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高校国語授業実践講座③現代文の学力向上

 タイトルに揚げた現代文の学力を向上させる方法については、よく人に聞かれながら、短期的に力をつける方法が見つからないところです。それは、現代文という教科の特性によるものです。現代文の授業で目指すところは、日本語による言語運用能力の向上です。それは、週に数コマの現代文の授業だけではなしとげられるものではありません。書き始めから敗北宣言をしているようなものですが、授業だけによる言語運用能力の向上は困難なのです。おそらく、外の教科も似たような事情があるのだろうとは思います。方法、知識の習得の後は各自の演習が必要なのです。

 現代文の授業では読解方法の一つの形を練習するにすぎません。小段落には役割があり、主張が最低一つ盛り込まれていること。論理と説明、例、たとえ、反証などとを区別出来るようになること。小段落間の関係を把握できるようになること、小段落の類似ブロックをまとめることが出来るようになること。その上で、文章全体の論理展開を把握し、結局その文章は何を主張しているかを理解すること。以上のようなことができれば、その文章を読解出来たと言うことが出来るのです。その上で、表現方法の面白さを味わったり、説得方法の展開の手法を味わったりできると、文章を楽しく味わえるようになります。

 現代文の授業では、一つの文章の読解方法を取得することにより、外の文章も味わえるようになることを目指します。すると、外の文章を読んでみなくてはなりません。教科書では無く、外の文章を読んで理解できたとき、初めて読解力の向上が実感できるのです。評論など授業以外では読まないという場合では、言語運用能力のさらなる向上は必要ないかもしれません。必要とされるのは、大学入試の問題を読む場合と、大学に入ってから自分の専門関連の本を読む場合です。理系の分野でも、数式だけではなく、論理的文章を理解する言語運用能力は求められるでしょう。文系の分野ではなおさら必要なことです。大学に進学しなかった場合は、新聞を読む能力、趣味の読書を楽しむ能力、興味を持ったことを少し突っ込んで調べる能力などが求められます。いずれにしても最初に言ったように、主体的に学ぶ姿勢の中で、言語運用能力は必要となってくるのです。

 それでは、どのようにして言語運用能力を向上させていくのか。国語教育のオーソリティーとして有名な大村はまという人物がいます。結局たどり着いたのは、教育読書だったのです。何だそこかと思う人もいるかと思われますが、学習は結局個人において成立するのです。グループ学習や学びの集団による高めあいがあったとしても、習得するのは個人です。個人が正しく読書をすることによって言葉を操る能力を高め、語彙、論理性、言語文化を獲得していく外に方法はないのです。

 私は現代文の授業を受け持っていたとき、単元終了後、同じ著者や違う著者の類似の話題の文章を生徒に与え、問いを解く練習をさせていました。提出などの強制はしなかったので、どれだけの割合で生徒がその文章を読んでいたか分かりませんが、主体的に読もうとするもののみが向上するという考えかたです。ただ、実力試験ごとの現代文問題集宿題提出ということはやっていました。これも、生徒のやり方次第で力の付き方は変わります。生徒もまちまちで、きちんと解いて提出するものから、適当にやって提出するもの、答えを写して提出するもの、提出しないものといろいろでした。結果は入試に表れます。宿題は適当でしたが、自分で必要と思われる本をよく読んで、力を付けようとしている生徒もいました。それはそれで、教員との関係性を壊さなければ好きにやればよいのです。そのようにして人間関係の難しさを乗り越えていく術を習得したりもします。

 読書カードの提出ということもやりました。期間を区切って何冊かの本を読ませ、カードを提出させるのです。宿題にしていましたが、評判も悪く、工夫を要するところでした。そこで、図書館との共催で、読書ラリーコンテストというのをやってみました。一定の期間に本をたくさん読んだ人上位名かを表彰。一応一冊は読むことというのが宿題です。狙いは全員に本を読ませることではなく、たくさん本を読む何人かを育てることです。すると、いつも本を読んでいた一人の男子生徒が大量の読書カードを提出し優勝しました。その生徒はもともとの能力が高く、運動能力も優れていて、素直な生徒でした。素質の差という厳然とした事実があるので、その前で教育は沈黙するのかという話になりますが、守備範囲のなかで、できることをやっていくしかないのです。その生徒は現役で東京大学の理系に合格しました。

 論理的な文章の読解よりも文芸的な文章の読解の方が生徒には難しいようです。これも経験を積むことによってのみ向上させることができるのであって、読まないと力がつかないのです。興味を引く面白い作品を紹介していくことであったり、生の意味を問いかけることであったり、試行錯誤をしながら生徒の読書興味を刺激し、読書体験を積ませることが言語運用能力を高める方法でしょう。

 最後に、私はできるだけ単元の終わりに何かを書かせるようにしました。B4の裏表に600字詰め原稿用紙が印刷してある校章の入った専用用紙を渡し、その単元を閉めるのにふさわしい内容を工夫して書かせるのです。何かを書かせると、あとの処理が大変なのですが、文章を書く経験を積むこともまた言語運用能力を高める上では大切なことなのです。何か書かせたら、できるだけ座席の近い生徒同士で交流させ、一言感想を書かせてもとの生徒に返させます。同じ文章を人はどのように読んで、何を感じたかを知ることは興味深いことであり、新鮮に感じて別の感じ方があることを知るのです。そのことだけでも意義のあることです。その後回収して目を通し、返却するか、生徒に断って破棄するかします。破棄する場合はシュレッダー処理です。提出は一応チェックします。

 現代文の能力を向上させるもっとよい方法があるのかもしれません。新聞を読むだの、コラムを写すだの、読書感想文を書かせるだの様様な試みがなされました。しかし、いずれにせよそれは個人の努力による外はないように思われます。当たり前のことですが、それは自主的に学ぶ姿勢によって始められるのです。

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