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ラトゥール『社会的なものを組み直す』をわかるまで読む

第4回
第一の不確定性の発生源(53ページから71ページまで)を読んで見よう。

ANT の調査はすぐに始められる。調査の目的はアクターとアクターとのインタラクションによって残された痕跡の記述、それがネットワーク、であるのだからANTの調査をするときに、大切なことは調査をする集団をきめて調査をするのではなくて、集団の生成を調査するということを理解しておく必要がある。これは必ずと言って良いほど、初学者がまちがえるところで、調査対象やその定義から始めてはいけない。ラトゥールはこれをラテン語のin medias resという言葉を使って説明する。

in medias resと行っても聞き慣れないだろう。例によってWikiをひくと、古典ラテン語で、イン・メディアス・レースと発音する。物事の真ん中へ、という意味で、舞台や物語において、過去の出来事を語ったり、いきなり過去が現在にフラッシュバックしたりする状況だ。有名な例はシェイクスピアのハムレットの冒頭で、劇はハムレットの話であるが、ハムレットの父の死から始まり、その詳細に関しては飛ばして つまりin medias res して、訳すなら出来事の途中にいきなり介入して、物語が始まる。ハムレットとその父親との関係とか父親の話の詳細などを飛ばして本題にはいっているのだ。

この手法は背景の詳細について語ることなく物語を進めていくために用いられていて、ギリシャ時代の詩人のホーマーが使っていたとwikiでは説明されている。ようするに叙事詩を語るときに多用されていた方法だ。我々はこの手法に映画のなかで何度も出会っている。スターウォーズの映画などど、第一作から大きな複雑な物語の「途中」として始まっている。

wikiの言っていることをざくっと紹介したが、物語を語る手法として、途中から始める、というのは伝統ある普通の方法だ。ANTの調査も目の前のアクター同士のインターアクションの記述つまりやりとりの痕跡からはじめればいいのだ。なぜこのことを最初にいうのか? それは、なにかを決める、つまり定義をしないと観察に向かえないというのが、いまの学問で訓練された若い研究者の態度だからだ。ここを変えないと何も始まらない。

ANTをつかった研究をして良いのかどうかわからない不安(uncertainty)の最初がこの問題である。グループに注目するな、グループの組成をみろ、ということが信じられない。この教えはいわゆる社会科学や社会学の入門の本で最初に書いてあることとは全く違う。どの集団を調査するかを最初にきめるのが通常の方法だからだ。きちんとした集団を見つける、という作業が先行する。だが、調査を始めるときに、なにからでもいい、というのがラトゥールの立場だ。

僕は30年近く産業界での人々の行動を民族誌調査をしてきた。この経験からラトゥールの言っていることはよくわかる。新聞というアクターを「読む」つまりはインタラクションを起こすと、そこからいろいろなことが見えてくるし、こちらもなにかかんがえる。これが関係性の痕跡を残すということなのだ。政治記事や音楽などについての文化記事、あるいはコンピュータの使い方みたいな生活欄の記事。そのすべてが緩い痕跡をのこす。ここから出発するべきなのに、どのような集団を調査すべきか、とか偽りの集団ではなくて調査に値する本当の集団はなんであるか、とか調査するのはミクロレベルなのか、メゾレベルなのか、マクロレベルなのかを考える。だが、こんなことは関係ない。始めれば良いのだ。

ANT調査の妨げになるのは、集団が存在しているという思い込みなのだ。統計的な集合を安定して確立した集団とみなす、というのがこの考え方の出発点(つまりはデュルケムの社会認識)にあるというのがラトゥールの主張である。なぜデュルケムなのかは『偶然を飼い慣らす』の第20章、第21章、そして第22章を参考にしてもらいたい。

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さて、議論を進めよう。まずアクター同士のやり取り(ネットワーク)を観察してその痕跡を記録する。すると痕跡があらわれてくる。グループというものが存在していれば、そのなかで物事がおこっていて、何も我々の目に触れることはない。だが我々が痕跡をみることができるということは、アクターが別のアクターとやり取りをおこなっていて、そのブレが記録されるので痕跡がのこるのである。やり取りをおこなうというのもラトゥールはperformという言葉を使っている。この言葉は重要になる。performativeというように使っていく。

痕跡をグループの形を示していないとすると、それは何なのか?が次の問題になる。グループが常に生成されている記録だというのがラトゥールの立場だ。これがperformative な定義ということになる。つまりグループを作り続ける行為(performance)をやめればグループはなくなってしまう。長期的な安定性がグループにあれば、むしろそれは異常なことなのだ。グループをつくるのはグループに備わっている、つまり共有されている特性だと考えるのが社会的なるものの社会学であり、関係性の社会学であるANTでは次のように考える。英文を書いておく。

Social links have to be traced by the circulation of different vehicles which cannot be substituted by one another.

つまり、アクター同士の結合は、(くねくねした道を)動き回っている自動車(actor)、それも他の自動車とはかわることのできない、独自の自動車達がつくりだす巡回行動によって描き出されるものなのだ。

ということになる。ごちゃごちゃした道を全然種類の違う車が行き来する様子が記録されてそこに描かれている痕跡が「社会的結合」つまりはANTすなわちActor-Network-Theoryの姿なのだ。ではこの世界はどのようなものなのか。この説明は次の回に譲りたい。

(続く)


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