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四度目のスペイン(4)セゴビア

4番目の町はセゴビアです。ローマ時代の水道橋で有名な町。ここへもマドリッド経由で行きました。なんでいちいちマドリッドに戻るかというと、スペインじゃ道路も鉄道も首都マドリッドを中心に放射状に伸びていて、外環道や武蔵野線みたいな環状ルートが無いんです。

クエンタ→セゴビア

 7月25日 火曜日
 オスタルをチェックアウトして、8時28分に来たタクシーに乗る。10分足らずで駅に到着。10ユーロだと思ったら11だった。こんなんで水増しするとは思えんので、迎車代が1ユーロなのであろう。きっかり現金で支払う。
 駅窓口のおばちゃんと話して乗車券を買う。ここで注意点。自分は「オイポルマニャーナ」で「今日の午前中」といったつもりなのが「明日」と伝わっていたので訂正した。(mañanaマニャーナには「明日」と「午前」と2つ意味があります)
 オイ(今日)かマニャーナか明確にするのが肝要なのだな。日付を紙に書いて見せるとか。とまれ、10時13分クエンカ発→11時10分アトーチャ駅着、12時チャマルティン駅発→12時27分セゴビア着の乗車を購入。40.40ユーロ。

こうやって鉄道やバスで旅行してみると、クルマがいかに楽か分かります。問題は、道が極端に狭い「旧市街」と、狭くて出し入れしにくい駐車場。トレドやクエンカのような町でも旧市街の外の、広めの駐車場を確保して、クルマで旧市街に荷物を運び込むにしても、入り組んだ通りまでは入り込まないようにすれば、なんとかなるかも。その先が徒歩基本なのは、鉄道&バス旅も変わりませんから。
でも、クルマ旅は、一人じゃ万一トラブった時に大変です。最低でも二人。嫁さんとの旅限定としています。

 セゴビア駅もまた、市街から遠いようだ。要は町の位置をあまり気にせずにAveアベ(新幹線)通してんだろな。これは実のところ、日本も見習いたいところ。高速鉄道は可能な限りまっすぐ通し、沿線都市からのアクセスは地元地元で工夫する、と。
 30分前にセキュリティ通過。ボディチェックは無かった。1番ホームで到着を待つこと30分。定刻到着→発車。そこそこの混み具合である。これでともかくマドリッドまでは戻れる。セルカニアス(近郊線)によるアトーチャ駅→チャマルティン駅の接続とか、すべてが初体験であり、経験値増大が期待できる。
 スペインはごくフツーに若い女が健康的に美しい国だが、ときに、びっくりするくらいの美人に出くわす。二つ前の斜め右に座ってる黒髪色黒の女性で、アンダルシア人じゃないかと思う。そのまんまモデルやってても不思議が無いくらいの美貌だ。こんなおねいちゃんがそこかしこにいる国というのは、すばらしくもまた恐ろしい。フランスとは違い、きれいなおしゃれ婆あが皆無の国でもあるからだ。人生における美女から魔婆への「変身」は「まどマギ」もびっくりのエネルギーであることだろう。

スペインの年配の女性に対して、大変失礼なことを書いてます。

 Aveはアトーチャ駅に定刻到着。そこからセルカニアスに乗り継ぐのだが、出口を間違えたのか、自動改札を通らなきゃセルカニアスのホームに出られない。案内のねいちゃんに言ったら、隣の入り口を開けて入れてくれた。セルカニアスこっち、という以外、掲示も何も出てないのだ。これは初見殺しに近い罠。

ちょっと追加で解説すると、マドリッドには新幹線が発着する鉄道駅が二つあって、北の玄関口がチャマルティン駅。バスクやガリシアなど、北の方に向かう列車が発着します。東京で言えば上野駅。セゴビアはこっち方面で、大宮くらいの感じ。南の玄関口がアトーチャ駅。バレンシアやアンダルシアなど、南の方に向かう列車が発着します。東京で言えば東京駅。で、二つの駅をセルカニアス(近郊線)が連絡しています。乗り継ぎがちょっと分かりにくいのは、実体験した通り。

