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セビージャひるね暮らし(24)

※2021年の記録です。

10.9 土 晴れ España旅行第24日目 Sevilla

 5時台に一度目覚めるが、二度寝三度寝で睡眠十分。

 8時50分に活動開始。トレーニングしっかり。そこそこ汗をかき、ドゥチャールセして身体を洗う。

 朝食は昨日よりもさらに軽く、キュウリ、トマテ、スモデナランハ。ホントそんだけ。食後にカフェ。

 洗濯物をまとめる。今日はコインランドリーに初挑戦する所存。

 コインランドリーミッション完了! 場所が「ヘスス・デル・グラン・ポデール通り」だったのだが、カジェを勘違いしてしばしウロウロ。店内にはドラム式洗濯機が5台と乾燥機が3台。洗濯機は小さい方から9kg、15kgが2台ずつ。19kg1台。お値段は4.5、7.5、9。その9kgの1台を若い兄貴が使い始めたところだった。もう1台の9kgに自分の洗濯物を入れる。Tシャツとトランクス3枚ずつにアロハ1枚だから9kg楽勝。洗剤も持参して入れたのだが、これは不要だったかもしれない。現金だと4.5だが、カードだと4というので、クレカを入れてみたら弾かれた。何か特殊なカードがあるのだろうか。ガランガランと回り始めた。待ち時間がよく分からなかったので、30分ほどかと思い、そこらへんを一周してくる。戻ってキカイを観たら、数字が次第に減っているので、これが残り時間と分かる。後20数分。自分の直後に店に入ってきた親父はどうやら洗濯ではなく、スマホの充電をしにきたらしい。いいのか、それって? もう一人タトゥー兄貴が入ってきて、これはもう1台回り始めていた15kgの客らしい。さらに観光客らしき男女二人が入ってくる。9kgが1台が終了。最後は100からカウントダウン。エンドと出て完了。数分後に最初に見た兄貴がやってきて、洗濯物を取り出し、乾燥機に入れる。こちらは15分2エウロス。開いたところにカポーがリュックから洗濯物を出して入れていく。けっこうな量である。まあ、こんくらい溜め込んでイッキに、がフツーなんだろうなあ。4.5エウロスは円にして585円。日本のコインランドリーは昔は100円だったけど、今のドラム式はいくらだろう? 利用せんのでよく分からんのだが、高くても300円くらいじゃないかと思う。スペインがざっくり倍だと思うと高い。4.5も出せばけっこう旨い赤ビノが買えるのに。

 帰宅して洗濯物を干す。1日で十分乾くでしょ。冷蔵庫に残ったイチジク3個をデザートに食う。それに飲み残しのカフェ。今11時24分。昨日一昨日よりも早めに活動している。「昼」への調整がポイントであるな。

 徒歩出立してとりあえずは8000歩歩く所存。エルクレス公園へ。ここがこの界隈の重要なランドマークだ。農産物メルカドを開催中だった。公園の北端を東進してみる。ラタトール通り、サン・ルイス通りを左折して北上。突き当りが古い城壁で、すぐ側の教会で結婚式をしてた。城壁をぐるりと一周してみる。外側が掘り込んであり、ちょっとした空堀になっている。その壁の先が本格的な空堀。ここにハマったら確実に死ぬ。堅固な造りである。外側は広いアベニュー。路傍のしょぼいバラ、プルンパゴ花盛り。

 ああ、地図で見て分かったが、サンタ・フスタ駅に行く途中に渡るアベニューと繋がっていて、歪んだ半円形でセビージャを囲っている。おそらく昔の城壁。その内部が「旧市街」だったとすると、けっこうな面積である。でもまあ、端から端まで、歩けば歩ける程度の距離なんだがね。この城壁とグアダルキビール川で守られた「城市」だったんだ。

 と、やっと分かった。自分が持ってるプラノ(町地図)は北マークがデタラメ。実際は地図の上が東なんだ。しょっちゅう方角取り違えたのはそのせい。つか、早く気付けよ(笑)

 明日日曜は閉店だし、明後日は朝バタバタしてるし、最後にいっぺん「リオハ」(下のバル)行っとくか、と行く。相変わらず繁盛店である。ほとんどが近所の人間で、半分は常連っぽい。カーニャに、最初から気になってたケース端っこのエンサラーダ・ルサ(ポテサラ)を注文。ツナ入ってた。旨かった。滞在時間約10分。勘定は3.80。イモは2.40か。帰宅してヘレスに、「リオハ」から持ち帰った乾パン。

