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パンフレットいまだ開封せず

いやぁ、ひとつ区切りがつきましたね。

おそらく私はリアルタイム世代の中でもかなり良い環境でエヴァンゲリオンという作品と付き合えてきた人物のひとりだと思っております!(自称)

■私のエヴァ遍歴

1998年14歳の時TV版エヴァと出会いシンジ君に共感。初回放送(1995)の14年後「破」ではeva二次創作小説(通称eva ss)で必死に読み漁った「スパシン」を公式で観ることができました(大歓喜!!)。そして私がエヴァと出会ってから14年後の28歳「Q」を劇場で観てシンジ君とともに14年の空白をシンクロしてみたり…。そして、時は流れ今、私は37歳となり4歳の息子を育てる親として今作品を観ることになりました。

実に23年の付き合いです。長いですねぇ

エヴァンゲリオンとの出会いはおそらくTV版再放送からとなりますが、多めにみてリアルタイムとしてください(笑)。上記は私の当時の年齢とエヴァンゲリオンでよく登場する「14」という数字を強調して書いたものです。


■年齢から考えるエヴァという物語

・エヴァパイロット達 14歳。Q+14歳

・指揮官クラス(ミサト、リツコ、リョウジ)29-30歳。Q+14歳

・碇ゲンドウ 48歳。Q+14歳

Qまでの主要人物の年齢分布は大まかに「14歳」「28~30歳」「43~48歳」「62歳」となっています。

そして今回シン・エヴァンゲリオンではあらたに「37歳」という年齢が追加されました。 「いや、そんな中途半端な歳のキャラいねーよ」とか「Qとシン・エヴァンゲリオンは時間軸つながっているぞ」とか意見が出てきそうですが、この「37歳」という数字はシン・エヴァンゲリオン時の年齢ではなく過去の年齢として存在しているのです。

それは「碇ゲンドウがユイを失いシンジを遠ざけたときのゲンドウの年齢」です!

で?

と言われる方もいらっしゃるかもしれませんが、もう少しだけ待ってください。。。 少し話が横にずれますが、新劇場版のタイトルに音楽記号がついたタイミングを覚えていますでしょうか?

それは「破」からです。なぜ途中からついたのか?今回のシン・エヴァンゲリオンのゲンドウの告白で私なりに答えが出せました。

「わたしが信じていたものは知識とピアノ」(ゲンドウ談要約)

ゲンドウがネブカドネザルの鍵を手に入れた瞬間、物語は碇シンジの物語ではなく碇ゲンドウの物語にスライドしたから「破」から音楽記号がついたんだ!と私の中でなにかがストンと落ち着きました。


■【涙腺決壊】37歳の私がシンクロした碇ゲンドウ

ゲンドウとシンジの親子対決ですがこれは争いではなくコミュニケーションで決着がつきました。そのなかで私の涙腺が崩壊してしばらくスクリーンで何が起きているか見えない事態に陥ったシーンがあります。そのシーンは

泣く5歳のシンジを振り切ろうとするゲンドウ、しかし思いとどまり優しくシンジを抱きしめる

というシーンです。私には今4歳の息子がおります。ゲンドウがシンジを抱きしめる瞬間、息子のあたたかい体温、におい、柔らかさを感じ、私の目には溢れ出る想いをとどめる堅牢な堰など存在するはずもなくあえなく涙腺が決壊しました。

■時間というスパイスを味わえた喜び

このように、私は14歳の時には主人公の少年に深く共感し(TV版)、時を経て少年が思い描いていた神話のシンジと出会え(EoE~破)、いつまでも神話の世界にいるわけにもいかない大人(28歳)では14年という時間的空白の戸惑いと大人たちの葛藤に共感を覚え(Q)、そして37歳となった今(シンエヴァ)、私は親としてこの物語にふれることができました。

ここまで現実世界と映像世界が時間的にリンクし続けた作品は私はエヴァンゲリオン以外にありません。良い作品と進んでこれたことに本当に感謝しています!

■パンフレット未だ開封ぜず

わたしはまだ購入したパンフレットとか開封できないでいます。。。なんでしょうか?この感覚は?誰かわかりますか?

終わらないことはなんとなく察しているのですが、わたしのATフィールドが貼ってあるかのごとく開封ができないのです。

エヴァンゲリオンという作品に「ありがとう」と「さようなら」というおまじないをかけて今回はここで締めくくろうと思います。


■補足

今回は私の時間的感想メインになっておりますが、実はマリがかなり怖い存在なのでは?(安野モヨコさんが怖いということではありませんよ)という持論やポスターの謎のレイアウトとか他諸々ありますのでまた、別の記事で描こうかと思います!

それではまたよろしくお願いいたします!




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