 で、チャマルティン駅へ。駅到着が11時45分回ってたから、ほぼギリチョン。ホーム番号確認する。17番だ。逆方向じゃん。戻って17番ホームへ。と、自分の1号車は先頭じゃんよ。せっせこ歩いて荷物をセキュリティ通して乗車。と、カポーが座ってる。自分らの席だ、という。車両間違えたかと思って乗車券を確認するが、確かに1号車。と、同じく乗車券チェックしたカポー、違う列車に乗っていたらしい。大慌てで降りていったが、間に合ったのだろうか?
 セゴビア着は定刻に遅れて12時半過ぎだった。バスが2台止まっていた。11番と12番。「地球の歩き方」の指南どおり、11番のローマ水道橋(Acueducto Romanoアクエドゥクトロマノ)行きに乗る。2ユーロ。無事着いた。
 水道橋スゲー。
 インフォへ。と、ここで窓口のおねいちゃんの対応がおもしろかった。自分を避けようとする感じがありありなのだ。たまたま出た電話にしがみついてる。分かるよ。スペイン語はもとより、英語も怪しい東洋人にあれこれくどくど訊かれる嫌さは、自分だって共感する。
 で、「オラ ブエナスタルデス」と挨拶して、「キエロアロハールメ ラシウダ エスタノーチェ」(今晩この町に泊まりたいんだが)とスペイン語で言うだけで、ぱあっとほころぶのだ。スペインじゃそこかしこで体験してきたが、このおねいちゃんが一番ほころんてた(笑) 
 おねいちゃんから町の地図を貰う。裏に宿泊施設のリストがあって、5つ星オテルから安オスタルまで72。この中から選ぶのだな。カテドラルまでの坂道をスーツケース引いて登ってく。いくつかは昼だからか入り口閉まってる。で、何となく良さげな「サン・ミゲル」で聞いたら、1泊30ナンボだってんで、即決。ちなみに順位は21で2つ星。部屋は正直しょぼいが一人で泊まってる分には何の問題もない。
 オテル1階のレスタウランテのバル営業が良さげだったので、カウンター席へ。セルベッサ、白ビノ2で、lenguaレングァ(牛タン)煮たの、小振りのサバみたいな青魚を酢で煮たの(旨かった)、サルチチャ(ソーセージ)とタパスを3種。昼食十分。勘定は5.4ユーロ。現金支払いで20ユーロ札崩す。
 シエスタ後、19時過ぎにパセオに出立。まずは町を歩いてみる。町外れのアルカサル(城砦)。ここから見下ろすカスティージャ・イ・レオン地方の風景は素晴らしい。で、アルカサルは、おとぎ話のお城そのまんま。ディズニー映画「白雪姫」のお城のモデルになったのだそうだ。城壁に沿って歩いてみる。壁の下は絶壁。中世の城砦都市としては、完璧な造りだったということがよく分かる。トレドもクエンカもそうだが、「ここ」だからこそ、侵略に耐えるだけの都市が建設できたのだ。
 水道橋へ向かう。二人組の女性警官がいた。腰にでかい自動拳銃を下げつつも、けっこうシャレオツで、もてそうだ。あちこちの店に入って何かしゃべっていたが、ウィンドーショッピングしてるようにも見える。
 旧市街のバルをはしごする。まずはプラサマジョールからちょっと外れたタベルナ。屋号は「なんちゃらデドゥケ」。店の外から撮った写真見てるのだが、肝心の看板が半分しか写ってない。まあ、どうでもいいレベル。セルベッサとクロケタ(コロッケ)で1.6ユーロ。
 次にプラサマジョールに面したレスタウランテ「El Taitare」のバルのカウンターで、白赤ビノ各1。タパス2つ、マッシュルームとモルシージャ(豚の血のソーセージ)。ムイビエン。勘定は4.6ユーロ。10ユーロ札で払って小銭40は置く。で、レシート観たら、「Verdejo」2.2、「Ribera Roble」2.4とあるのみ。ビノの値段が基本で、それがタパス付きちうことなのであろう、と推察。で、晩飯的にはこんなもんで十分である。各タパスにはバケット一欠ずつ付いてたし。
 帰オテルしてノーパソ叩きつつ、赤ビノを飲む。クエンカで買ったケソも食ってみる。美味しくない。形ばっか似せたまがいものと分かる。でもまあ、日本で食ってる「プロセスチーズ」ちうのは、要はこれなんだよね。
 ふと気がつくと、日本語では一言も話してない日が続いている。会話はスペイン語100パー。つっても、引きこもり時間にノーパソ叩いているなら、あまり関係ないか。
 周囲から聞こえてくるスペイン語が完全ではないが分かる、という体験が「語学学習」的には大きいんじゃないかと思う。
 婆のグループが「ハポンが」と言うんで「おいらのことかい?」と思ったら「jabón」で石鹸専門店のショーウィンドウを話題にしてる、と分かったり、そういう、ちょっとしたあれこれが貴重な体験になっている。
 家族連れがこども相手に話してるのもよく分かる。自分もスペイン語的には「こども」みたいなもんだから。こども同士で押し合いっこして負けて地面にべちゃった子が「アジュデー」(助けてー)と「接続法によるウステ(あなた)に対する命令形」を使ってやがる、とか。
 いわゆる口語表現はまさに「宝庫」だ。挨拶は「ブエノス」「ブエナス」でディアスもタルデスもノーチェスも省略。「バレ」が英語の「OK」的に多用されていて、「バレ?」「バレ」で了解確認が取れるのは簡単でありがたい。でも、こういうあれこれも、スペイン語を基本からしっかり2年間やったから、現地で「それな」と分かったんだぞ。
 セゴビアについての印象を記す。水道橋は素晴らしい。文京区と千代田区の区境のあれとは次元が違う。ローマ帝国の文明としてのレベルの高さを一目瞭然で再確認させられる。現代人の目から見ても素晴らしいのだから、西ゴート人も、モーロ(ムスリム)も、レコンキスタのカトリックも、人類が作り上げたマスターピースとして、壊すどころか、宝物として自分のものにしたい、と思ったことだろう。
 そのローマ都市をベースに作られた中世の都市。さらに近世まで「ディズニー」化しつつ建設し続けられた都市がセゴビアである。素晴らしすぎる。で、自分が感銘を受けたのは、ローマの遺跡が「保存されるべきなんちゃら」になって、隔離保護されてるんじゃなく、その周囲で善男善女が「観光」しまくっていること。遺跡も嬉しかろうと思う。それを建設したローマ人と奴隷さんたちも「苦労して作ったかいがあったねえ」とあの世のどっかで喜んでいることであろう。
 その中世都市の旧市街のオテルで、ウオトカの水割り舐めつつ、周囲の「気」をビンビンに感じてますぅの自分である。今回のスペイン旅行で「旧市街」に泊まるのは実は初めて。トレドもクエンカも「ちょっと出たとこ」だった。