 朝と合わせて爺の栄養的には十分なのだが、カフェ以外すべて冷たい食物なのがちょっと、ね。誰か奇特なチノが立ち食いそば屋か麺粥屋開業しねえかなあ。で、タパスの代わりに点心出すバルも。蝦餃とか鶏の手とか。…ああ、香港行きたくなってきた。いっそ、セビージャにシンガポール的なフードコート出来んかね? 各種チノス飯が簡便に食える。点心、ビビンパ、そばうどん、ラクサミー、牛丼などなど。そうすりゃ移住&永住を今すぐ断行する。本気だぞ。

 ウオトカ水割りをちびーっとだけ飲んで、がっつりシエスタしよう、と14時25分。と、執筆とまではいかんが、書いたもんを読み返しておくかな。

 目覚めて16時過ぎ。シエスタ1時間半かな。

 アパルタメント暮らしもそろそろ終わりだし、最後にもっぺん「肉屋で牛肉切ってもらって買ってステーキ」に挑戦しよう、と決める。マス(スーパー)へ。肉売り場に兄貴を呼んでもらって、ステーキ用の牛肉がほしい、と。キロ15.59のを勧めるので、それでいいか、と。200から300gで1枚、と頼んだら「このくらいか?」と厚みを見せて、ちと厚いかなと思ったのだが、切らせたら現に400g以上ある。ヘッタクソだなー。と思ってたら「ちょっと多かった?」的なことを言ったので、もっぺん切って、と要求。3分の2切り分けて255g。ペルフェクト(オケー)と受領。残りどうすんのかなーと一瞬思ったが、ま、適当に何とかするんでしょう、と。それと赤ビノ3.99、缶セルベッサで計8.79。袋イランと言ったつもりで貰わなかったのだが、レシート見たら0.15ついてた。ま、いいよ。前にエンパナディージャ打ち間違えて安かったし。しっかし、袋貰う貰わないは未だにぴったり分からん。袋いるか、と訊かれてるのか、袋もってるか、と訊かれてるので答えが逆になるのをちゃんと聞き取れていないんだな。常に「ノー袋」と答えるのだが、持ってないんなら1枚、となるらしい。もちっと丁寧に「No necesito bolsa」(直訳:わたしは袋を必要としない)とか言ったほうがいいのかも。

 今辞書引いて分かったのだが、エルクレス公園ことPlaza Alameda de Hérculesは、「ヘラクレスのポプラの並木道広場」という意味だった。こういう細部を詰めていくのが重要。

 もう一つ。コインランドリーだが、洗剤は「ついている」らしい。仕上がったブツを嗅いでみたら、自分が持ってきた洗剤には無い匂いがした。うちのは「ニュービーズ香り無し」ですから。

 18時05分にプチ始めるザマスよ。缶セルベッサぷしゅーして、つまみはグローリア土産のタマネギをスライスしてのをハモンで巻いてみる。イケる。加工肉のしつこい感じが逆に「味」になる。もっと早くに試すんだった。

 よし。ちょいと長めのパセオに出立すっぞ、の18時34分。

 プラノ頼りに今まで歩いたことのないカジェを巡る。いったん、右折すりゃサンタ・フスタ駅に行く大通りに出て、ちょっと歩いた先を内側に入ってカジェ巡り。最後はエルクレス公園。この公園は広くて細長いのでどのカジェからもたどり着きやすい。町中のランドマークとしてありがたい。

 時間調整でちょいグル歩きして、20時に帰宅。1万8700歩。

 晩飯はステーキ。付け合せはタマネギ。全体に包丁目を入れて筋を切り、塩胡椒して焼くだけのシンプル料理。オリーブオイルは使わずに、最初に脂身をじゅうじゅう焼いて、その脂で焼いてみる。いい感じに出来た。ところどころ硬いが、肉自体は非常に旨い。これでキロ15.59のグラム203円だから、肉好きにはたまらん国でしょう。酒は赤ビノ、セルベッサを並行。

 肉食ったら幸せな気分になったかも。誰が言ってたんだっけ? そうだFだ。少女まんが編集時代の。

 も一つ思い出した。あまり関係ないのだが、大昔のサトウサンペイの「フジ三太郎」で、「捕鯨反対。日本人は残酷でーす」とか言ってるアメ公の若造を東京に連れてきて、暮らさせる。数週間後、めっきりやつれて無精髭を生やし、背に腹は代えられない的表情で、鯨肉を食っている、というもの。これが左翼進歩派の嫌らしさだと、今ならよく分かる。

 そうだ「魔女宅」の続き観なきゃ。…3分の2くらいまで観る。十分に聞き取れる。バーサの名前が違う。「ベールタ」とか聞こえた。「ニシンとカボチャのパイ」は「Pastel de zanahoria y calabaza」(ニンジンとカボチャのケーキ)。で、アホ孫娘は「ニンジン嫌い」だと。こっちがまあ世界標準だろう。ニシンじゃ凝り過ぎ。

 セビージャで思ったことをいくつか。「安全」な町である。一つは治安。暗くなってもフツーに婦女子が歩いてるし、ここはちょっとヤヴァそうだぜえ、ってところに行き当たったりしない。ま、所詮「徒歩圏内」の話。ちょっと離れると「移民労働者しかいない団地」とかあるのかも…あるのか?

