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フェミニズムに向いていない人の特徴

 フェミニズムに関して、かなり色々なところで色々な人物を見てきたわけではあるが、この人物は簡単に向いていないと判断できるようなレベルの人間というのを何人も見てきた。

 通常なら、あまり才能がないというような話をしたくはないのだが、根本的に別の価値観か真逆の価値観と取られてもしょうがないレベルの人材を見てしまうと、ついそう言ってしまいたいくらいには、酷い能力のものが目立つ。

 不思議とそういった人物を観察していると、妙な共通点を見つけることが出来る。まるで意志でも統一されたかのように見えるのだが、操っている側も案外わかったうえでやっているのかもしれない。と思うくらいには、わかりやすい面を有している。

 どんな人が向いていないのか?というのを簡単ではあるが少し紹介したい。


1 情緒的な面が強めの人

 感情的な面が強い人というのは、基本的にフェミニズムには向いていないだろう。フェミニズムにおいて、怒りというのは活動の原動力であり、物事を大きく動かすことも出来る。近年では、行動経済学のように人間の感情的な部分に着目し、それによって人間をうまく動かそうと言うような試みがあるように、人間の心理を知ることこそ、人を動かすことに有効であるという面は見られるようになってきた。

 フェミニズムにおいても、一人の女性の死、性犯罪、metoo等の社会運動から、ネットのバズツイートのようなところに至るまで。今まで感情的な側面を刺激して、物事を動かしていくことをいくつか紹介させてもらった。だが、これは平等を考える上では大きなマイナスになる事も同時に指摘されてもらった。

 なぜ、フェミニズムという場面で感情的な側面が問題になるのか?それは、感情的な側面が強すぎると分析的思考などが抑圧されるからである。



「共感」に使われる脳の神経回路網が活発になるときは、「分析的思考」に使われる神経回路網が抑圧される、ということがケース・ウェスタン・リザーブ大学の研究で明らかになったそうだ

 平等原理には限らないのだが、ルールに則って正しい判断をしていく必要がある場面で、判断をミスしてしまうと大きく利益分配を損なうことになる。

 細部の利益分配とかなら個人では判断も難しいから致し方ないかもしれないが、場合によっては特に性犯罪にからんだ話題であるときには、ルールそのものが崩壊するほど分析的思考が壊滅するケースもある。それは平等原則を根本から壊すほどのものであるが、それが問題なく通過する、あるいはしそうになるくらいである。

 また、現代フェミニズムはツイッターのバズツイートなどを筆頭に、女性が酷い目に遭っている、それを撃退した話と言ったような嘘か誠かわからないような話によって、より多くの人間の感情を揺さぶることが出過ぎている面も強いため、ますます感情を抑制できるような資質のある人が必要なのである。

 感情に支配されやすい面、フェミニズムに至るまでに感情が強い動機であればあるほど、フェミニズムに必要な資質が欠如している。

2 想像力に乏しく、考えるのが苦手な人。

 思考力、想像力に乏しい人も基本的にフェミニズムを避けた方が無難である。

 通常、平等という概念を考える際には、原則的なルールもちろんだが、それを当てはめる際に、実に様々な問題や具体的事実があり、それに沿って問題解決をする必要性もある。複雑な事実を一つ一つ解決していくためには、杓子定規的な判断だけではなく、複数の場面及び状況に置ける解決策とその後の影響を考えなくてはならないケースもある。これらを考えるには、それなりの想像力というものも必要である。

 だからこそ平等というものは難しいのであるが、この過程を飛ばし、安易な思考回路を選択する者には厳しいだろう。ただ、フェミニズムにはそういった複雑さを無視し、安易に判断が出来るような手段や方法というものを用いてくることがある。

 そういった側面を色濃く写すものの典型的なものとしては、男性が強者であり、女性が弱者であるという二元論的な思考回路であろう。

 簡単に説明すると、男性であるのだから社会的に支配する地位であり、常に女性側を虐げるものなのだから、それを是正しなくてはならない。それなので、男性側は我慢をして、女性は保護されなくてはならないというものである。

 だが、当たり前だが男性であるからという理由で常に有利なわけでもなく、責任などがない訳ではないことくらい、少し考えればわかることだ。
 
 労働一つとっても負の部分を出すことは出来る。そもそも労働時間自体、男性のほうが多いのは挙げるまでもなければ、責任が重くなれば更に時間が上がったり、責任におけるストレスというのも多くなる。
 地位が上がれば上がるほど、失敗があったときのリスクも大きくなりやすいため、それだけでも相当のストレスになる。

 労働もしっかりとした職に就いていなければ、結婚もまともにすることも難しい。現代においても、男性が正規の職やそうでなくてもそれなり以上の収入を求められるのは周知の事実であるし、結婚が出来るかどうかの差にも収入の差が出ることもご存じの通りである。

 結婚できたとしても職を失えば、離婚する確率は上がり、その後も男性の幸福度が大きく下がったりもする。

 これくらいにしておくが、労働というモノ一つとっても、男性が大きな縛りを受けることを挙げる事が出来る。これだけの量があるが、果たして顧みられているのか?反対側がどうなっているのか、本当にその認識で正しいのか。

