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ラトゥール『社会的なものを組み直す』をわかるまで読む

第11回

ものをactorとして組み込んだANT理論の続きである。人間のActor同士のネットワークは絶え間なく動き回り、一見するとネットワークの仕組みにみえるものは実は痕跡に過ぎない、というのがANT理論の第一歩である。ここを実体とみると社会的なるものの社会学となり、これが痕跡にすぎないとみると関係性の社会学、つまりANTとなる。ここがわからないとANT理論は先に進まない。ここまでが第1と第2のANT理論理解への障害である。次の障害はactorは人だけではなくてobjectも含む、ということである。人間は身体を介してものと関わり世界を作っていく。この仕組みはギブソンなどのアフォーダンスの心理学者によってかなり研究されている。また分散認知などの民族誌で詳細に記述されてきた。

ラトゥールは次の3冊をもののANT理論の基本としてあげている。こうした民族誌は1970年代後半に登場しつつあったパーソナルコンピュータ(もの)と人間の関係性の結び方を考える基本ともなり、のちにデザイン思考となるあたらしいデザイン手法の基本ともなった。動詞でかんがえるというのもIDEOがデザイン思考の本をだしたときの中心課題であった。このあと、時代はユビキタスをへてIoTとクラウドに入っていくが、ものと環境と人間のあり方の調査方法は同じである。HutchinsとSuchmanの本はすでに紹介したが、Jean Laveの本は初めてである。翻訳がある。

Edwin Hutchins Cognition in the Wild (1996)

Lucy A. Suchman Plans and Situated Actions: The Problem of Human-Machine Communication (1987)

Jean Lave Situated Learning: Legitimate Peripheral Participation (1991)

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人もものもActorとして扱う、というところはいい。だが、ものは人と違って関係性の痕跡をわずかしか残さない。これが前回の議論の結論だ。ANTの記述において、人と物が何かをつくっているときにはものの痕跡は記録できる。「労働者達の一団がレンガの壁をきずいているとき」などであるとラトゥールは言う。だがひとたび壁ができてしまうとそれは壁そのものであって、人のActorとは関係性をつまりネットワークを構成していない。

ANT理論の理解を阻むのはここにある。壁を作るという活動においては人と物つまりは主体と客体の二分法はなりたたないのだが、できてしまうと壁は壁つまりものになり、人と物が共同で活動していた痕跡を理解することは難しくなる。ANTの理論を使う研究者は、人と物がかかわっていたわずかな痕跡を探して記録していかなくてはいけないのだ。そのための方法として上記のような民族誌を記述する能力が求められるのである。

ANT学者が人と物とが共同で活動をおこなっている状況、たとえばレンガの壁を積み上げているときに、作業中のレンガをきちんと取り扱うのは難しい。つまり壁を作っているときにレンガは媒介子なのだが、ひとたび壁ができあがってしまうと、それは中間項となり、レンガの壁以外のなにものでもなくなる。ものが人と関係性をもち壁になるまでの記録、これをラトゥールはscriptと呼ぶが、これを可能にする方法が必要になる。

ここで方法論的な問題を整理しておこう。performativeという話を第1と第2の問題を議論するときにおこなった。話している行為speech act、書いている行為 writing (エクリチュールとよばれる)、やインタラクション(interaction)という行為は行われると消えてしまう。これがperformativeの意味だ。何度でも繰り返されるのでその痕跡を記録(account)することは難しくない。だが、ものと人のインタラクションは一瞬であり継続することはない。痕跡を記録することが難しい。したがって、その一瞬をつかまえて記録することが必要になる。

とはいうものの、人と物が関係性をもつわずかな痕跡を記録するにはどうすればいいのか。グループとしてのactorの活動の調査をおぼえることがANT理論の第1の課題であり、agencyの調査をおぼえることがANT理論の第2の課題であった。第3の課題はactorとしてのものの調査である。どうやるのかについてラトゥールは A list of situations where an object’s activity is made easy visibleのセクションで詳しく説明しているのでみてみたい。英語版では79ページ、翻訳では148ページである。

