本当の自分
今日は就活の時にふと思った話です。特に答えもないんですが。
帰国して復学したわけですが、
大学4年ということで就職活動をしていました。
院進など就職以外のキャリアも考えたりはしていたのですが、
とりあえずは働く選択肢がいいんじゃないかということに。
で、将来やりたいこと考え直したり、自己分析を見直したり、性格診断的なの受けてみたり。(旅前と旅後でほとんど変化なかったけど笑)
そして、Wantedlyで会社を探していると、
ここしかないと思える企業に出会い、エントリー。
形式ばった面接というよりは、お互い打ち解けてあっていく面談形式。
良い意味で緊張感がなく、言いたいことを伝えられる雰囲気でした。
企業に入ってから本当に充実して働けるかどうかを一緒に考えてくれてるんだなって感じ。すごくありがたかったです。
選考は進み、数回目の面談。
大学生活で取り組んだことについて話す機会が。
所属していた学生団体の話をしていて、自分の役割を聞かれました。
自分はある団体の執行部として、団体支部のVision/Missionや、中長期的な方針策定、年間のプランニングなどに関わっていました。
で、その業務について色々聞かれたりして、面談の終盤。
自分は
物事を大きく捉え、客観的に分析をすることが得意ではあるが
個人とのコミュニケーションとかが今後問題になってくるのかな
といった思われ方をしていました。(幸い、自分が感じた認識のズレについて話す時間を取ってくださり、お互いの認識を合わせることはできました。)
担っていた役割上、組織の将来について誰よりも考える環境にいたので
より大きく物事を捉えたり、経営的な考え方をすることが多くなります。(どういった環境でもこうした視座を持っていたいとは思います)
ただ行動レベルの話をすると、むしろ個人個人に取るコミュニケーションが得意で、同じ執行部メンバーの中では直感的に意思決定するほう。
一方、以前働いていたインターン先では
どちらかと言うと、分析的に考えたりするタイプと思われていたのかなと。
過去に自分の取っていた立ち位置について考えてみました。
役割や環境が違えば、取りうる行動やキャラも結構変わってたなと。
結局、「本当の自分」「自分らしさ」ってなんなんだろうな。
と、少しよくわからなくなります。
そんなことを考えていると
以前noteでも少し取り上げた、「分人主義」を思い出しました。
全ての間違いの元は、唯一無二の「本当の自分」という神話である。
そこで、こう考えてみよう。たった一つの「本当の自分」など存在しない。裏返していうならば、対人関係ごとに見せる複数の顔が、全て「本当の自分」である。
平野啓一郎『私とは何か』
こうした考え方の視点に立ってみてみると
結局、置かれた状況によって、その人は変わりうるし
一概に〇〇なタイプだ!と考えること自体がナンセンスなのでは?
と、思うようになりました。
例えば、ネットによくある自己診断なんかをしているとき
あなたは〇〇なタイプですか??
「全く思わない~そう思う」の5段階で選んでください。
みたい設問がよく出てきます。
〇〇な状況なら××するし
△△な状況なら□□する
こんなん状況によって変わるやん! とか思いつつも
いろんな状況を想定した上で、一番取り得そうな選択肢を選んでいました。
「自分」が状況によって変わる
そういった前提に立った時
「自分はこういう性格、価値観だ!」って決めつけるよりも
「そもそも変わりうるもので、自分の一面でしかない」
と考える方が、今後の世界が広がるような気がするし、
何が正解で、何が間違いなのかとかは一旦置いておいて、
後者の方が、新しい可能性を感じることができて自分は好きだなと。
とか言いつつも、僕自身、無意識的に自分や相手のタイプを類型化させてしまってることもよくあるので、難しい話ではあるんですが。
ちょっと話題が逸れましたが、
そういった「分人主義」という考え方を踏まえた時
・自分を相手に伝えるのは難しい
・あんまり今の自分に縛られたくはないな
と思ったっていう話でした。
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