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研究工房 デジタルアカデミズム宣言 1

学問の道に進んで40年になるが、学問においては、複数学会横断コミュニティでの活動がとにかく面白くて、どこかで誰かが自分とおなじような事を考えている。この感覚は40年前にメインフレームコンピュータに学会論文がデータとしておさめられて、お互いがお互いをどのように引用しているかが検索で解るようになったときに実感した。これをCitation Indexといって、たしかロッキード社がサービスをしていて、大学のリサーチライブラリアンに御願いするとコンピュータを操作して論文のリストを作ってくれた。一回の調査が25ドルとか40ドルだったと思う。紙ベースでもCitation Indexは定期的に出版されていて、それをつかって本格的調査ができた。慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)で図書館ならぬメディアセンターを作ったときは、紙の書籍でCitation Indexを購入して書棚いくつかを使って整理した。googleの検索はこのやり方をモデルとしている。それがやがて検索がデジタルに移り、相互パーマリンクで誰が誰を参照しているかわかるようになっている。これをつかって学者の「評価」をするビジネスを思いついた悪いやつがいて、学会論文で相互引用の頻度と採用されている論文の学会ジャーナルのランキングを連携されて、個別の研究者の数値的評価システムをつくった。これで学者の評価と大学の評価が点数化されて、大学ビジネスの流れが大きく変わった。で、学会誌もどれを購入するかみたいなことが結構図書館の予算に関係して時々入れ替えていたが、いつのまにかデジタルライブラリー契約のようになって、大学のネットワークにいると、大学が契約をしていればデジタルライブラリーが使えるので、研究にはこまらなくなった。でこのデジタルライブラリーを学会誌出版をうけおっていた会社が始めてまた大もうけしている。いいのかなあと思うこともある。でもこれが出来るまでは論文の出版も平気で二年とかかかっていて、学問の進歩とリアルタイムではなかった。いまはほぼリアルタイムで公開されていく。

大学のネットワークでgoogle scholarを使うと大学で契約しているデジタルライブラリーからほぼ自在に論文が手に入る。これは便利で、いま大学やめて大学のネットワークときり離れていると、実に不便。今度大学の図書館にいってアカウントをもらおう。

で、これがどのくらい便利かあるいは有用かというと、文献調査だけにアメリカやイギリスのリサーチライブラリーに物理的に行かなくてもよくなった。古文書とかそういったものは別として、ほぼネットで出来る。論文の査読も評価もネットワークで全部出来る。これって実用になったのは10年くらいまえではないかな。

こうなってくると、学問における前哨戦、つまり研究動向を調べて最先端の研究領域をきめて、攻め方を考える、ってのはネットで全部出来る。で、もちろん実際の研究に必要となってくるロボット設計と製作あるいは歴史文書の検討などデータの作成はリアルでないといけないけれど、統計資料をデータとする場合のようなサイバースペースを使ってのデータの収集はリアルがいらないのでネットで出来る。そして研究会を支える勉強会発表会討論はおそらくネット行った方が効果的だと思う。実際の会議とか学会でも少人数でのやり取りが基本にある。その出会いのためだけにリアルな学会に出ることは意味があったのだが、そこももう関係ないね。またそれを口実に「旅行」を出張とよみかえる学会ツーリズムも今後どうなるかね。

著名なそして大事な研究者は結構Youtubeで大事な講演をしている。一昔前は、先端を走っている研究者の肉声を聞くと理解が深まる、ということでワークショップが学会でも開かれていたが、それもネットで行えるようになってきた。もう何でもネットワークで研究が出来る。これは専門的な研究が組織に所属していなくてもできるということで、先端研究の民主化を引き起こす。選ばれた人が選ばれた研究所で出会い、インフォーマルなコミュニケーションをしながら先端の研究を行う、といういままでのやり方があまり意味を持たなくなっていく。当然選ばれた組織に研究費を落とす、ということも実験系以外は意味が無くなく気もする。となると逆に研究イノベーションが起こってくる。つまり研究者間のコミュニケーションが自由になり新しい可能性が出てくる。

学会もいろいろな種類がでてきて、勝手に学会をつくってオープンに活動をして、いつの間にか良質の論文を出版してランクを上げる、みたいなことが起こっている。そして、前述した学問のランキングとデジタルライブラリーをつくって金を稼いだ悪いやつへの批判も強くなってきている。

さて、ここまできて、残るのは善い業績をたたえるセレブなパーティへの参加という名誉つまりオナーの部分で、これは残ると思う。そして、研究者同士のインフォーマルなコミュニケーションだ。これもネットでいま頻繁に行われているが、実際に出会う、ということはいまのところ非常に大切である。このようなときのコミュニケーションは英語で行われている。昔のような流暢な英語話者が会議でヘゲモニーを持つことはなく、第二外国語として英語をつかってコミュニケーションをしても問題はないのだが、圧倒的な研究が英語で出版されて英語で議論される。ここに食い込んでいかないと、学問の面白さが出てこない。圧倒的な量をすばやく処理する必要があるのだ。

ではどうする?というのが今の状況だ。ここ15年は研究者の英語力を高めるのが解決策と言われていたが、いま振り返るとまあ無駄な努力だ。語学の天才はいるが、そうでない研究者が普通だろうし、そうした研究者が非常に良い研究をしている。ここのコミュニケーションバリアをとれば、研究の見晴らしは大きく変わると思う。

僕は英語が出来ないわけではないが、日本語の方がもちろん出来る。この状態でいかにして世界の最前線にたって、英語情報のインプットとアウトプットを最大化できるか、に挑戦してみたいと思っている。DeepLなどもろもろの道具を使っていく予定だ。研究者がワードプロセッサーを獲得して大きく世界がかわったのが35年前である。拙著『物書きがコンピュータに出会うとき』はこのときの物語だ。その次を書く機会が訪れるとはおもってもいなかったが、楽しみでもある。

次回は具体的な作業手順について説明していきたい。



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