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ルッキズムが死んでくれない

多様性が謳われる世の中になってきているのに、外見至上主義的な考え方が無くならないのは何故なのか、疑問に思う。

物心ついてから今日まで、20年弱を生きてきて、だいぶ社会や考え方が変わったなと思う。当たり前に笑っていたものが面白くなくなっていたり、当たり前に見れていたものが見れなくなっていたり。私が義務教育を経て大人になる間に、世の中が学んで、変わってきた結果だ。正直、「まだまだだな」と思うところはいくらでもあるけど、日本の長い歴史の中に生きて、彼が学んでいる途中なのだと思えば、それも仕方のないことだと思う。私だって、今の年齢になるまでに何度も間違えて、変化してきた。だから、一度した間違いを繰り返さないでくれたらそれで良い。

本題はそこではなくて、冒頭の一行だ。

「多様性」と「外見至上主義」は共存できないと思っていたのに、どちらもが生き残っている。正確には、外見至上主義が全然死んでくれない。なんか寿命が長過ぎるし、なんなら、年々元気になってきてない?

ブルベイエベ整形埋没美白脱毛出目奥目ナチュラルウェーブストレート垢抜け。うるせえよなと思う。何だって良くないか?「その人がどんな人か」は何となく認められる空気があるのに、「その人がどうするか」があまり認められない。外野からもだし、自分で縛りつけてる人もいる。友達と買い物に行った時に、「可愛いけどイエベだから〜」「ウェーブだから〜」って購入を諦めているのを見ると悲しくなる。

「自分が好きな自分」になるためだけど、その目標って結局「綺麗でなければならない」みたいな考え方から生まれたものだよなと思う。

私だってそういう風に考えることもあるし、悩んでる。だから文字にしてみたけど、しっかり悩んでいることが表れた文章になってしまった。正解が分からないし、正解なんて無いんだろうけど、自分の中の正解は見つけられるように成長していきたい。

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