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僕とベートーベンの夏休み

始まりは6月のある日、「ベートーベンとはどういう人なのだろう?」と特にキッカケもなく思った

特定の音楽家にとってベートーベンは避けては通れない偉人であり、ベートーベンの音楽を聴いたことがないということはありえない

もちろん、僕も例外なくベートーベンの音楽は全てではないにしても聴いていたし、何曲かは学生時代に分析もしている
ドイツのベートーベンハウスにも行ったことがある

そういった意味ではベートーベンに関する最低限の知識は持ち合わせるわけだが、人格についてはエピソード程度にしか知らなかった

人格と作品は別なので、人格を知らないからといって作品を理解できないわけではない

音楽というのはそういうものなわけだし

しかし、気になりはじめてしまった
気になると調べずにはいられないという悪い癖が出てしまった
最初は軽い気持ちでネットで検索をしていたのだが、どうもそれだけでは飽き足らず、いつの間にかベートーベンに熱中していた

見境なくネットで資料を注文していたら、びっりするほどのカードの請求がきて、危うくベートーベン貧乏になるところであった

ともあれ、どういう人からああいう作品が生まれてくるのか?

人格、性格的なものや癖、そういったことが作品に影響があるのか?
交響曲の第5番の第一楽章、俗に言う「運命」なんてものは、ベートーベンだからこそ生まれたと言える粘着質でしつこい音楽なわけだが、西洋音楽史において後にも先にもあのような音楽は聴いたことがない

また、何故にクラシック音楽においてお手本的存在なのか

こういった場合、ついつい作品と関連付けて考えてしまいがちなわけだが、そうすると無理やりにでも関連付けて考えてしまうのが人情ってやつなわけで、そうならないように作品には触れず、とにかくベートーベンという人のみにフォーカスし、当時の世界事情やら生活習慣的なものなど、ベートーベンを取り巻く状況や環境も自分なりに調べながら人物像が立体的にイメージできるように自分が納得できるまで調べてみた

結果としてはある程度納得がいった
ここからさらに作品と紐付けしながら踏み込んで行くことはできるだろうが、残念ながらそこまでは興味がわかず
それは研究者にお任せしようというところである

音楽のために生まれ、音楽のために生きた
まさにこの言葉が似合う人のように思う
当時からもその存在はもちろん生き方も稀有であり
音楽だけではなく、音楽家のあり方におけるイメージもこの人から生まれたと言える

ベートーベンのような人は歴史や時代といった条件も重なって出てくる現象のようなものだ

6月から8月までの3ヶ月間、暑さとともにベートーベンのことしか考えていなかった言っても過言ではない

しかし、あの日々が嘘のように今はベートーベンのことはすっかり忘れ、今は全く別のことに熱中している

またいつか、ベートーベンのことが気になる日が来るかもしれないが、来ないかもしれない
また来るかわからぬその日まで、ベートーベンのことはそのまま忘れていよう





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