奥武蔵について語るときに僕の語ること

武甲山について

気持ちのいい冬空が広がった年の瀬、横瀬駅から武甲山の登山口である生川一の鳥居までの道を友人のSと歩いていた。

2日前に結婚式を終えた僕は、2次会の幹事を務めてくれた彼へのお礼でお互い登山を始めたこともあり、武甲山の山頂で豚汁をごちそうすることになっていた。

(失礼な話ではあるが)結婚式はそれほど楽しいとは思えなかった。ただ、妻や両親の嬉しそうな顔を見ているとやって良かったと思えたし、特に両親の喜んだともホッとしたとも思える顔を見たときは、初めてちゃんとした形で親孝行をしているのかもなとも思った。

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この年の夏(正確には梅雨の終わり)、過労のため僕は体調を崩していた。2か月の療養期間を頂いたものの、復帰後も体調はそれほど思わしくなく、平日は無理ない範囲で働き、週末は寝て体力を回復する生活を送っていた。

療養期間中、時間は余るほどあった。この間に僕は色々なことを考えたり、これまでの人生について振り返ったりしていた。そして、体調が上向きになったら自分の体のために有酸素運動をしようと決めていた(この結論に至るまでの過程は長くなるので割愛させてもらう)。

体調が上向きになってきた晩秋から軽いハイキングを始めた。登山道具は山登りが趣味の父親に借りた(山の会のハイキングリーダー!)。そして、タイミングよく中学校からの友人のSが今年の夏に登山を始めていた。

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山行に話を戻そう。

武甲山頂上までの道のりは登山道まで6キロ程度ロードとCT2時間程度の登山道である。山を始めたばかりの僕らにとっては少し長い道のりではあるが、話し上手のS(僕と違い彼は見た目+話術でとにかくモテた)のおかげで楽しく過ごすことが出来た(とはいえ、調理道具や食材を担いでいた僕は、正直自分から言葉を発する余裕はなく、彼の小気味のいい話に相槌を打つことだけで精いっぱいだった)。

頂上について、20分ほどで豚汁が完成した(切ってきた材料を煮込むだけ)。味は問題なかったのだが、誤ったのは食材の量だ。いささか2人で食べるには多すぎた。捨てるわけにもいかず困ったっていたところ、Sが隣のベンチに座っていたおじさんに(50代前半の男性)

「もしよければ食べてもらえませんか?」

と声をかけてくれた(間違いなく僕にはできない行動を抵抗なくさらっとやるところがSのモテる所以である)。おじさんは僕らの心中(状況)を察してくれたのか、抵抗なく豚汁を食べてくれた。

食事中の会話から、下山方面が同じ(浦山口駅方面)ということが分かると、豚汁をごちそうしてくれたお礼に登山口終点の林道に車を止めてあるから、そこまで一緒に下山して西武秩父駅まで送ると申し出てくれた。

林道の終点から浦山口駅までの距離(5キロ)と浦山口から西武秩父までのイマイチなアクセス(運が悪いと30分以上電車を待つ)については、その当時の僕らは知らなかったが、断る理由がなかったので、おじさんの申し出をありがたく了承することにした。

そうと決まると、おじさんは午後から用事があるらしく、そこそこの速いペースで急ぎ足で下った(おじさんの下るスピードは登山初心者の僕らには衝撃的だった)。

当時ギリギリで20代だった僕らには(少しだけ)若気の至りが残っていたのだろう。おじさんのスピードに必死について行ってる風にみられることを悟られないよう、何食わぬ顔でおじさんに(必死に)ついて行った(帰りの電車で「下り速すぎだろ」って会話をして、お互い同じ気持ちだったことに僕らは安堵した)。

下山途中、秩父在住のおじさんは僕らに奥武蔵の山の中でお勧めの山について語ってくれた。山の知識がなさ過ぎて当時の僕らは上手なリアクションが取れなかった、山の会話があまり盛り上がらずに終わった後にSが僕の結婚式が2日前に行われたことについて語りだした(彼は自分のことではなく友人の話をネタに場を盛り上げるのが上手な奴だった)。

その話を聞いた後、おじさんは人生の先輩として僕らに結婚生活のこと
(たしか結婚生活がうまく長く続くコツみたいなもの)と海外に留学中の娘のことを語った。娘のことを語るおじさんからは娘への愛情(当然だけど)、信頼とそれを上回る心配、隠しきれないさみしさなど様々な感情を感じ取ることが出来た(まぁ下りのに必死で内容はさほど覚えていないのだけど)

僕はおじさんの話を聞きながらこれからの自分の人生を思った。もうすぐ20代が終わる。20代は体調が良くなったり悪くなったりの繰り返しだった。

自分の体調が安定しない状態で結婚生活やいつか産まれる(であろう)子供を育てることが出来るのだろうか?そして、おじさんみたいに娘(息子)を想い、自分の両親みたいに子育てを終えることが出来るのだろうか?

そんなことを話したり思ったりしながら、僕らは無事に下山し、西武秩父駅まで送ってもらい、その日の山行は終わった。

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あれから9年がたった。それは僕が伴侶を得てから9年の歳月が流れたとともに僕にとって「山」が趣味となってから9年が経ったということだ。

この登山から3年半後に息子が産まれ、半年前に娘が産まれた。夫婦仲は多少の上下はあるが、なんとか良好な高さを概ね保っている(と僕は思っている)。

今年、僕は9年ぶりに体調を壊し、再び療養する時間をもらい、時間が出来たこともあり、当時と変わらず色々なことに思いを巡らせている。

そんな中、ふと、Sとおじさんとの山行を思い出した。この9年でおじさんは子育てを終えたのだろうか?そして、僕も近い将来、おじさんみたいに自分の子供がある程度育ったのち、子供たちの言動に対して一喜一憂する日が来るのだろうか。そして、その日々の先に子供たちが僕らから巣立つ日が来るのだろうか。

未来のことは分からないけど、子供たちがもう少し大きくなったら家族4人で武甲山に登り、頂上で大量の豚汁を食べたいと思っている。それは誰のためでもなく、自分のためである。

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