 ほんのちょっと考えることが出来ないと、最悪、こういった形で認知のゆがみを発揮することになる。

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 単純な物の理解しか出来ず、他者に対する無理解と不知というものも、フェミニズム界隈では後を絶たない。学ぶ力があれば、単純なことではダメだとすぐに理解できるはずですが、学ぶことをやめ、止まってしまうと基本的で単純なことすらもわからなくなります。

 学べないなら、避けた方が良いのです。


3 自己肯定感が満たされていないか、そのような状況になりやすい環境にある人

 この点については、二つの側面で適正の有無が判断出来る。

 自己肯定感が低い人の傾向としては、周囲への依存度の高さや他人に対してエネルギーを注ぐことが出来ないもの、自分は出来ないと考えがちなところがあるのだが、ツイフェミの中にもそういった感情が渦巻いているような人材を見かけることはある。
 特に、男性に対する物事の要求的な態度が強く、依存的ともとれる反応を見ていると、自己肯定感の低さを感じざるをえない。

 だが、フェミニズムというのは本来、女性の自立を目的としているものであり、自己肯定的、自立的であることが必須と言って良いものである。何か物事を成し遂げるにしても自己肯定感というものがなければ、女性の地位そのものをあげていくことは難しい。
 これまで紹介した事柄も含め、依存具合の高い人物がフェミニズムをやるというのは、本来フェミニズムには適していないものであり、やるにしても女性側が自助するための精神をも鍛える必要があるだろう。

 だが、上野千鶴子の例のスピーチを筆頭に、弱者のままでも認められるというような説法をするようでは、フェミニズムの本願は捨てられていると言って良い。

 もうひとつは、自己肯定感の低さを利用されることがある。これはフェミニズムというよりはカルト宗教や悪徳商法で出るような話と言って良いだろう。
 落ち込んでいるときや解決できるような問題を抱えているときなど、自己肯定感が低くなっているような状況や環境にある場合には、カルト宗教というのは狙ってくるというのは良く耳にすることだ。
 カルト宗教は、その心の隙間を埋めるような甘い言葉に弱いのだ。自分を肯定してくれる。
実に困っている人にとっては、満たされない自己を救ってくれるまさに神のような存在であるのだが、大概はいいように利用されるものである。カルト宗教信者の典型的な搾取構造の一つである。

 フェミニズムもそれに近いか、もしくはそれと同義なところもあるだろう。悪い人間は男性などといった別の社会にあり、今苦しいのはあなたのせいではない。女性であることを肯定し、価値がある存在であるという場を与えてくれる。
 深みにはまればはまるほど、否定するような意見を拒絶し、ますます他者の声を遮断することになるので、抜け出すまでに時間がかかってしまうのである。

 更にやっかいなのは、カルト宗教と比べるとフェミニズムは一定の肯定的な地位を有してしまっているところにある。一定の空間でどっぷりカルト的思考につかるようなことがなくても、マスコミ、雑誌、学者、などといったあらゆる人間が素晴らしいとことあるごとに喧伝してくるのである。
 法や政治にも保護されている存在でもあるのだから、仮に間違っていてもなかなかその情報を得ることが難しいようなこともある。一定の狭い空間だけにとどまらない。
 社会的に認められている部分があるからこそ、承認欲求をよりこじらせやすいのである。最初から近づかない方が良い理由がより強く存在している。

 なので、都合の良いコマになるくらいなら、最初からフェミニズムにいくことはなく、現実的に解決できる手段を用いて、少しでも良い状況を取り戻すべきである。フェミニズムに救いはない。


 ここまで、紹介した特徴があるのなら、最初からはまらないように距離を取っていただければ良い。誰でもひっかかるような部分はあるだろうし、まだ引き下がれば許されるような場面もある。
 無理せず、離れておけば大きな痛手を負うことはない。

4 後は

 後は、本来の本分を忘れて自分の利益をむさぼり、曲学阿世の徒となって世を混乱させるような事を広めたインテリや学者などの連中である。唾棄すべきほどの存在であり、到底社会的な評価にも値しないような人物である。

 端から見ていても、その辺の凡百にすら劣るような論理展開を繰り出し、よく知らぬものを扇動して、自分たちの利益に沿った行動をするために扇動する。確信犯的な行動であり、明らかに悪意と捉えられるような行為もいとわない。
 本当に自分の学問や信念を守るのなら、本分をねじ曲げるようなことをせず、公平な評価をし、間違った部分があるのならそれを指摘・是正し、ひたすら真理の追究に専念するべきである。でも、しないしできないのだ。

 勉強しようが、地位を上げようがこの程度のことしか出来ない。他者より知識も知恵もあり、努力を重ねていたとしても、やっていることはあまりに低いレベルにしか到達できない。これらの者こそがフェミニズムに一番むいていないのである。
          
                                以上

参考文献




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