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四度目のスペイン(7)オビエド

7番目の町はオビエド。スペイン北部のアストゥリアス州の州都です。ムスリムがイベリア半島のほぼ全域を支配していた8世紀にカトリックの「最後の砦」的な小王国として踏ん張り、それがやがてレコンキスタへと発展していきました。マドリッドのホテルマン、ゴンサロ君の出身地でもあります。

レオン→オビエド

手持ちのユーロが乏しくなったので、月曜になったところで、銀行へ行って、円を両替することに。ところが、これがけっこうなめんどくささでした。

 7月31日 月曜日
 帰オスタルして9時半。何とか5万円を361.84ユーロに両替できたが、大変だった。
 開いてる銀行に片っ端から入ってみたが、「両替やってない」「やってるが円はダメ」「現金扱ってない」など。
 最後にプラサ・サント・ドミンゴのサンタンデール銀行で訊いたら、案内のおっちゃんが調べてくれて「何とかできそうだ」と。さらに番号札取ってくれる。(このシステムもよく分からん)円を両替するのは初体験、それどころか日本の紙幣に触るのも、たぶん生まれて初めての、窓口の若いあんちゃんにトライしてもらって、何とか無事に両替できた。ちなみにレートは1ユーロ138円。為替を見ると130円だから、結構割が悪い。

「各国の紙幣解説」みたいなファイルがあって、それの「日本円」の説明を見ながら、一万円札を確認してる様子でした。スカシがどうとか、ホログラムがどうとか、真贋チェックのポイントが書いてるのでしょう。こうした手間を考えれば「円はダメ」銀行の事情も納得できました。

朝方の気温は16度で、けっこうな寒さです。この先さらに北上することを考え合わせて、服装を変えることにしました。トレド以来、裸足サンダルで通していた足をしっかり洗って、長ズボン+靴下+ウォーキングシューズに換装。シャツは長袖に。

 スーツケース転がしてバスターミナルへ。10時18分到着。余裕である。バジャドリッドと違って電光表示はないが、オビエド行きは2番との掲示。

レオンからオビエドまでの1時間半ちょいのバス旅はまさしく「国境越え」でした。

 バスは山道を走っていく。険しい岩山に囲まれて大きな湖がある。絶景である。こうした湖がカスティージャを流れる川の水源なのだろう。さらに登り、トンネルをいくつかくぐると風景が一変する。雲の中の青々とした高山なのだ。「国境の長いトンネルを抜けると雪国だった」と書いたのは川端康成だが、あの関東→越後の風景の激変に匹敵する。山の険しさを考え合わせるとさらに劇的かもしれない。
 この山こそがモロ(ムスリム)のイベリア半島完全征服をギリチョンで防いだ天然の要害だったわけだ。いかに勇猛果敢なモロと言えども、ちと越えるには難儀だっただろうな、と納得。
 で、風景が自分のイメージするスペインじゃない。なんちゅうか、フランスというか、ドイツというか、「ヨーロッパ」なのだ。(「スペインはヨーロッパじゃないんかい?」てなつっこみは無しね) いやしかし、カスティージャや、ましてアンダルシアとは完全に異国ですがね。

オビエド

 13時前にオビエドのバスターミナルに到着。「地球の歩き方」のちっこい地図頼りに、サンフランシスコ公園のインフォ目指して歩き出す。
 曇ってて今にも雨が降りそうだ。大きな町である。道路の幅がクルマサイズで、スーツケース転がしながら徒歩で渡るのが結構大変。信号率高いし。気温は20度くらい。湿ってて肌寒い。これでも夏のスペインですか?
 インフォでオテルリストと地図をゲット。で、探し始めるが、自分のお目当ての星1つ2つランクが少ない。星1つを一軒見つけてブザー押したが応答がない。
 で、星3つのオテルを訪問する。89ユーロと言われる。レセプションのおねいちゃんがめっちゃ可愛い(美人じゃなくてkawaii)し、スペイン語うまいわー、動詞の活用もちゃんとしてるわーとお世辞言われたしで、ま、いいか、と決める。
 部屋は、さすがにこれまで泊まり歩いてきた35とか40の部屋よりいいっすよ。でも、マドリッドのオテル・カタロニアの100に対して、89というのは高い。50だったら御の字で、60でも許せるという相場観。
 市内散策へ。「地球の歩き方」じゃカテドラル(スペイン旅じゃ必須訪問ポイント)が14時から16時まで閉まってるとのことだったが、行ってみたら開いていたので入る。音声ガイド機付き7ユーロ。さすがに見事なカテドラルである。トレドとはもう比べない。
 ガイドは英語をチョイスしたが、あんまり意味無かった。何年に誰が何を作ったかなんて聞いてもしょうがないし、見りゃ分かるレベルのことを耳で聞かされるのもアホらしい。聖母マリアが「メリー」とか、アメリカ女の話聞いてるみたいで興ざめだし。あと、さすがにカテドラルとカトリック美術には食傷してるということもある。
 カテドラルを出てしばし散策。カテドラル食傷もそうだが、ちと「旅の壁」に当たった感があり、大きく動くことにする。次の目的地をどこにするか、しばし考え、ビーチリゾートと思しきア・コルーニャに決める。そこでのんびりできたらラッキーだろう、と。チケットを取るべくバスターミナルに向かう。

案内のおねいさんに時刻表をもらい、ALSAの券売機でチケットを取りました。その前に勝手がわからず困ってたドイツ人のおばちゃんをヘルプ。最後に自分の住所の郵便番号を入れないとチケットが出てこないというのは、外国人にとっては初見殺しですね。要は適当な数字を決まった桁数だけ入れれば、デタラメでもチケットが出てくるのですが。

