ナガスネヒコの本拠地(2)

神武とナガスネヒコの最後の戦いに登場した金鵄(きんし)ですが、戦前には戦に功績のあった人に贈られる勲章の名前にも使われていました。軍国日本の象徴でした。その所縁の地が奈良県の富雄川流域であるとされて神武の顕彰碑が建てられ、近鉄の富雄駅も一時は「鵄邑(とびのむら)」駅となりました。
どうして熊野信仰をテーマとするこのブログに金の鵄(とび)のことを書いているかというと、熊野信仰では八咫烏は神の使いとされていて、神武の道案内をしたとされています。鵄も神武の戦いの最後の場面に登場して神武を助けます。どちらも神武にとっては大切な存在です。八咫烏と、ここに登場する金鵄と関連があるのではないかとも考えています。鵄が登場するのはナガスネヒコの話ですから、もう少しナガスネヒコの伝承を探ってみます。
○金鵄発祥之地ー近鉄けいはんな線の「学研北生駒」駅の北300mに「鵄山(とびやま)」と呼ばれる小山があり、その中に「金鵄発祥之地」の石碑が西向きに立っています。木が茂り荒れた感じだそうですから、時代の流れを感じさせます。
奈良県の生駒市から奈良市にかけての富雄川の流域で神武軍とナガスネヒコの軍が対峙し、神武軍はこの鵄山に陣を置いたとされます。そして戦いになり、その時に鵄が登場します。それを記念した聖蹟顕彰碑はここから南にあります。「学研北生駒」駅は大阪からは「白庭台」の次の駅です。
○夫婦塚(御炊屋姫の墓)ーここは生駒市ではなくて奈良市高樋町(たかひちょう)になりますが、生駒市と境を接していますから、ナガスネヒコの本拠地です。塚とありますが、墳丘はなくて小さな石碑が畦道にあるだけです。ミカシキヤヒメは夫のニギハヤヒに先立たれて未亡人になり、夫は高天原に埋葬されてしまいましたから、夫婦塚と言いますが一人で埋葬されたのでしょう。近鉄富雄駅からバスで高樋上町(たかひかみまち)下車。
○天忍穂耳(アメノオシオミミ)神社ー生駒市上町(かみまち)4712。入り組んだ場所にあり、あまり知られていない神社だそうですが、神武天皇の鵄邑顕彰碑が参道の途中にあるそうです。創建年代は不明。アメノオシオミミはニギハヤヒとニニギの父になりますが、この神社はニギハヤヒが父を祀ったのかもしれません。近鉄学研北生駒駅または白庭台駅から徒歩約20分。
○「長髄彦本拠地」の碑、「鳥見白庭山」の碑ーこの2つの碑は生駒市南田原町(みなみたわらちょう)にあり、お互いにすぐ近くにあります。白庭山の碑は白谷垣内集会所の敷地に立っています。本拠地の碑は池が後ろにあるようです。もとはそれぞれ違う場所にあったそうですが、宅地開発のため、ここに移されたようです。この2つの碑は特定の場所を指しているわけではありませんから、移転しても問題はないということになります。白庭台の宅地開発はかなり大規模だったようです。近鉄では新しい路線を開設したくらいですから。ここは生駒市に合併される前は北倭村白谷で、白庭から白谷に変化したということで、ニギハヤヒが住んだ場所であり、墓もこの地に比定され、新しく開発された住宅地に白庭台の名前が付けられました。『記紀』の伝承が現在と結びついています。奈良県らしいです。



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