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四度目のスペイン(13)マドリッド

13番目の町は、再びのマドリッドです。旅を始めてから、すでに23日が経過しました。スペインに限らず、こんな長旅は初めての体験。毎日毎日、何かしらの「発見」があります。

アビラ→マドリッド

8月10日 木曜日
 窓を開ける。今日も上天気だが寒い。折衷案で、長ズボンとサンダルで行くことにする。
 マドリッドから出発して3週間ちょい、マドリッドに帰還する。何らかの「成長」はあったと思うのだが如何に? 「ロバを旅に出しても馬になって戻っちゃこない」というスペインの格言もあったっけ。ここまで事件も事故もなく、病気もせず、腹調子も万全で来れたというのは、ありがたいこと。無理な旅程を組まず、日々シエスタの昼寝旅だったのが良かったんじゃないかと思ってる。
 10時過ぎに降りていってチェックアウト。50が2泊で100ユーロ。カード支払い。チュレトンもコチニージョアサドもムイビエンでグラシアス、アディオースと別れる。
 スーツケース転がしてサン・ビセンテ門のバス停へ。10時台は3分と24分の2本。しばし待って27分頃到着。運賃1ユーロ。10時40分頃駅到着。掲示確認。1本前の10時59分発でも乗れたが、気にしない。ホームは2番。カフェテリアでカフェコンレチェ1.20ユーロ。
 辞書持ってきて本当に良かった。「旅の会話集」じゃとてもとてもまかなえん。分からん単語は何でも辞書で引く。レスタウランテのメニューから、教会のカトリック用語から、町の看板、ポスターまでも。
 列車は10分ちょい遅延して13時08分にアビラ出立。一路マドリッドへ。窓の外はカスティージャ・イ・レオンの赤い大地だ。繁っているのはオリーブのみ。にしてもアビラは寒かった。ホームで待ってる間も、日なたが有り難かった。かんかん照りの酷暑かと思いきや、オビエドやサンティアゴ・デ・コンポステーラじゃ雨。アビラじゃ寒さ。夏のスペインもさまざまである。
 オリーブだけじゃない。牛もいる。山の斜面に植えられたオリーブ畑の間を、未舗装の農道が通っている。農作業はけっこう大変そうだ。
 と、馬もいた。町を通過。
 鹿もいた! 見事な枝角の雄鹿がオリーブの間を歩いてた。よく見ると牝鹿仔鹿もいるようだ。でも、ここだけ。公園だったのかもしれない。
 で、今14時57分。マドリッドのグラン・ビアのマクド5階のオテル・ヘレス507号室である。55ユーロでカード支払い済み。メールチェックしたが、ゴンサロからの返事は来ていない。バカンスでどっか行ってんのかな? 今電話したけど通じない。自宅電話しても出ないし、オテル電話したが、予約受付で、よく分からんようである。
 スパっとあきらめて、グラン・ピア近場の別オテル予約するか。とまれ、歩こう。プラサ・マジョールのインフォまで行って、プラノ貰ってこよう。
 まずはインフォへ。ここで「日本語担当」のセニョリータ登場。ペルー生まれの鈴鹿育ちだそうな。プラノ貰ってオテル紹介して貰う。
 で、そのオテルを回ったのだが、どこも高過ぎ。1泊180の2泊で360ユーロとかおっしゃる。日本人金持ちと見て、高級なとこを中心に紹介してくれたんかねえ。
 プラノ頼りにあちこち歩き回ってみるが、イマイチピンとこない。結局、アトーチャのオテル・カタロニアへ。ところがフロントのねいちゃんに聞いたら「満室」との、まさかの回答。
 隣りのトリップアトーチャで取れた。2泊で155.80ユーロ。これならリーズナブル。
 それからメトロでラス・ベンタスへ。土曜の闘牛のチケットを取る。と、ケータイに着信記録あり。ゴンサロからだ。ソルで地上に出て電話。21時に終業後、軽く飲む約束をする。
 21時きっかりにオテル・カタロニアの前に。ちと遅れてゴンサロ来た。友達一人連れてきてくれたのはありがたい。男二人でご歓談、というのはしんどいからな。最初に、今日は全部自分が払う、と宣言。で、行ったのが例の「ラ ムサ デ エスプロンセダ」。三人でピンチョス1個ずつと飲み物3杯ずつ。24.60ユーロ。
 0時過ぎ、窓を閉める。そもそも静か。外側のグランピア交差点はまだまだ相当な喧騒だろうに、「内側」であるのと5階(日本の6階)であるので、静謐が保たれているのであろう。