ラトゥールはこうした記録が比較的易しいのは第1にイノベーションが行われているときだとする。これはなかなかうまい着眼点だと思う。職人の仕事場、技術者の設計室、科学者の実験室を思い出してもらいたい。作業があり、道具があり、素材にあふれている。そこでは人と物がおたがいにactorとして複雑な行動を行っている。ここでラトゥールは非常に上手な表現をする。英語では

Here, they(men and objects) appear fully mixed with other more traditional social agencies. It is only once in place that they disappear from view. This is why the study of innovations and controversies has been one of the first privileged places where objects can be maintained longer as visible, distributed, accounted mediators before becoming invisible, asocial intermediaries.

となる。つまりものをつかってあたらしいもの(innovation)を生み出そうとしている仕事場やアトリエでは物も人も視界から消えてしまう時が一瞬ある。その瞬間がものが媒介子として人間と関わり合って、予想されないことを生み出している時なのだ、というような意味の文章である。この瞬間がすぎると、ものは中間項になってしまう。実際民族誌を記述して、分析をしてIdeationをおこなって、ものをつかってコンセプトをデザインして、できたなという瞬間にいたるまで、つまりinnovationが行われたまでの流れはこの通りであり、デザイン思考でもこのプロセスをしっかりと記録することで新しいコンセプトがプロトタイプになっていくわけであり、この話は非常によくわかる。現象学で世界の中に自分が組み込まれた状態をdisappear from viewと表現する。まさにその状態がものと人の関係性の痕跡を記録できる瞬間なのだ。

ラトゥールが紹介する第2の例はたとえ単なる日常の世界であり、そこに生活する人にとってはあたりまえであっても、その世界に対して距離のある人がそれに遭遇したときに、中間項となってしまったものと人の関わりの姿がふたたび媒介子であった状態を生み出して、関係性の痕跡が記録可能になるという。これは日常性の民族誌の問題を考えるとよくわかる。

調査者は調査対象の世界に出会う。そしてインフォーマントと社会関係を結ぶ。インフォーマントにとっては当然の世界 take for grantedであっても調査者はその世界を知らない。民族誌調査ではなくても、新しい技術習得の状況を考えてもおなじようなものだろう。そこには技能の隔たりがあるからだ。見知らぬ道具、古めかしい道具は調査者にとって媒介子である。使い方のノウハウや習慣が当然のものになって視界から消える disappear from view までは時間がかかる。取扱説明書や組み立て図を読めるまで時間がかかるのだ。ここがものと人間の関係性の痕跡の記録がとれるところとなる。

さらに、このような記録が可能となる第3の事例がある。それは事故が起こったときである。これを現象学ではbreakdownという。Heideggerの現象学で使われる言葉で、我々が日常に使っているもの(道具)に我々は日常生活では注意をはらわない。disappear from viewな状態である。だが、道具がこわれると、その時道具の透明性( "transparency of equipment”)が消えて、ものを意識する。現在リスクのあるものが増えてきており、事故や伝染病や地震で、技術が張り巡らせた仕組みが突然記録可能になるようなことはままある状況にある。

第4の例としては、ひとたびものが我々の視界から消え去ってしまったときに、歴史の資料を掘り起こしてものがactorとして人間と関わっていた状況を再現する方法である。電力、電話、コンピュータチップ、コンピュータネットワークなどの「技術史」は多くの事を教えてくれる。中間項として当然のものとされているこうした技術がかつて媒介子だった時代の記録は多くのことを教えてくれるのである。

最後にラトゥールがあげているのは、フィクションを使って物理的な中間項になってしまったものを人間との結びつきが深い媒介子へと変換する作業だ。

いずれにしても、ANT研究者はものをactorとして記録する努力が必要だ。そうすることによって権力や支配がどのように行われているのかを明らかにすることができるようになるのである。(この項、続く)


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