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愛想笑いの門にも福来る

社会人になって少しだけ、愛想笑いが上手くなった。

愛想笑いが上手くなったと聞くと、社会の歯車の中で適応されていったようなマイナスのニュアンスに感じられるかもしれないが、むしろ社会が広がった。

社会が広がったといえば、大ごとだが、
より楽しく日々を過ごせるようになった。

昔から、面白くないものを面白いと思えなかった。
みんなが笑ってても、興味がなければ自分だけ真顔だったような気がする。
エンタの神様の一発芸系の芸人で笑った記憶がない。
イロモネアで最後まで笑わない嫌な人がいるが、多分自分だっただろう。
お笑いは好きなくせに、笑おうとはしない。
おまけに、感情が揺れている時ですら、あまり顔に現れないので、何を考えているのかよく分からないと言われる。表情筋を鍛えたい。
大真面目な顔で下ネタを話したりするので奇人に見えるらしい。

そんな無感情サイコパスだった自分だが、
人と関わることが多い仕事柄、流石によくないよなと思い、
社会人になってから場に合わせて笑うことを心がけるようになった。

ヴァイオレットエヴァーガーデンが感情を知っていくのとよく似ている。
絶対流行らないが。

周りが笑う、それに合わせて「ハハッ」と笑ってみる。
ミッキーマウスさながらの笑い方。嫌味な笑い方に見える
笑いの量や質が周りと比べて異質すぎる。
「満点大笑い!」「満点大笑い!」「満点大笑い!」「小笑い」みたいな。
レッドカーペットでやると、一人だけ空気読めてないやんってなるやつ。

次は手を叩いてみた。
何が面白いのかも分からないまま笑っているので、狂気じみている。
だが、笑ったらなんとなく本当に面白いような気がしていた。
作り笑いだったのが本当に笑えてくる。あれ、面白い。

そもそも笑おうとしていなかったから、笑えなかったのでは?
という仮説が浮かび上がる。

よく考えると、思い当たる節が多い。
面白いから見てと言われた動画は初めからハードルが上がってしまい笑えなくなっていたし、昔笑えなかった一発芸もそもそもつまらないものだと決めつけた上で見てしまっていた。
逆にツボにハマって笑いが止まらなかった時なんかは、その事象自体が面白かったということよりも、どこかで笑いのスイッチが入ってしまっているかツボるのであって、別の環境で同じことをしていても全く笑っていなかった可能性も高い。

お笑いの用語で、「会場の空気が重い」「会場が温まっている」という表現がある。空気が重いと何をしてもウケないし、逆に会場が温まっていると何を言ってもウケる。周りの環境にも大きく影響されうる。

結局のところ、実際に面白いかどうかよりも、環境やスタンスによる部分が大きいんだと思う。
どうせなら笑ってしまったほうが楽しい。

そう気づいてから、意識的にしていたことが無意識になり、
笑おうとしなくても自然と笑えるようになった。
今まで面白くなかったことも、純粋に面白いと思えている。

Youtubeに「ですよ。」の動画が流れてきたのでふと覗いてみた。
腹を抱えて笑った。
小学生時代、真顔でみていた自分にとにかく笑えと伝えたい。




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