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僕はもう古い人間なのか

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今年度の運動会も面白くなかった。コロナ前は、もっとゆとりがあった。リレーの補欠メンバーと先生チームでエキシビジョンを行なったり、代表つなひきがあったり、騎馬戦があったり。お弁当を食べながら、「もう準備にいかなければいけませんね」なんて、同僚との会話も楽しかった。子どもたちだけでなく、先生たちも楽しんでいたように思う。そんなことを知っているものだから、ワクワクもドキドキもなかった。

ゆとりも隙間もないスケジュールで淡々と取り組んだが、子どもたちは楽しんでいた。学級や学年としても、運動会を通して成長につなげるようにしてきた。でも、練習時間の減少と会の縮小が「ゆとり」を奪い、行事のよさというか面白さをなくしてしまっているように思えてならない。どうして、子どもが直接関わるようなところから削減しようとするのか。

また、この3年間の影響は大きい。その学校や地域にあったものが、「有事」ということで消失した。「頃合いをみて戻せばよい」と思っていたが、3年間取り組んできたことはそう簡単に戻せず、いつの間にか、それが「例年通り」になってしまった。

そのことを知っている者と知らない者の差は大きい。コロナ前を知っている者としては、あらゆる行事に「?」が浮かぶのも仕方がない。今回の運動会もそうだった。申し訳ないが、3年目までの先生が主で取り組むのはいかがなものかと思ってしまう。その先生のやり方が悪いとか、力不足とかそういうことではない。圧倒的な経験不足と規制により、「今」が作られてしまっているのだから。



僕はもう古い人間なのか。時代に合わせて変化をしていかなければいけないのか。でも、流行ばかりに目がいく今だからこそ、不易を大切にしたいと思えてならないのだ。

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