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四度目のスペイン(6)レオン

6番目の町はレオンです。これもまた古い町で、旧レオン王国の首都。レオン王国は11世紀の初めにカスティージャ王国に吸収合併されました。

バジャドリッド→レオン

7月29日 土曜日
 9時半過ぎにオテルをチェックアウト。一泊40.91が2泊。それに10%のIVA(消費税)で90ユーロ。インフォで聞いた値段は確か一泊47だったから、ちと安かった。
 10時過ぎにバスターミナル到着。レオン行きのバスは14時15分出発。ざっくり4時間弱の余裕である(笑) その前に10時45分発があったのだが、売り切れだった。ちなみにここからのALSA(バス会社の名前)レオン行きは全席指定。自分の座席は36番。運賃は11.45ユーロ。レオン到着が16時過ぎだが、別にオテル探しには支障がないと楽観している。
 公園の池近くのベンチでポメラ叩いている10時51分。ちと蒸すか。トレドやクエンカは気候が良かった、と改めて思う。バジャドリッドはやや湿気があるのだ。もちろん、モンスーンの夏に比べれば段違いの過ごしやすさだが。

スペインじゃ、どこの公園にも昔ながらの長ベンチがあり、休憩したり、ポメラでメモを取ったりするのに重宝しました。日本ではホームレス対策なのでしょうか、真ん中に仕切りを作ったり、あるいは腰を預けることはできてもちゃんと座れないようにするとか、様々デザインに工夫を凝らして、安息できないようにしています。だったらベンチなど置くな、と思うのですが、公園を規定する法令規則の類に「ベンチを設置すべし」とあるのでしょうか。

 スペインには、数は多くないが乞食が確実にいる。日本のホームレスとは違い、行き交う人々に金銭を乞う、まさに乞食なのだが、それはそれで受け入れられている。少なくとも、邪険にしたり、罵ったりする手合いはいない。
 マドリッド着いて空港からオテルまで乗り継いだ地下鉄の中にも、いきなりいた。「メアジュデ」(私を助けてください)と「接続法のウステ「あなた」に対する命令形」が一回で聴き取れた。無視する人が大半だったが、小銭めぐんでやったおばちゃんがいたから、それなりの実入りになるのだろう。
 後、どこだったかのプラサ・マジョールのテラス席でカフェ飲んでる、いかにもホームレス的な爺がいた。髪がボサボサで、履いてるスニーカーがぶっ壊れているのだ。こういうのも「客」として受け入れる度量があるわけだ。正直、偉いと思う。カトリックの伝統ゆえだろうか。ドイツやスイスだったら、怒鳴りつけて叩き出すか、ポリス呼ぶかもしんない。
 そういうのも含めてスペイン流が気に入ってしまっているのは、赤羽民だから?
 14時15分の定刻にバス出立。乗客は座席の三分の一くらい。例によって村々を渡り歩いていく。眠気覚ましに村名をメモったのを、ミシュラン地図でフィクスして書いておく(省略)。
 無事レオンのバスターミナルに到着。スーツケース受領して、コロコロ引いていく。歩行者専用橋で橋を渡る。川の名はベルネスガ。川渡った先の広場から、斜め右前方にオスタルの看板が見える。「地球の歩き方」に載っている「オレハス」だ。直感的に「ここでいい」と判断して目指す。と、例によってドア鍵かかっててどのベル押しゃいいのか分からない。ウロウロしてたら、ツーリストとおぼしき兄貴が内側から開けてくれた。2階に上がって左手のレセプションへ行く。で、いつものやり取り。トイレ付き35でどうだ?と言われて、御の字で決める。

で、この旅で初めてパラドール(国営高級ホテル)に泊まってやろうか、との野心が芽生えました。「地球の歩き方」によれば、レオンのパラドールは1泊104から199ユーロ。「オレハス」のトイレ付き35ユーロのざっくり4倍ですが、大丈夫、金ならある。カードだってな、と「千と千尋」のお父さん状態で(笑)

