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若さには勝てない!(小説『天国へ届け、この歌を』より)

「裕司」

思わず叫んでしまった。

懐かしい裕司の笑顔が、今の裕司の顔に戻った。

困惑した表情になった。

私は、裕司を現実に引き戻してしまった。

「大きな声を出してごめんなさい。驚かしちゃったね。だって、知らん顔をして通り過ぎるところだったのよ」

「明日の朝に来るって言ってなかった?」

「一人でいるのも、つまらないから早く来ちゃった。迷惑だったかしら」

「そんなことはないよ。こっち側の本屋さんに行こうとしたら、偶然に同じ会社の人と出会ってしまって・・・」

裕司はあくまで冷静を保っているように繕った。

目をそらした。

いつもの何かを隠している時の目。

長年一緒に居たからよくわかる。

この若い女が、バスルームに残っていた髪の毛の主なのだろうか?

「香田と申します。いつも貴島支店長には、お世話になっています」

透き通るような声。

こちらが恐縮するくらいに丁寧に頭を下げられた。

シルクのような光沢を持った黒髪が、滑らかに流れる。

ゆっくりと、顔を上げる。

髪をかき上げる指先の美しさ。

天然真珠のような光沢を放つナチュラルな爪。

血管が透き通って見えるような白い頬。

しかし、愁いを帯びた目は、困惑の色を帯びていた。

なんて綺麗な娘さん。この娘さんが、部屋に来たのだろうか?

彼女の視線が、私の持っているレジ袋に落ちたとたんに、悲しい表情に変わったのを私は見逃さなかった。

この娘は綺麗なのに、何て悲しい目をするのだろう。

私も自分のレジ袋に目をやった。

突き出ている土のついたごぼう。

スーパーマーケットの大きいロゴが入って大きく脹れあがった重いレジ袋。

それを持つ年輪を隠し切れない疲れた手。

嫉妬?

いや、それを通り越した感情。

かつて私も持っていたけれども、失ってしまったもの。

この娘さんなら、先程のあの頃の裕司の笑顔を蘇らせることが出来る。

私には出来ない。

もう一度、裕司のあの笑顔を見たい。

嫉妬?

いや、それよりもっと深い感情。

過去と未来。

私は、もう戻れない。

勝者と敗者。

若さには勝てない。

思い込みと現実。

この娘さんのシミのない張りのある白い頬に、私は敗北する。

なのに、この娘さんは悲しい目をしているのだろう。

裕司と二人で、楽しそうに話しながら歩いているところに、急に呼び止めて悪いことをしたように感じた。

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