 これはスペインがフランスやドイツとハッキリ違う点なのだが、職種によって民族が違うということがない。肉体労働も3K仕事も等しくスペイン人。これがフランスだとマグレブやブラックアフリカから来た連中の2世3世だったり、ドイツだとトルコ系移民だったり難民だったりする。格差はあっても「民族」じゃないというのがスペインの特徴だと思う。

 あと安全なのが「交通」。石畳の狭いカジェで必然的に歩行者優先になる。これはしかし、歴史のある町だから。こんな町を新たに作ろうとしても出来んでしょ。完全にクルマをシャットアウトするとか、違う形を取らなきゃ無理。昔っからの区立小学校の周囲を昼飲みの居酒屋が包囲してる赤羽みたいなもんだ(笑)

「魔女宅」の町のモデルはストックホルムとかリスボアとか、前に行ったクロアチアのドゥブロクニクなどらしいが、ここセビージャその他のスペインの町も、十分に「そこ」を想起させる。狭い石畳のカジェというのが独特。これはヨーロッパの古い町以外にはあり得ないもの。

 自分がカジェ歩きにハマったのはトレドだ。あそこじゃ旧市街の観光客向けの整備が徹底していて、あらゆるカジェに名前が明記されていた。観光客用プラノと照合するだけで、隅々までくまなく歩けた。セビージャはそこまでは徹底してないが、プラノ頼りの町歩きが出来るほどのカジェ表示は残ってる。どれも古くて、だんだんに無くなっていくんじゃないかと危惧するが。クルマが入れない狭いカジェであっても、ちゃんと名前がついていて、それをたどって行けば、必ず目的地にたどり着ける、というのは、実はヨーロッパ旧市街だけの特徴かもしれない。それこそが観光客に対するアピールになると思うのだが、意外と地元的には分かってないんだろう。Googlemapで十分じゃん、的に。

 カジェが住所として機能するのは「都会」の特徴だと思う。日本みたいに一定面積の「地所」名だけが地図に印され、そっから先の所番地は現地に行って探してみなきゃ分からない、というのは、元が「農村」で、農地が町に変わったから。田畑の畦道に名前なんてあるわけないっしょ、と。ああそうか。そういう意味じゃ、日本で唯一のモノホンの都会は京都なんだ。堀池三条上ル下ルで分かるんだもんな。

 ヨーロッパの都市の暮らしというのは、石でできた町の、石でできた建物の中に閉じこもって、上下左右の「お隣さん」への騒音は厳禁。最低の生活音は互いに我慢して、引き篭もって暮らす、と。ああ、そこで隣近所との摩擦回避のためのお付き合いが生じ、それを地区内の教会が取り持ったりもするんだ。

 まあしかし、セビージャのアパルタメントで自分という爺が、1週間なり1か月なり、ストレス無しで便利に暮らしていけるということは確認できた。それも極安の生活費で。毎日歩き回って、土地勘もそれなりについた。川向うのトリアナ地区の様子も、エルクレス公園をランドマークとした北地区も。

「魔女宅」はセビージャ暮らしと見事にシンクロした。よそ者に対する都会的な冷淡さと、入り込むことの簡単さ。スーペルメルカドに行ってお金を出せば何でも買える。そんなことすら、本来の田舎では不可能なこと。老人が孤独なのも都会ならでは。孫娘に疎んじられる「奥様」もそうだし、時計塔で働く爺もそう。でも、よそ者を住まわせる余裕と、彼/彼女が何かをやればそれを評価してくれる人が確実にいる。それも「都会の幸福」。

 自分という爺が暮らしていける「場所」が世界中にいくつあるか分からんが、セビージャはその一つであると確認できたのが、今回の旅行の成果。それ以上は求めるべくもない。

 セビージャ来て以来、徒歩オンリーで交通機関を使ってない。アパルタメント移動でタクシー1回乗っただけ。そんでも日々のパセオでまったく退屈しないってのは、どんだけ町自体がみっちり凝縮し、充実してるんだろう、ちうこと。それが実は一番重要なことじゃないかと思う。これもまた京都に似ているちうことも含めて。

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