 広場に、ごついハーレーが10台以上、いや20台近く並んでいた。日本の暴走族とは違う。かと言って本場アメリカのヘルス・エンジェルス(今もいるのか?)とも違う、全体に年配でリッチな親父おばさん倶楽部的な。
 カテドラル前まで行って、町の地図をゲット。パラドールについて訊くと、こっからじゃ予約は取れない、という。なんちゅうか「次元が違う」感じで。とまれ行ってみようと、つるつる歩いていく。
 あったよ。スゲーのが。サン・マルコス修道院という歴史的建造物をホテルにしたという、超高級感溢れる威風堂々のパラドール様が。
 明日一泊空いてる?と訊くために、パスポートも持ってきていたのだが、レセプションまで入っていく気力が湧かなかった。だって、いくら金持ってるからってって、バミューダパンツに裸足サンダルの「バカボンのパパ」みたいなのが「こにゃにゃちわなのだー」と明るく挨拶してすたすた入っていけるか? 自分はまだそこまでの境地には達していない。
 左方がレストラン、バルで、いかにもおのぼりさん風な連中がセルベッサ飲んだりしてる。一瞬、惹かれたのだが止めにした。そこらへんのバルの倍から3倍するのは目に見えてるし、その値段払って「パラドール気分」を味わうって、アレだよ、香港のペニンシェラホテルで「お茶」するみたいなアホらしさが匂う。田舎モンしかやらねーよ。赤羽民舐めんなよ!(笑)
 で、お散歩継続。床しげな石橋があったので写真を撮る。サン・マルコス橋ですか。これも修道院の附属施設なんですね、へー。川っペリでペタンクやってるおっさんたちがいた。スペインじゃpetancaつうのか。ペタンカね。
 場末っぽい町をちょっと歩いて、まん丸の「インマクラダ(清純無垢)広場」へ。そこのバルでセルベッサとクロケタ(コロッケ)。なぜだか揚げ春巻きも入ってた。1.8ユーロ。ウノチェンタと言われて、チェンタ…チェント(100)?と迷って2ユーロ玉出したら20セント返ってきた。uno ochenta(1、80)のoがunoに食われてんだね。こういうのも場数を踏まなきゃ分かんない。
 ちなみにレオンの不動産賃貸お値段は、ピソ(アパート)で月400~500ユーロだった。安くないが、これってパラドールの三泊分より安いんだよな。

ここまでの旅を振り返るに、宿泊代はかなり安く抑えられています。最初のマドリッドの一泊100ユーロが一番高くて、以下は2泊ずつ、トレド78、クエンカ60、セゴビア70、バジャドリッド90、レオン70。それでもそこそこの贅沢旅行だったようです。どの部屋もトイレ付きだったし。

 交通費は長距離バスだと安い。Ave(新幹線)の半額以下。さらにAve駅は都市から離れていることが多く、市内バスならまだしも、タクシー代が上乗せされるとさらに高くなる。次の目的地はオビエドだが、明日バスターミナルまで行って、明後日のチケットを買ってしまおう。日曜でも最低、券売機は動いているはず。で、足を確保した上で、明日丸一日、レオンのいいとこ探しをしよう。

レオン2日目

7月30日 日曜日
 まずはバスターミナルへ。朝7時半を回ってるのに、人通りがほとんど無い。日曜ということもあるか。でも、全体としてスペインの時計は日本のざっと2時間遅れのように感じる。日本の朝5時がスペインの7時。日本の夜8時がスペインの10時。そう考えると生活時間そのものは大して変わらないようにも思える。
 ALSAの券売機が稼働していたので、明日のオビエド行きのチケットを購入する。9時11時とあったが、9時じゃちと早い。11時にする。…ほぼ満席である。残りが10席も無い。今日の、それも朝方に買いに来て正解だったようだ。8.79ユーロ。
 帰オスタルしたら食堂に兄貴がいたので、もう一泊したい旨告げ、バレ(オーケー)とのことでその場で支払う。35ユーロ。スペイン語上手いと誉められる。セルバンテスで習ったのか、と聞かれて、違うと言ったがその先が続かない。セントロエスパニョルデハポンと言っても、何のことやら分からんだろう。まあ、適当に。
 ちなみに辞書はホントに重宝している。あらゆるところで引いて理解し納得している。それ以前に、通りや広場の名前でも、お店の看板でも、何でも「文字として書かれ、読まれる」のが基本の国なのが有難い。文盲率高い国はマークや「絵」だったりするからな。
 9時過ぎにオスタルを出て、最初にマーケットへ。案の定日曜閉店だった。
 カテドラルへ。9時半の開門を待って入る。英語音声ガイド機付き6ユーロ。ステンドグラスが見事だった。これはトレド以上。「地球の歩き方」によれば「スペインでもっとも美しい」とのこと。これ見るだけでもレオン訪問する価値があると思う。
 サン・イシドロ教会へ。10時半のミサが始まるところで、参加してしまう。それも地元民に混じって。つか地元のお知り合い同士の間に挟まってしまった。でもまあ、ちゃんと立ったり座ったりアーメン言ったりしたし、隣のおばちゃん、爺ちゃんと握手したし、それなりにちゃんと参加したぞ。これが2回目だ。
 ガウディ設計の家を観る。「カサ デ ロス ボティーネス」。悪いが悪趣味としか言いようがない。昭和のラブホとか御茶の水の名曲喫茶にありそうなデザイン。つか、かつての日本人がイメージした「ハイカラ」なんだと思う。「地球の歩き方」には「現在は銀行として使われている」とあったが、博物館になっていた
 後、川沿い公園へ。と、露天商が並んでいて、けっこうな人混みだ。衣類がほとんどだが、サンダルやらアクセやら骨董だか何やら分からんガラクタやら、いろいろ。けっこう長い距離で大規模な露店市。ミラミラミラー(見て見て見て)とか、トドトドシンコ(全部で5)とか、レバハストレス(大負けで3)とか、これなら分かるスペイン語が飛び交っている。売り手はジプシー? アフリカ人もいる。日曜恒例だったら見れて幸運だったかも。露天は1キロ以上に渡って続いていた。
 腹減ったのでレスタウランテに入る。屋号はLleras38。まずはセルベッサ。「本日の定食」で、パエジャとマスのレオン風。さていかなるものか。パエジャは絶対冷凍だと思うが。
 パエジャは冷凍じゃなかった。タパスで出してんだ。よくあるリゾ状パエジャだが、味はまあまあ。サフランならぬターメリックで真っ黄色。マスは丸揚げ。これに餡かけたら中華じゃん!(笑) 小骨もまんま食えた。デザートはプリン。酒はカーニャ、白ビノ2杯。十分じゃんじゃん。勘定は18ユーロ。
 そこらへん一周するも、スーパーはおろか、開いてる店1軒すら見つからない。14時半過ぎに帰オスタルしてシャワー、そしてシエスタ。

