伊豆七不思議ー「大瀬明神の神池」と堂ヶ島の「ゆるぎ橋」

「世界の七不思議」というのがあります。古代ギリシャの歴史家ヘロドトスが7つの驚異的な建物を世界の七不思議と名付けたと言われています。そのほとんどは現存しませんが、エジプトのピラミッドだけは残っています。まさに不思議、ミラクルです。七不思議というのは人々の心を捉えたのか、日本でもたくさんの七不思議があります。かつて「不思議大好き」というキャッチコピーがありましたが、私も「不思議大好き」な一人です。
このブログの「伊豆国の鈴木氏(2)ー本拠地の江梨村について」で、伊豆七不思議の一つ「大瀬(おせ)明神の神池(かみいけ)」について書いています。この池は大瀬神社の境内にあって海のすぐそばにありますが淡水の池です。まさに不思議な話です。大瀬神社は沼津市にあります。沼津市は駿河国でしたが、大瀬神社のある江梨はかつては伊豆国田方郡に属していました。
それでは他の六つの不思議を紹介します。まず最初に熊野と関係のある(これだけでも不思議です)「堂ヶ島のゆるぎ橋」の話です。
奈良時代の天平年間(729ー749)のこと、伊豆国田方郡(たがたのこおり)の堂ヶ島に海賊の一団がおりました。トップは墨丸と言い、紀伊国熊野から来たと伝えられています。墨丸は多くの手下を率いて、沖を通る船を襲ったり、海岸沿いの村々を荒らしていました。当時この付近では税として砂金を都に納めることになっていました。ある年に都に届ける砂金の用意が整ったところをめがけて墨丸たちが襲ってきました。村人は必死に防戦しましたが、その甲斐なしに盗られてしまいました。墨丸たちが引き上げようと村の薬師堂の前の橋を渡り始めると、まるで地震のように激しく揺れ、手下たちは橋の下の川に落ちてしまいました。最後に砂金の入った袋を抱えた墨丸が渡ろうとすると仁王が現れて墨丸をつまみ上げ、薬師如来の前に差し出しました。薬師如来から人の道を説かれた墨丸は改心して、それ以後は薬師堂をお守りしました。この後、薬師堂の前の橋は心の汚れた者が渡ろうとすると揺れる「ゆるぎ橋」と呼ばれるようになりました。月日は流れて薬師堂も橋も今はありませんが、この由来を書いた石碑が残っています。その場所はかなりわかりにくく、国道136号線から天窓洞へ向かう歩道の途中にあるそうです。堂ヶ島は西伊豆の景勝地で、温泉でも有名ですが、堂ヶ島という住所はなくて、賀茂郡西伊豆町(にしいずちょう)仁科(にしな)になります。
堂ヶ島天窓洞(どうがしまてんそうどう)は西伊豆町仁科にある国の天然記念物に指定された海蝕洞です。洞窟内部中央付近の天井に、複数回の陥没や崩落によってできた直径10数メートルの穴が抜け落ちており、洞窟へ入る遊覧船に乗って見上げると、ちょうど屋根に天窓を開けたようになっているため天窓洞の名で呼ばれています。この洞窟には源頼朝の伝説があります。洞窟の西口から入った洞内は暗く、東口に抜ける中間地点付近に北東へ向かう「頼朝穴」または「鎌倉穴」と呼ばれる支洞があります。鎌倉まで続いていると言われていますが、昔、追っ手に追われた頼朝がこの洞窟に隠れた際、
その様子を見ていた蜘蛛が洞窟の入り口に蜘蛛の巣を張ったため追っ手の目をくらませることができ、頼朝は難を逃れることができたということです。
天窓洞へのアクセスですが、伊豆箱根鉄道駿豆線修善寺駅から東海バス松崎行き約70分、又は伊豆急下田駅から東海バス堂ヶ島行き約60分、堂ヶ島バス停下車徒歩1分。


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