見出し画像

ラトゥール『社会的なものを組み直す』をわかるまで読む

第3回  Actor-Network-Theoryについて

Actor Network Theoryについてわかりやすく正確に説明したいとおもってwikiを見ていたら、なんとなく説明に悪意を感じた。またANT 理論をラツゥールとともに提唱したJohn Lawのサイトも20年くらいアップデートがない。そこで、本書が書かれた2005年の状態でANTをどのように説明しているのかをまず見てみたい。なにがANTでないか、というところから始まるのがフランスの学者らしい。

ANTという理論をラトゥールとその仲間が提唱したのは1981年ごろで、1980年代の後半に彼らの理論的な論文が発表される。ここではまだこのあたりの詳細には踏み込まないでおく。一番の肝は分析の対象にActorをおき、Actor同士のインタラクションを研究していくのだが、そのとき、Actorは人間だけではなく、人間ではないものも含むとされた。ただし、人間以外に拡張されたActorは、それ自体に意味が課せられていたり、物理的生物的な特性で記述されるだけではActorではないとされた。人間との相互関係でなにかを生み出す必要があるのである。ラトゥールがそのよい例としてあげているのが分散認知研究の民族誌の傑作といわれているEdwin Hutchings の Cognition in the Wild である。この本はデザイン思考の調査の大傑作であある。人間と道具とか共同して一つの世界、アメリカ海軍の水先案内人が船を無事に接岸させるまでを記述している。人と物がインタラクションをして目的を達成する仕組みであり、これがANTの世界だとラトゥールはいう。最後にANTが現状の社会学的な分析をことごとく否定する点に注目してポストモダンや脱構築の議論と一緒にしてくれるな、と述べる。新しい世界をみるために現状に世界認識を否定破壊しているのであって、大切なのはそのあと再構成 reassemblageすることであり、壊しっぱなしのポストモダン脱構築とは違う、さらには批判社会学とも違う、というわけである。

画像1

人間であるActorと非人間のActorが今までにない関係を結んでいくところにイノベーションが生まれている、というのが科学の実験室などを調査したラトゥール達の発見であり、それを体系化したのがANT理論である。何が起こるのかはわからないので、Actorの動きを追いかけていかなくてはいけないのだ。社会は体系として存在しているわけではなく、人間が他の人間と社会的な関係を結ぶ痕跡としてできあがっていく、というラトゥール達の見方はじつは社会学が始まる時代にデュルケムの主張に強く反対していたタルドという社会学者の研究に始まるという。タルドの話はまた後ほど詳しく行いたいが、ここでは社会が存在しているというデュルケムのかんがえが登場した時に、社会は作られ続けていて存在しているものは痕跡にすぎないという見方がデュルケムと同時代に存在していた、ということを覚えておこう。タルドの主著とラツゥールによるタルドとANT理論の紹介の書籍を紹介しておく。

画像2

画像3


このようにANTを定義すると、次の課題は

1)いかにしてANTを巡る論争をANT理論の展開に上手に活用していくか

2)ANTが自分にかかわる論争を解決していくプロセスをどのように追いかけて痕跡として描いていくか。

3)社会的なるものを社会的事実としてではなくて集合体として組み直す reassemble 効果がある手続きはどのようなものになるのか

となる。注目すべきは英語テキストでつかわれている

deploy render procedure

という言葉の使い方だ。コンピュータやシステムの分野で使われている言葉で、deploy はなにかを効率的に使う、という意味である。render は生成する描くという意味だ。procedure は使うと効果が確認できている手続きという意味になる。こうした動詞で描かれるのがANT理論であり、コンピュータネットワークの理論としても使われていくのが動詞に注目するとよく分かると思う。

さて、ラトゥールはこの本『社会的なものを組み直す』を旅行ガイドブックとして読んでもらいたいという。慣れ親しんだなんてことのない日常生活が、この旅行ガイドをとおしてみると、エキゾチックでわくわくしたものになるので、ゆっくりと旅をしてほしいと述べる。ありふれて日常がわくわくするために「どこを旅すれば良いのか」「何を見れば良いのか」を説明したのがこの本だという。日常世界をみる「方法」とか「方法論」という言葉ではなくて「旅行ガイドブック」と呼びたい。それはこの本が、新しい日常世界の見方をお勧めしているガイドであって、実際に旅をしない人が旅をした気になる豪華な旅行記ではない、ということだ。実際に退屈な日常をわくわくと旅をするためのハウツー本である。この本をガイドブックとしないで、社会的なものを組み直して、様々な社会的な事柄が組み合わさっていった痕跡たどることは難しいだろう、と言いながら、ラトゥールは我々を日常世界へのみたこともない旅へと誘っているのである。その旅については次回から順番にかたっていきたい。

(続く)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?