以下は旧レオン王国首都のレオンで、辞書から学んだスペイン語です。
realレアルは、英語のリアル。「現実の」という意味ですが、スペイン語では「王の」という意味もあります。サッカーの「レアル・マドリッド」とか。
「王の」の方のrealには「りっぱな」という意味もあります。名詞だと「昔の通貨単位」「本陣」という意味。
「asentar(設置する) el real」で「野営を張る」「定着する」との意味。
もともとが王国で、王さまが、すなわち戦闘民族の長だったという、スペインの歴史が見えるようです。real(現実の)武力を持ってこそのreal(王の)権力であり、それはreal(野営)して敵と戦い、勝利してその地をreal(定着地)とすることよって築かれたものである、と。

 市内散策。ちとレンジを広げて歩いてみる。旧市街には開いてる店は無かろうと思ったので、その周辺の新市街。やっぱ無い。
 ちょっと離れると一般の住宅地で、人通りがほとんど無い。スラムとかそんなヤバイとこじゃなく、単にフツーの町なのだが、壁に逆卍の落書きがしてあったり(これは旧市街もちょっと脇道入るとそう)、乞食の母子がゴミ箱を漁ってたりする。当然、開いてる店もない。
 旧市街に戻り、カテドラル→イシドロを歩く。唯一開いてるのが、安っちいおもちゃとか雑誌とかお菓子とか売ってる店で、フルテリア(果物店)との看板だが、野菜果物は無い。それも数軒。イシドロ近くの1軒で缶ビールとドリトスを買う。2.35ユーロ。高いよ。
 で、20時回ったので、一杯やることにする。さてどこにすべえ、と迷った末、プラサ・コルテス・レオネサスのセルベセリア(ビアハウス)のカウンターへ。ウナカーニャ「生1杯」で、タパスは衣が身の三倍もあるエビフライとハムチーズトーストだった。勘定は1.8ユーロ。こっちのが「店」よかずっと安い。で、一人飯なら、こんなんで十分なんだよな。

バジャドリッドもそうでしたが、レオンに来て気がついたのは町が平たいこと。トレド、クエンカ、セゴビアと、どれも天然の崖を使った城塞都市でした。だから旧市街は坂だらけで狭い。新市街との間には相当な高低差があります。バジャドリッドとレオンは平地に城壁を築いた都市で、ゆえに地続きで新市街が展開しています。

日本の戦国時代の山城と江戸期の平城の違いみたいなもんでしょうか。群雄割拠の時代だと小規模勢力同士の戦いになるので、城の立地が重要。狭くてもいいから、攻められにくいところに築城する。殿様も家来も弊衣粗食でがんばる。
で、淘汰され、少数の大領主や王による寡占支配が安定した偃武の時代となり、領主の支配地域が大きくなると、通商の便のいい平地に都市を築く。城壁作るだけの経済力もあるし。そして防御陣地ではなく、ステイタス誇示のための豪奢な城館を構える、と。

 明日はオビエドへ行く。いよいよカスティージャを離れて、アストゥリアスに入るわけだ。「元祖スペイン」的な感じがあるのだろうか? 楽しみである。

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