もう一つの聖地産田神社(4)ー「まないたさま」と本宮大社の産田社

産田神社も聖地ですが、さらにその奥に「有馬の聖地のハイライト」とも言える場所があります。産田神社を訪ねなかったのを後悔していますが、ここを訪ねなかったことをもっと後悔しています。但しかなり行きにくい場所のようです。有馬町2432付近、池川という集落の先にあり、花窟、産田神社とほぼ一直線。この位置関係は意味深です。花窟からは5kmほど。「まないたさま」とは不思議な名前ですが、正式な名前は「天の真名井(あめのまない)」。それが訛って「まないたさま」。大きな岩の前に鳥居があり、社殿はありません。磐座信仰の祭祀を伝えています。鳥居の奥の岩の裂け目には簡素な木の祭壇があり白い石が敷き詰められています。花窟にも産田神社にも白い石が敷かれていますから清浄な場所ということでしょうね。玉置神社の末社の玉石社にも白石が敷かれています。
祭られているのは水の神。祭神名は不明です。古くから子授けや安産を願い、婦人病の平癒を祈願した場所だそうです。水神は五穀豊穣をもたらす神で、多産を約束する神でもあります。岩がまず目に入りますが、ここで重要なのは「水」。「真名井」は水に付けられた最上級の褒め言葉。横には川があり、小さな滝があります。この川は産田川の源流の一つ。説明板によると、ここは祭祀に先立ってまず水こりを取った場所で、この付近の字を「垢離掻場(こりかきば)」と呼んでいるのはその証拠で、産田神社に関する古い遺跡であろう。ということです。産田神社はここから2km下った場所。産田神社を訪ねられたら、「まないたさま」にも行かれてみては。
なお本宮大社の境外末社に「真名井社」があります。こちらは「井」とあるように「井戸」です。
産田神社には、「崇神天皇の夢で、ここに祀られていた神様を熊野川、音無川、岩田川の合流点にある中洲に移した」という伝承があり、江戸時代までは産田神社と本宮では同じ巫女舞が伝承されていたそうです。三つの川の合流点の中洲とは本宮の旧社地の大斎原ですが、その大斎原の近くに「産田社」があります。
産田神社と本宮大社では離れているように思いますが、新宮経由ですと時間がかかりますが、国道311号線で行くと意外に近いです。私は8月17日の熊野市の花火大会を見に行きました。この花火大会は台風の影響でよく延期されますが、この時は予定通りでした。さて帰りに誘導されたのが311のルートです。その頃はナビもなくて暗い道を迷わないように前を走る車の後ろを必死についていきました。山の中ですが、時々人家の灯りが見えて、こういう奥にも人が住んでいるのだと感心しました。宮井で新宮からの168号線に合流した時は正直ほっとしました。宮井の少し上流に、「御綱掛け神事(3)」で書いています朝廷から献上の錦の幡を乗せた舟が沈んだという相須の地区があります。京都から花窟に向かった人たちも新宮経由ではなく山道を利用したのでしょうね。このことからも、本宮大社と産田神社は古くから交流があったのでしょう。それを示すのが産田社(うぶたしゃ)だといえます。
本宮大社のサイトの「参拝のご案内」に熊野本宮大社→産田社→大斎原とあります。社務所が立てた案内板に、末社産田社 御祭神 伊邪那美命(荒御魂) 例祭日四月十四日 月例祭毎月一日午前九時 とあります。また産守り(うぶまもり)の説明は『八百万の神々を始め、総てを産みだされた産土の神と仰がれる産田社に鎮まります伊弉冉尊の荒御魂の御力を受けられる「産守り」は、熊野本宮大社でお頒ちしております』とあります。
産田社は神社境内ではなく、大斎原の近くにあります。産田社は大斎原には鎮座していなかったので明治の洪水には巻き込まれなかったようです。社の前には御田植え神事が行われる御田があります。産田と書いてどちらも「うぶた」と読みます。本宮大社に行かれたら、311号線で産田神社、花窟まで足を伸ばされてはどうでしょうか。

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