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ラトゥール『社会的なものを組み直す』をわかるまで読む

第8回

Actorのactionを引き起こすagencyは複雑であって、それは丹念に解きほぐさなくてはいけない。ラトゥールはこれを実践的形而上学 practical metaphysicsと呼んでいる。これは面倒な作業に思えるかもしれないが、我々が知らない街を旅するときに、決められた道をとおって観光するという限定的なagency(能力と知識)に従う行動actionと、自由に移動してその場その場で旅そのものを楽しむような都市漂流という複数agencyのよって生み出される行動との質の差を考えてみると言い。明らかに後者の方が意味に満ち溢れたものになっているはずだ。

さて、ではこのような複雑なエージェンシーの集合とどのようにつきあっていけばいいのか。ラトゥールは観察から複雑なエージェンシーを見つけていく方法を4つ提示している。

1)agencyの存在はactionの活動報告あるいは痕跡として記述され報告(account)されなくてはならない。これはギアツの解釈学的民族誌あるいはガーフィンケルのエスノメソドロジーでも強調されていることだが、あるアクションが、あるエージェンシーによって別のアクションへの変化していく動きの中にのみ、エージェンシーの存在が説明できるのである。ここに証拠を報告できなくてはいけない。(これはaccountabilityという事である。現在やっていえることが報告可能であるという考え方だ。これは大切な概念だが、この問題には現在論じている5つの問題の5番目で議論する。いまは2番目の問題を議論している。)

2)agencyとfigurationは別物である。これは非常に大事でちょっと難しい表現だ。報告accountはかならず、なんらかのfigurationをもって行われる。この言葉は非常に捉えにくい。意味は形や姿であるが、figureというのは数字の事でもある。統計的数字による表現もfigurationだ。一方姿という意味もfigureにある。民族誌や人類学が報告するのは人々の生活であって、これは人の行動の報告そのものである。統計データをしめされたとして、その
データの周りにどれだけ多様な行動があるのかはわからない。逆に個別のアクターの記述が、社会におけるさまざまなアクターとどう関係しているのかもわからない。抽象的な数字と詳細な記述の間で何が社会でおこっているのかの理解が止まってしまう。ラトゥールはこの両方ともfigurative sociologyであって、社会の研究には使えない、と述べている。このあたりは、僕はよくわかるね。社会の関係性の研究の統計的妥当性をもとめる、という批判がまあ大半なんだけど、一方で、全く個別の事例で押し通そうとする研究も辟易する。

ではANT理論ではどうするか?この問題を解決するために新しい理論的概念アクタン(Acton)を導入する。ラトゥールはactionが一人のactorによってなしえるものではない、ということを説明するためにactonという言葉を使っている。文学では登場人物は自由にさまざまな役割をもって動き回る。なのでその活動を記述するために文学研究者がつかっているactonという概念を社会の分析に借用したのである。関係性の社会学者はactonの行動を選別するのではなく記録(record)し、規律をあてはめるのではなく、叙述(describe)する。

3) 研究者は研究対象の人々による世界制作の活動(world-making activities)に付き合う必要がある。いまある世界をそのまま記述する。グループが形成されていくパフォーマンス(group perfomation)はあたらしいエージェンシーを付け加えるだけではなくて、特定のエージェンシーの排除でもある。こうして生まれてくる世界を記述することがたいせつなのだ。

4) actorは特定のagencyがいかに有効かを自分の行為の理論(theories of action)として示してくる。そしてagencyをmediatorとしてつかうかintermediariesとして使うかの選択がうまれ、それによって結果は全く違ってしまう。どのagencyを選択するか、ではなくて、選択したagencyをmediatorとして扱うか、intermediariesとして扱うか、が問題なのだ。

大分難しくなってきた。actorのactionを観察するときに、その行動をきちんと記録して報告することが大切であるという。そのときに統計的数字(figure)典型的登場人物actor(これもfigure)という二つのfigureに観察したことをまとめ上げてはいけない。agencyはfigurationで説明できることではない。むしろ、actionの背後にある様々なactonであり、それがactorと結びついて様々なことが起きてくる。actonとは文学理論で作られた概念であり、物語の中で様々な活動を行う。物語のエージェンシーは、「魔法の杖、こびと、妖精の内心の思い、二十数匹のドラゴンを退治する騎士」などさまざまなものがあり、それが同じactonを動かす。社会においてもactorをactonと見れば、様々なagencyによって動かされる(action)のであって、特定のagencyがactorの背後にあって、決定的にactionが行われているわけではない、と見ることができるのだ。ここを理解すると、社会のなかで活躍しているactorがどのようにagencyを選んだり排除したりしながら、自分の世界をつくっているかの様を記録して記述することができる。その記述をもとに、どのagencyがmediatorでどのagencyがintermediariesであるかが見えてくる。関係性の社会学にとってはmediatorとしてのagencyが重要になる。すなわち、インプットからアウトプットが予測できないactorのつながりに注目することが大切になるのだ。

次回はmediatorとしてagencyを扱うことができれば、何ができるのか?について議論を展開していきたい。



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