セゴビア2日目

 7月26日 水曜日
 町歩いてて気がついたことをメモっとく。少年少女たち。中学生くらいだと思うのだが、男女別々のグループで行動している。男子校、女子校的な雰囲気で「女なんか(男なんか)かんきーにーよー」的なエネルギーを発散している。学校かなんかの集団行動以外、男女入り混じってのグループはほとんど見ないし、少年少女カポーは見たことがない。これは日本(昔の)の感覚に近いのかもしれない。
 貧乏旅行している学生らしきグループもいて、こちらは男女混合。教会そばのちょっとしたスペースに円陣を組んで座り、手持ちのビノやらパンやら飲み食いしている。若々しくてよろしい。
 豚の貯金箱その他、豚をモチーフとしたあれこれがそこかしこにあるのは、セゴビア名物コチニージョ・アサド(小豚の丸焼き)ゆえだろう。レスタウランテやタベルナの店先メニューで見たら、22ユーロとか25とか、通常の料理の倍値段をつけている。一人じゃとても食えんですよ。二人でも何だな。4人くらいのグループで一つ取ってみる、というのが適当なのではなかろうか。そんな「名物」食わんでも、バルのタパスはどれも旨いので、それ食ってりゃ十分足りる一人旅である。
 町外れで熱気球が上がっているのを目撃。そんなんも「ある」んだ。
 セゴビアは水道水がイマイチおいしくない。飲めんことはないのでウオトカ割って飲んでるのだが。元々水が豊富なところなら、水道橋作って水引いてきたりはせんな、と納得。「地球の歩き方」によれば、1928年以來、水道橋に水道管を設置して、それが現役であるとのこと。なので、今こうして飲んでるのも、ローマ帝国以来の水道橋を渡ってきた水だと思うと、趣深くもある。
 にしても日本人に遭わんなあ。つか観光客の東洋人率低い。また、黒人(アメリカ人)もほとんど見ない。東洋人の団体さんはまず中国人か韓国人だし。カポーで旅行してるのはたいがい韓国人。周囲から聞こえてくるのは圧倒的にスペイン語。たまに英語が聞こえてくると「お」と思うくらい。スペイン語修業にはもってこいの旅である。

ちなみにスペインのパンピー(インテリ以外の人たち。特に田舎の)にとって、東アジア系の東洋人は日本人も韓国人もすべてchinoチノ「中国人」でまとめられています。日本人の多くは、これを嫌って「ハポネスだ」と、いちいち抗弁するのですが、わたしは平気。「ニーハオ!」と挨拶されたら「ニーハオ!」と返すし、アルダレスでの「ソウルから来た日本人」もスルー。日本人をチノと呼んだからといって、特に馬鹿にしてるわけじゃないし、あえて馬鹿にしているというのなら、スペイン語を解さないアジア系すべてをまとめて馬鹿にしてるんです。しょうがない。田舎もんなんだから。
じゃあ、日本のパンピーがどうかと言えば、欧米もロシアも南アもオーストラリアも、白人は全部まとめて「外人」だし、肌が黒い人たちはアフリカだろうが、USや中南米だろうが、さらには南アジアや中東系まで全部まとめて「黒人」。ひとのことは言えんですよ。

