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そのピアノには、ずっと風が吹いていた〜紀平凱成ピアノコンサート

音の強さやリズムが、微妙に変化し続けている。
何だろうこの感じ。

と思ったものは、まるで天然の風のようなゆらぎでした。

さわさわ〜から、ふっ・・と止まり、またフェードインしてくる
圧がきたきたー、と思ったら、ふわっと引き潮のように引っ張られる
さっきこっちから吹いてたのに、今あっちから吹いてくる

無意識に展開を予測することや、ひとところに居つこうとすることを投げ捨てれば、自由な風と景色をただ受け取るだけでいい、という心地よさが待っていました。

ご縁があり、紀平凱成(キヒラカイル)さんの奈良県生駒市での公演を聴きにいきました。
東京パラリンピックの式典や24時間テレビでの演奏など、すでに多方面で注目されているそうですが、ごめんなさい、ほとんどテレビを見ないもので存じ上げませんでした。
初めて聴く演奏が生だったのは、とてもラッキー。
音がたくさんあって自由自在に飛び回る演奏は若々しくて、ジャズナンバーや自作曲、耳馴染みの曲の彼流アレンジ、どれも楽しいものでした。

コンサートプログラムの前半4曲目は、ドビュッシーの「月の光」。
いつかこれを弾きたい、と、ピアノを今になって始めたぐらい好きな曲。
そして結構みんな好きらしく、Youtubeにも演奏・アレンジさまざまに溢れていて聴き放題。
そのどれを聴いたとしても、この曲でイメージするのは「月と私」が一対一の情景。
まわりは何もないひらけた大地、または海、または山の上。空気がピーンと冷たくて透明。そんな中で、月から私へ直線的に降ってくる音、のような。

ところがところが、彼のアレンジは全然違って聴こえる。
まず、まわりが賑やかなのだ。草がいっぱい生えている。小動物の気配も潜んでいる。森の木はバリエーションに富んでいる。
そしてそんな動植物たちと「一緒に月を見ている」。空気だって冷たくないし、そしてもちろん、やさしい風が吹いている。
こんな「月の光」もあっていいんだなあ。

買って帰ったアルバム中の、IMAGINE(ジョン・レノン)のアレンジも楽しいものでした。
原曲はその美しさのあまり、聴くたびにメッセージの外側に憂いや切なさを感じてしまうけれど、凱成バージョンはもっとポジティブ。
イメージしてみてよ! だってもっと良くなるんだもの! だからそうなんだってば! カンタンカンタン! ねっ!
そんな感じ。

彼のピアノは、気づかずにかけられている呪縛を、ふいっと無かったことにできるのかもしれない、などと妄想してしまったのでした。

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