インチキしない人

年末は、読書をする時間、ドラマや映画を観る時間を沢山取ることができた。それらをきっかけに考えたことがあるので、今週はそれについて書こうと思う。

小野寺史宣『夜の側に立つ』という作品の中に、「野本はインチキなことをしない」という表現があった。ある友達が、主人公野本に対して、誰にも言えなかったことを語った後に述べた言葉だ。

この「インチキなことをしない」っていう表現にすごい引っ掛かりがあって、そしてよくわかるなあ、つまりこいつは「インチキしない」って思える人が自分にもいるなあと思ったので、印象に残っていた。

同時期にネットフリックスでドラマ「セックスエデュケーション」(シーズン1から3まである)を観ていた。この作品は、女性経験のないはずの主人公オーティスが、同級生の性の問題をセラピスト的な立場で解決していくというのが縦軸で展開していく。その際、セラピーの相棒として登場するのが、鼻ピアスにピンク髪、露出多のメイヴという女性だ。

この童貞オーティスが、人に悩み(どギツイ性の悩みがほとんど)をうまーく話させて、また優しく諭して解決に導いていく。メイヴもまた、こうしたオーティスの人間性に惹かれていくというのがシーズン1の大まかな流れです。

このドラマで言うと、オーティスは「インチキしない」人だなっていう感じが凄いあった。まず彼は、自分が不完全であること、未熟であることにもの凄く自覚的であったように思う。そして他人の不器用な部分を笑うことは絶対になかった。それは、自分もそういう他人に笑われるような部分があることを分かっているからで、それがこいつは信用できる、インチキしないっていう雰囲気を出すことに繋がっていたのかもしれない。

ちょっと話はズレるかもしれないが、不倫は、法的にはともかく道徳的にはダメだなという感じはする。路上にガムを吐き捨てる、店員に横柄な態度を取る、行列で割り込んでくる…当然道徳的にはダメな感じがする。この道徳的に良いラインとダメなラインの見極めができるかどうかは、人間にとって非常に大きな要素であるような気がする。

そしてこの道徳のライン引きができる人かどうかは何となくその人にに現れる気がしていて、それは、政治家のようにきっちりした外見でも、この人はインチキだって思える人も沢山いるし、どこでその判断がなされているのかは全く分からない。

ただ一番には、自分が至らない人間であることに自覚的であるかどうかが来ている気がする。


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