと話しかけた。
「恋人はいるんですか」
「いないよ」
とても勿体無いことだけど、その日は本当にたくさんお酒を飲んだから、私は彼との始まりの会話をあまり覚えていない。
その日私はタクシーに乗り、珍しく自宅に彼女を連れて帰った。記憶がないからあくまで予想の域だけど、次の日は朝から必ず行かなくてはならない用事があったので、もしかしたら私が寝過ごさない様に、彼女がついて来てくれたのかもしれない。
2人とも狭い1Rの床に寝転がり、私はいかにアンパンマンマーチとゴダイゴのビューティフルネイムの歌詞が素晴らしいかを泣きながら褒め称え、彼女は中学の時に指揮者だったと話し、エアー指揮棒を振りながらインテラパックスを熱唱。いたって平常運転。これが私たちの朝8時である。
東京は猛暑だ。
私は、オリンピック前に、全国民に地震が起きた時の訓練と熱中症患者への対応をレクチャーした方がいいと、本気で思っている。
私と彼は、体をくっつけて寝ると暑いから、頭を起点に体を離して、床に寝転ぶ。
「こうしていると暑くなくていいね」
私は彼の声が好きだ。喋り方も、私への触れ方も。
いつのまにか彼は私の日常に心地よく馴染んで、もう姿形をどう思っていたかなんて、忘れてしまった。私はそれを、本当に素晴らしいことだと思う。
きっとそう遠くないうちに、お酒の好きな彼女が自宅にやってくる。
引越しの手伝いに来てくれた時、この部屋にあるのは段ボールばかりだった。全ての家電を一緒に選び、ビックカメラの店員さんにしこたまおまけとしてボンカレーを貰った日が懐かしい。
いつのまにか暮らしが出来上がったこの部屋を見て、彼女はなんて言うだろう。
暑い夏に飲む冷えた白ワインは、軽やかで心地よくて、私はきっといろんなことを思い出すだろう。
彼は私たちよりずっとお酒に弱いから、同じようなペースでは飲めないだろう。きっと私たちのやかましくてカラフルな散弾銃の様な話を、彼らしくただただ咀嚼しながら聞いてくれるんだと思う。彼女は最近出会った珍しく好ましい男子について、彼に相談するかもしれない。
私は時々、微笑みながら、泣きそうになる。
誰かを本当に好きになることは、それは、絶対に、とても幸せなことだから。
そんなことを思いながら、愛する人たちと、この夏を過ごしている。
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