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星空

「星がまだ残っている」
夜明け前の空に、ぽつりと星が残っていた。
朝の太陽と入れ替わる前に消えていくなかで、最後の星が孤独に輝いていた。
その星を見ながら、私は心の奥深くにしまわれていた幼い日の記憶を静かに思い出しはじめていた。
 
小学校だったあの頃、毎年の夏休み東京から九州に里帰りしていた。
その帰りに、島根の親戚の家を経由して帰るのが毎年のコースで会った。
海の近くの大きな大黒柱がある古民家であった。
小さなカニが走っていたり、蚊にさされないように蚊帳で寝たりした。
トイレは、水栓ではなく汲み取り式である。
庭でつくったスイカで、スイカ割をしてみたりした。
東京暮らしの私たちにとってとても新鮮な毎日であった。
夜は海岸に花火をしにいく。
花火の後、砂浜に寝ころび星空を眺めるのだ。
その時、私の目に映ったのは都会では決して見ることができない圧倒的な星空の美しさだった。
空一面を埋め尽くす無数の星たちは、まるで砂浜のように広がっていた。
オリオン座、カシオペア座など星座を知っていたが、星があまりにも多すぎてどれが星座の星だかわからない。
星々は、きらきらと瞬きながら、夜空におりなす壮大なタペストリーを描いていた。
その光景に、わたしはただただ圧倒され、言葉を失っていた。
海の波の音と星の輝きが、まるで調和しているように感じられた。
それは、まるで宇宙の果てから私に語り掛けてくるような神秘的な美しさだった。
あの時の感動は、時がたっても心の中で色あせることはない。
それは私の中で特別な思い出として、いつまでも生き続けている。
今もなお、忘れられないあの夜の星空は、私の心にふかく刻まれている。
 
都会での生活が長くなると、自然と星を見上げる習慣が薄れて行った。
街の中では、星空を見ることは困難になる。
周りは常に明るいネオンや街灯で照らされ、夜であっても空は決して真っ暗にならない。
街の光は高層ビルに囲まれ、星空を観察することはほとんどなくなっていた。
高層ビルが立ち並ぶ中で、空を見上げても、そのビル群によって視界は大きくさえぎられてしまう。
まるで星々が遠く隔てられた別世界にあるかのようだ。
星の輝きが町の明かりに埋もれてしまい、かつて田舎で見た壮大な星空とは全く異なる。
星空を眺めることのできる場所を見つけることは困難で、日々の忙しさに追われる中で、そうした自然の美しさを感じる時間を持つこと自体がむつかしくなっていた。
夜空を見上げる喜びや、星に思いを馳せるロマンティックな瞬間は、都会の生活の中ではほとんど忘れ去れていた。
 
そんななか沖縄旅行に出かけた。
この沖縄旅行のオプショナルツアーは、夜の動物と夜空を見に行くというものであった。
久しぶりに星空との再開を果たす機会を与えてくれた。
訪れた高台で、ガイドさんに「目を閉じてください」と言われた。
心を整え、車から降りて眺めた夜空は、都会ではみられないほど明るく輝いていた。
それぞれの星が織りなす光の網の目は、静寂の中で優雅にきらめき、見るものを魅了した。
だが、その星空の美しさにもかかわらず、私の心にはある種の物足りなさがのこった。
それは、小学生の時に島根の海岸できた星空と比較してしまうからかもしれない。
あの時見た星空は、ただただ圧倒的で、その光景は今でも私の心に深く刻まれている。
空一面を覆う星々の美しさは、幼い心に強烈な印象を残し、時が経っても色あせることはなかった。
今回の沖縄で見た星空は美しかったが、どこか感動が薄れているように感じた。
これは、大人になったことで、純粋な感動を感じる力を失ってしまったのかもしれない。
子供のころのように、何事にも素直に感動し、心から喜びを感じることができたあの頃とは異なり、大人になるとともに、心が何かによって覆い隠されてしまったかのようだ。
大人になり、仕事と日々の生活の忙しさに追われるうちに、その純粋な心を忘れかけていた。
毎日のルーティーンに縛られ、忙しさに追われる生活の中で、細やかな美しさに気づく余裕がなくなってしまった。
仕事の締め切り、社会的な期待、プライベートのプレッシャー、これらが重なり合い心を狭め感動を感じる余裕がなくなっていた。
かつてのように、自然の小さな美しさに感動し、それに心を震わせることがむつかしくなっていた。
 
けれども、今朝見つけたその一つの星が、私の心に何かを呼び覚ますようだった。
夜明け前の薄暗い空にぽつんと輝いていた。
その星は小さく控えめながらも、周囲の薄明りの中で明るく輝いていた。
この星は、ただそこにあるだけで、何の主張もせず、ただ静かに光を放っている。
その純粋で静かな存在が、長い間忘れされていた私の心の奥深くある何かを呼び覚ました。
私は、この一つの星を見てから、ある決意を固めた。
それは、日常から少し離れて、もう一度星空の美しさを心のそこから感じることだった。
小さな星一つから、私に再び星空の下で時間を過ごすことの大切さを思い出させてくれた。
次の月、たまたま金曜日に休みがとれて3連休になる週末があった。
私はこともの頃に感じた星空の魔法を再び体験するために、島根の海岸へと車を走らせた。
あの記憶深い場所に向かう道中、私の心はわくわくとした期待とどきどきとした不安を行き来した。
かつて星空に心奪われたあの場所、あの時の感動をもう一度味わいたいと願う反面、見ても感動しなかったらどうしようという気持ちだ。
 
到着した島根の海岸は、私の記憶の中にある景色そのままだった。
海の音が鈴鹿に聞こえ、波のリズムが心地よく響いていた。
日が落ちていくと、海一杯に太陽が移り、色が黄色からオレンジ色に変わり始める。
私へ一直線の光の道を示して、海岸線に沈んでいった。
夜が深まるにつれ、星々が一つずつ空に現れ始めた。
空一面に広がる星空の下で、私はゆっくりと時間を過ごした。
星々の輝きは、変わらず、その美しさは時を経ても色あせていなかった。
私の心は、その美しさに感動し、再び震えた。
美しいものに対する感謝、自然の一部として生きる喜び、そして幼いころに感じた無垢な音時と感動を思いださせてくれた。
 
海岸に立ち、星空の下で深い感動に包まれていた私は、長年の忙しさと大人としての責任感の日常に追われる中で、ある誤解をしていたことに気づいた。
それは大人になる事で純粋に感じる力、素直な感動をうしなってしまったという誤解だった。
大人になったからといって感動する力を失ってしまったわけではなく、単にそれを見失っていただけということを教えてくれた。
感動する力は、年齢と共に失われるものではない。
それは常に私たちの中にあり、日々の喧騒や忙しさに隠れているだけなのだ。
私たちは、どんなに忙しくても、美しい瞬間や心を動かす体験に対する感受性を保つことができる。
そのためには、時には立ち止まり、周りの世界をじっくりと観察し、感じる時間を持つことが重要なのだ。
忙しい日常や雑念に惑わされることなく、常に心のどこかにその純粋さを保ち続けることがいかに重要かを、この星空が教えてくれた。
星空の美しさは、時間が経っても変わることはない。
しかし、私たちがそれをどのように感じるかは、心の持ち方によって大きく異なる。
こころを落ち着けて、純粋な感覚で自然の美しさに向き合うとその美しさはより一層際立ってみえるのだ。
 
星一つに、人生を見つめなおすきっかけを見出したあの朝。
それは、私にと手忘れ慣れない、特別な朝となった。

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