受け継がれるベートーベンイズム。1、2、3、ダダダダーン!


ピアノの教則本で有名なカール・チェルニー
ベートーベンの愛弟子の一人

ベートーベンには二人のピアノの弟子がいた
現在もそうであるが、弟子になるというのには色々ないきさつがある

もう一人の弟子フェルナント・リース
ベートーベンと同郷のボン出身で、当時すでにウィーンで活躍していたベートーベンにリースの父親が手紙で入門を嘆願するもベートーベンは躊躇した
これではダメだと思ったリースの父親がボンから片道切符でリース本人をベートーベンの元に行かせたことで仕方なしに弟子となった

押しかけ女房感は否めないが、その後の師弟の絆は固く
面倒見の良いベートーベンは生活面から相当めんどうを見たらしい

チェルにーですら、同郷の訛りで話し合う二人をはじめは親戚だと思っていたというのだから相当なものだろう

さて、チェルニーである

彼は父に連れられベートーベンの元を訪れ、モーツアルトのハ長調のピアノコンチェルトとベートーベンの悲愴ソナタ、チェルニーの父が歌うアデライーデの伴奏を弾いた

この少年には才能があります。私がじきじきに教えたい。弟子にとることにします。週に数回私のところによこしてください。しかし、なにはさておきエマーヌエル・バッハの教科書「クラヴィーアの正しい奏法」を与え、それを次のレッスンのときには必ず持参させるようにしてください

と、ベートーベンがチェルニーの父に言ったと回想している
入門を許可され1800年から1803年の3年間、ベートーベンに学んだ
(とはいえ、ベートーベンは作曲中などの理由でレッスンが中断されることもしょっちゅうだったので、レッスン自体の回数は少ない)

リースとは全く違い、鳴り物入りといったところだが、あくまでチェルニー自身の回想なので多少の誇張はあるだろうと僕は思っている

ベートーベンの元を巣立った後も、ベートーベンの新譜の校正はすべて任され、ベートーベンの養子となった甥のカールのピアノの教師を頼まれたりとベートーベンからの信頼の厚さも伺える
チェルニー自身、ベートーベンが世を去るまで彼は私を友人として遇したと語っている

はじめの数回のレッスンで、ベートーヴェンは私をあらゆる調での音階練習に専念させ、当時の大部分の演奏家にはまだ知られていなかった手や指の唯一の正しいかたち、とりわけ親指の使い方を教えた。
私がこれらの原則の利点をあますところなく理解するようになったのはずっとのちのことである。

というチェルニーの回想がある

ピアノをやっておられる方なら「!?」と思われたかもしれない
僕も思ったのだ

現在、チェルニーは何よりも練習曲の教則本で有名な音楽家である
もしや、練習曲の元ネタはベートーベンなのか!?

たぶん、間違いないだろう
もちろん、そのままパクったということではないにしても
そこには消えることのないベートーベンイズムが受け継がれているのである

ベートーベンは死の直前、「クラヴィーア教則本を一冊書こうと思っていた」と幼なじみのブロイニングに話している

師が果たせなかった夢を受け継いだとも言える

ベートーベンについて、「当時レガート奏法でベートーベンの右に出るものはいなかった」とも語っており、ウィーンで一番のピアニストと言われたベートーベンが今日に至るまでのピアノの基礎を作ったと言える

チェルニーは、自分の才能をピアノ教師に見出し、ピアノ教師として生涯を終える(作曲作品も多く残しているけれど)
貴族だけではなく、市民階級の生徒も多く教えていたことからも、ベートーベンイズムを市民階級に広めた1番の功労者だろう

今もなお教則本として使用され弾かれ続けている練習曲や弟子にフランツ・リストを排出したチェルニー
ピアノ練習曲として多くの人に親しまれている点からいえば、ベートーベンよりも曲が弾かれている言っても過言ではない

ともあれ、現代ピアノ奏法の根幹にもベートーベンの影ありというのがなんとも感慨深い

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