 明日8月1日9時オビエド発、12時35分ア・コルーニャ着のバスチケットを取る。座席は残り3席だった。前回以上のギリギリ。36.35ユーロ。今までで一番長いバス旅だが、3時間半なら楽勝でしょう。昔、嫁さん、こどもら、爺ちゃんとマドリッドからアンダルシアに行く時に乗ったバスのほうが長かった。
 ひと仕事終えたので、近くのバルでカーニャ。2ユーロ。おまけタパスは無し。ここらへんも今までの町とは違うところ。ただし、グラスは初めて正しくcañaカーニャ(茎)状だった。

スペインのバルで「生ビール」を頼む時は、cervezaセルベッサ「ビール」ではなく、「ウナ カーニャ ポルファボール」(カーニャ一つ下さい)というのが一般的です。いや、本当はマドリッド限定なのかもしれない。cañaカーニャは「茎」という意味で、転じて茎のような形状の細長いグラスを指します。でも、マドリッドでもどこでも200ccくらいの普通のガラスカップに、ぷしゅーと注いだのをを出してくれます。時には「カーニャ ペケーニャ? グランデ?」(カーニャ小? 大?)と聞き返され、「グランデ」と言うと大きめのカップで出てきます。小洒落た細長いグラスで出てきたのは、オビエドのこのバルが初体験でした。
また、今まで旅してきた町のバルの多くでは、カーニャでもビノ(ワイン)でも、酒1杯にタパスが一つ付いてた。煮込みとかクロケタ(コロッケ)とか。オビエドじゃ無し。やはり「違う国」だったのかも?

 買い出しすべく町を彷徨するが、なかなか店が無い。パン屋めっけ、でバケット半分を50セントで買う。mitadミタ(半分)ですんなり通った。こんな買い物さえ出来るようになった。
 地図にあった「市場」を目指してみたが、閉まってた。近所の土産物店を周回し、ビノ売ってる店に入っておばちゃんに「何探してる?」と訊かれたので「ウオトカはないっすか?」と訊いたら、うちにゃ無いけどスーペルメルカド行ってみなよ、と教えてくれる。場所も「あっち」と。超ラッキー。
 帰オテルしてブツを格納。シャワーを浴びて、ミニケソボカディージョ(自分で作った、バケットにチーズを挟んだサンド)に赤ビノで昼食の食い直し。なんたって今日はここまで、朝のドリトス、カーニャ、パン少ししか飲み食いしてなかったから。
 オビエドも知ればいい町だろうと思うのだが、あえて一泊でおさらばするのは、曇天で寒いのが嫌だから。朝のレオンからすでにその気配があった。これもまたスペインだと分かってるつもりなのだが、旅のここまで「毎日晴天、太陽がいっぱいだ!」を味わいつつ、パンイチでシエスタしまくってきた身としては、曇天は辛い。遊んで暮らしてるキリギリスに突然冬がきた、みたいな。
 あるいは、…起こったことをありのままに話すぜ。真夏の赤羽で安い昼酒を飲み歩いてるつもりが、真冬の銀座だった。何を言ってるか分からねえと思うが、自分も何が起きたか分からねえ…ちうことだよ。だってショッピングセンターがあって入ったら、ブランドもんのショップだらけで、バーガーキングのセットが8ユーロとかすんだぜ。こういう町には住めませんよ。
 でも、晩飯はパリっと食おうと、「地球の歩き方」おすすめの「ティエッラ アストゥール」へ。「アストゥリアスの大地」か。地図で見たらオテルのすぐ近くだった。
 19時50分くらいに入る。観光客店でシードラ注ぎの演出もあり、楽しい店だった。ファバーダアストリアナとシードラ。ファバーダは白インゲン豆の煮込みで、それにチョリソ、塩漬け豚肉、モルシージャ(豚の血を固めたもの)が入っている。温まります。ほぼ完食したが、お腹いっぱい。デザートもカフェも要らんよ。ジェノ? と訊かれて思い出した。満腹。エストイジェノ(私は満腹です)。勘定は17.47ユーロ。上等。ちなみにファバーダ12.27、シードラ2.7、それにパン0.91。+税。
 外に出たら雨が降っていた。折り畳み傘さして帰オテル。

シードラというのはフランスで言うシードル。リンゴで作った発泡酒です。ワインと比べりゃ度数も低いし、安いお酒です。このシードラのボトルを右手で持って、目一杯高く掲げ、左手のグラスに一直線に注ぐのが、オビエドのレスタウランテの「伝統芸」。「名人」なら一滴もこぼさずに注ぐのでしょうが、カマレラのおねいちゃんだと三分の一弱がグラスから外れて床に注がれる。それを写真に撮らせたりして、雰囲気を盛り上げ、店の売上も上がるというシステムですね。すばらしい。

 いやホント満腹。ファバーダは、元々は豆をラードと塩で煮ただけのカロリー満点貧乏飯で、王様から百姓までこれ食ってがんばってたんだろう。で、モロとの決戦前には肉やらチョリソやら入って豪華版になる。豚を忌避する敵に対する呪的効果もあったかもしれん。
 店の客はドイツ人率高いように思った。ドイツの田舎の店みたい。

半可通が思い込みで適当なことを書いているので、信用しないでくださいね。「決戦前に豪華版」というのは、どうもフランスの「カスレ」と混同していたようです。
でもまあ、豆は世界共通の貧乏人もとえ庶民飯で、それに肉が入れば「ご馳走」です。家でもちょくちょく作ります。garbanzoガルバンソ「ヒヨコマメ」が、お気にです。

この日は、正直、食いすぎたんで、オテルに戻って、三共胃腸薬を飲んで寝ました。

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