牛鼻神社ー神社の由緒(1)

『熊野山略記』に「牛鼻大明神」と書かれています。なんとなく気になって調べてみました。現在は「牛鼻(うしはな)神社」。すると5000年前に創建された紀州最古の神社とあります。5000年前というと縄文時代です。阿須賀神社や産田神社からは弥生時代の住居跡や土器が出土していて、それでも結構な昔ですが、それよりずっと古い話です。花窟が日本最古の神社と言っていますが、熊野には日本最古の神社が2つもあります。
この神社は三重県南牟婁郡紀宝町(きほうちょう)鮒田(ふなだ)1509番地、字名を右市ヶ鼻(うしがはな)と言います。この場所は速玉大社の対岸、大社と御船島のほぼ中間にあります。『御垂迹縁起』にある「石淵谷」よりも大社に近いです。新宮駅から歩いても30分くらい。三重県道35号(紀宝川瀬線)に面しています。境内はそれほど広くなくて社殿も大きくないそうです。本殿は神明造り。ここも社殿の周りに白い浜石が敷かれています。境内には牛の像がありますが、天神様(菅原道真公)を祀ってはいません。
牛鼻神社は熊野大権現と称していましたが、速玉大社に分社してから牛鼻権現と言い、江戸時代には八幡大菩薩とも言ったようです。ネットで調べた神社の由来を紹介します。
神社境内にある紀宝町教育委員会が立てた案内板によると「牛鼻神社 所在地 三重県南牟婁郡紀宝町右市ヶ鼻 祭神 国魂比女命(クニタマヒメ) 高倉下命(タカクラジ) 大屋島子命(オオヤシマコ) 誉田別命(ホムタワケ) 訶遇突智命(カグツチ) 天児屋根命(アメノコヤネ) 祭日 例祭四月十日  夏祭八月十六日 秋祭十一月三日 由緒 当社の創建は、今を去る五千年と言い伝えられ、紀州地方最古と言われる。江戸時代役牛による耕作が始まった頃より、牛の守り神として、字名にちなんで牛鼻と呼ばれるようになった。また、神武天皇東征の折に牛の鼻を繋いだとも伝えられる。日本記に曰く、景行天皇重ねて南方の悪神を征し給う時、三輪崎荒坂山に軍立ちし給い、御陣を秋津野に召されて日久しく御粮尽きける時に、熊野村の千翁命稲千束奉りて奉救す依って御陣堅固になり悪神共無為に治まる也。天皇御感のあまり千翁命姓を給い穂積と号す。命に三子あり、榎本、鈴木、宇井、日本武尊熊野村に御鎮座の時、大成榎木の元に檀を築き鈴をもって奉迎するに、右の功を称して三子の屋号とするという。故に本社の祭神は熊野三苗はじめ熊野地方一帯の祖神を祀るところ也。」とあります。
『神奈備』のサイトには、由緒として、「社伝によると、崇神天皇六十五年の勧請とされる。往古より現社地に鎮座。熊野大権現と称されていた。江戸時代には八幡大菩薩と呼号した。また新宮の熊野速玉大社の本宮であったと伝える」となっています。
『み熊野ねっと』には、「牛鼻という字名は貴祢谷社から見て、右を右市ヶ鼻(牛鼻)、左を左壱ヶ鼻(大浜)といったことに由来するそうです。古くは熊野大権現牛鼻宮と称しましたが、時の為政者に名称の変更を命じられて熊野牛鼻権現あるいは八幡大菩薩と称しました」とあります。
これらサイトの記述から、牛鼻神社とはどういう神社なのか探ってみましょう。

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