 まずはカテドラルへ。見事なものである。もちろんトレドと比べると以下略。10時30分集合のツアーで塔へ登る。入場券売り場のおねいちゃんは英語ツアーだと言っていたが、早口スペイン語親父のワンマンショーだった。10パーくらいしか分からない。途中、2回説明休憩があって、一度は英語字幕付きの動画。塔のてっぺんへ。鐘10個が並ぶ鐘楼。一番でかいのは1トン以上ある。高すぎて足がすくみます。つるつる降りて一安心。7ユーロのはずが、もっと取られてるようなのはガイド代?
 続いてアルカサルへ。5.5ユーロ。プレートアーマーの行列。歴代のレオンの王様(一部女王様)の肖像画に囲まれた大食堂。実戦に使われた城でもあり、その後の貴族の豪奢な館でもある。でも寝室とか冬は死ぬほど寒そう。一部は近世から近代の軍事博物館になっている。大砲の歴史、的な。あまり興味をそそられない。
 13時回ったので昼飯体勢に入る。入ってから気づいたが、朝入ってカフェ・コン・レチェ飲んだのと同じレスタウランテだった。白ビノとアトゥン(ツナ)ほーんのちょっぴりで3ユーロ。高いよ。屋号は「La Tropical」と記しとく。
 オテルレスタウランテのバルで飲み直し。ポジョ(鶏肉)、トルティージャ(スペインオムレツ)つまみに赤ビノ2杯。3.6ユーロ。安し。
 シエスタ後、17時過ぎにオテルを出る。水道橋へ。ずっと「上流」まで辿ってみる。反対側に回って戻る。「水の塔」がある。なるほど、単に水の「道」を通すだけじゃなく、溢れたりせずに滞りなく流れる工夫がいろいろあったんだ。
 ローマの水道橋に限らず、神田上水にしても、玉川上水にしても、郊外の川から、きれいな水を都市中心部まで流すというのは、大変な仕事だったのだ。日本においては失敗して腹切った侍もいたわけで、ローマにおいても責任の重大さは変わらんことだったのだろうと推察する。
 その後も旧市街を彷徨う。20時になったので「飯」。プラサマジョールの「ホセ」のカウンターでカーニャ(生セルベッサ)。タパスはカラマレスフリトス…のつもりが違う。ガツ? 聞いたら「オレハデセルド」。豚耳か。カラッと上がって中身はモチモチしてる。これは珍味でした。勘定は1.5ユーロ。これがフツーだよね。

てなことを公園のベンチでノーパソに書いていたのですが、

 と、ベンチの真後ろに婆とおばちゃんが座る。このおばちゃんのマシンガントークにしばし耳を傾ける。半分くらいしか分からんが、とにっかくどうでもいいことをくっちゃべりまくってるということは分かった。このプラサは今はそんなじゃないが、混む時はめっちゃ混む、とか、娘がマドリッドにいてなんちゃらとか、トレドのカテドラルはなんちゃら、とか、頭に浮かぶことを全部だだ漏れに垂れ流している感じ。朝のガイド親父は歴史文化的に意味のあることを早口で並べ立てててよく分からんかったが、このおばちゃんの意味のないことのほうが分かるという無意味さ(笑) とまれ、両方合わせれば、今日一日で過去2年に耳にした以上のスペイン語を耳から注ぎ込んだ、ちう感じ。それが楽しくて、ずっとベンチに貼り付いていたのだ(笑)
 帰オテルし、シャワーを浴びてからレスタウランテへ。カウンターでカーニャにパタタ(ポテト)とサルチチョン(ソーセージ)を炒めたの。旨し。1.3ユーロ。
 カマレロの爺に「地球の歩き方」を見せて「明日バジャドリッドへ行くつもりだ」と言ったらバスがどうのとあれこれ教えてくれた。爺、バスの時刻表が載った新聞を持ってきてくれる。これがそうだ、いや違う、鉄道だろ、と他のカマレロも交えて話す。で、バスのステーションに行って、そこで聞けば分かるよ、予約なんざいらんよ、という「結論」に。分かった、それで行こうじゃん!

そんな感じでセゴビアの夜も楽しく更けていきます。

※ご愛読ありがとうございます。明日19日土曜から、21日月曜まで、所用があって投稿できません。続きは22日火曜の夜に書きます。よろしく。

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