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自分の中の弱さ

私の知人、友人を含め世間の人はどのように思っているかわからないが、私はとても弱い人間だと思う。生まれ故郷にUターンして、様々な活動を開始し、いくつかのことは形にし、経済的な成功はともかくとして、社会的に少しばかりの評価も得ることが出来た気がする。起業と呼ぶような大それたものではないにしても、プロジェクトを遂行したり、プライベートでは様々なスポーツ、トレイルランニングや自転車などを楽しんだり、公私にわたり様々な、いわゆる「ひと、こと、もの」を繋いでいる。たぶんこの地域内では「そんな感じ(タイプ?)のひと」として位置づけられているように思う。

そんな僕の周りに付随する情報や記号などをいくつか認識するひとからすれば、基本的には明るく、自己肯定感も高く、アクティブで常にいろいろ挑戦しているように見えるのだろう、たぶん。そしてそうした僕に付随する様々な色合いはその表層によって他者の中で「好き」とか「嫌い」という感情の最初の分類にもつながっているようにも思う。

しかし、実の僕はとても弱い。常に何かが不安である。不安でしょうがない。ひとの気持ちの揺れ動きに敏感で、その動きにいつもびくびくしている。そしてその他者の感情の動き、例えば「好き」とか「嫌い」といったような感情を見たり(のように見えたり、事実がどうであれ)、感じたりしたくない場合はすぐに見て見ぬふりをする。例えそれが現実を直視しなければいけない時であったとしても、時として。だからいつでも誰かの中の自分から、自分が背負うべき何かから「逃げたい」と思っている。その不安定な自分で現実を直視したくないのだ。現実が良くても悪くても。そうさせてしまう理由は本当に他者との関係における些細なもので「嫌われているのでは」「こんなことお願いしたら」と、実際のところ「ぽん」と踏み出してしまえば多くの場合そんな反応は返ってこないのに、どうしても躊躇し放置してしまう。そしてそうした自分を常にどこかで「逃げちゃダメだ」「逃げる必要なんてどこにもない」「大丈夫、大丈夫」と鼓舞しながらも同時に激しく責め続けている。そしてその間で葛藤しているうちにどんどん時間ばかりが流れていってしまう。これまで全くそんなことの繰り返しなのだ。

私は人の気持ちに触れるのが怖い。私は頭のどこかで知っている、誰もそんなこと思ってもいないし、誰も私にそんなに興味などないことを。でも頭ではなく心の中で誰かとの関係性にどこか怯え、いつもその先に進めずにいる。この場から逃げ出したいといつも思っている。消えてなくなりたいと思っている。その日常が誰かの視点からみれば「そんなことはない」もしくは「輝いている(ように見える)」例えそのようなものであったとしても。私はとても弱い人間である。そしてそれは、本当は弱くたって強くたってどうでもいいことなのに、どこかで私をとても苦しめ続けている。

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