マドリッド2日目

 8月11日 金曜日
 11時前にオテルをチェックアウト。スーツケースとリュックを預かってもらう。外に出て歩き出す。肌寒い。気温が17度とあった。マドリッドも朝は寒いんだ。
 プラノ頼りに歩いて行き、ティッセン・ボルミネッサ美術館に入る。特別展「ルネサンスなんちゃら」併せて12ユーロ。特別展から観る。なるほどルネサンス。逸品揃いであるな、と知った風なことを書いておく。続いて2階を観る。素晴らしい。特に面白かった祭壇画を写真に撮っておく。キリスト磔刑の様々なシーンをてんこ盛りに盛り込んだものなのだが、キャラ一人一人の表情がとてつもなく豊か。すべて現実のモデルがいるのではないかと思う。画面の一番上に小さくユダが首吊ってるのが妙におかしい。1階すっ飛ばして地階へ。前回見逃していたダリ、マグリッド、エルンスト等を観る。ダリ、マグリッドは現物を見ると「こんなんか」と、ちとがっかり。ダリはハッタリ親父であると再認識する。

外国では、その国の飯を食うのが基本で、日本食や中華には転ばないのが、自分のポリシーなのですが、20日以上も旅を続けてると、気持ちもくじけそうになります。
で、前日に見かけたエチェガライ通りのラーメン屋に行きたくなって、足を向けたのですが、昼営業していません。一度くじけた人間は弱いもので、ふと目についた中華屋に入ってしまいました。
ここはしかしひどい店で、飯もサービスも「スペインの標準」を遥かに下回っていました。中国人含めて、お上りさんだらけのマドリッドだから、一見客を食い物にしてやっていける店で、他の町ならとっくに潰れてるでしょう。
こんな店にクレカを渡すの怖いので、現金で支払いました。

 グランビアまで歩き、オテル・ヘレスで預け荷物を受領。メトロ4号線で3駅のアントン・マルティンへ。アトーチャ通り出口から上ったら、トリップ目の前だった。無事チェックイン。
 飯ったが、高いよ。バルのカウンターでカーニャとトルティージャのピンチョスで5.75ユーロ。田舎ならせいぜい3なのに。スーペルメルカド「Dia」があったので買い出し。部屋で飲み直している16時30分。
 嫁さんからメールで香港着いたとのこと。

プロ無職となった自分とは違い、嫁さんはしっかり会社員。夏休みをとってのスペイン訪問です。翌日、バラハス空港に迎えにいくダンドリを確認します。

で、再度エチェガライ通りのラーメン屋「イチロー」へ。餃子6.60、鶏そば12.00、セルベッサ3.00、赤ビノ3.40。計25.00ユーロという鬼高さ。でも味はちゃんとしてて、日本で出してもまんま通用するレベル。カマレラに「エルへフェエスハポネス?」(ボスは日本人?)と訊いたら、そうだが今店にはいない、とのこと。値段はしょうがないでしょう。日本の「スペインバル」がスペインの倍値段でしかも美味しくないのと一緒で。

マドリッド3日目

 8月12日 土曜日
 7時前に早め朝食。トマト1個丸食い。ケソボカディージョ。水道水。…しっかし毎朝トマト食ってんな。今読み返したら、8月入ってからはほぼ毎日。1日だけリンゴに変わってる。
 バラハス空港へ。10時半過ぎにやうやつと嫁さん出てきた。久びさに日本語話す。メトロ乗り継いでオテルへ。部屋に落ち着いて、二人で出立。
 ソルからグランビア、それにあちこち歩き、ヘロニモ通りからプリンシペ通りに入ったの「ラ・マルミータ」なるレスタウランテに入る。メヌエルディア(日替わり定食)で、ガスパチョ、パエジャに鶏肉の焼いたん、鶏肉を細く切って焼いたんを注文。酒は嫁さんティントベラーノ、自分はカーニャ、追加で白ビノ、カフェソロとカフェ・コン・レチェ。勘定はメヌ12.90×2、ビノ2.80の28.60ユーロ。
 後、嫁さんが目ざとく見つけたワインバー?に入る。ヘレス(シェリー)店だった。立ち飲みでオロロッソ2杯4.40ユーロ。つまみは無料のオリーブ。旨かった。こういう店を嗅ぎ出す力は自分には無いもの。
 帰オテルして15時過ぎ。シエスタ。
 19時にゴンサロと待ち合わせて、おなじみ「エスプロンセダ」へ。ゴンサロはティントベラーノ、嫁さんと自分カーニャ2杯で、パドロンシシトウ。楽しくご歓談。20時にお開き。勘定は全額嫁さん支払い。「ソモスマジョレス」(我々が年上)だから。ソルまで歩いてお別れ。自分と嫁さんはラスベンタスへ。

これが4回目の闘牛観戦でした。21時に開始。と、その前に20人ほどがわらわらと観客席からアレーナ(闘牛エリア)に侵入し、ジャケットを脱いで、揃いのTシャツで円陣を組む。反闘牛のデモンストレーションでした。よくあることらしくて、客席から多少のブーイングがあった程度。特に騒ぎにもならず、警備員に誘導されて、すなおに退場。
今回はノビジャダスと言う、新人闘牛士の試合なので、闘牛士も闘牛も、あまりレベルが高くありません。その分チケットが安いわけです。
6頭目の闘牛がやる気ゼロなので、首にベルをつけた去勢牛たちに誘導されて退場するなど、今まで見たことのなかった展開もありました。

さて、翌日からは嫁さんと2人でのクルマ旅です。めざすはアンダルシア。

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