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12 エピローグ 性犯罪に対して受け継がれる「怨念」のようなもの

性犯罪における厳罰という流れと、いくら性犯罪に対する根拠や制度などが間違っているとしても、容易に覆すことは難しいということを様々な事象や事例で説明してきた。

性犯罪においても、ここまで取り上げてきた事象の一つ一つは一見するとつながりがあるように見えないものや、人々が忘れ去ってしまっているようなものもあれば、すでに根拠として否定されているもの、昔の話過ぎてもはや通じないもの、お互いに相反するものなど。

実に様々な事象が入り乱れており、とても一つ一つがまとまっているとはわからないような感覚がある。

しかし、調べていけばどこか確実に「性犯罪は許さない」という強い怨念じみたようなものが脈々と受け継がれているものがあり、時を重ねるごとにその思いだけは忘れることなく大きくなっている。

多くの人が残してきた「念」のようなものだけは時代や場所、事象が変わったとしても脈々と受け継がれていく流れを見て、私は「残穢」という映画に近いものを感じている。

映画の流れを大雑把に表現すると、とある物件にて心霊現象と思わしき呪いの話を追っていくのであるが、関わった人物や住んでいたところを探っていくうちに、場所も土地も被害にあった人たちや死因なども違っている人がでてくる。

追えば追うほど、まるで昔から今までつながっているかのように「怨念」が受け継がれている。

性犯罪もそれに近いものがあり、被害内容も語り手も、事件にあった場所も取り締まる目的などもばらばらにも拘らず、性犯罪に対する処罰感情だけは時代や制度が変わっても大きくなっている。

この連載を進めていった際にも、どことなく同じようなものを感じるのだ。

映画でも下手に調べないほうがいいという話になったのだが、性犯罪も下手に調べるようなことや発言をすれば、何か呪いでも掛けられたかの如く調べた人にでも災いが降りかかってくるのだろう。

すでに紹介したように、まっとうに性犯罪について研究したものや事件に対する疑問を投げかけた者たちが、数多くの呪怨を浴びせかけたように。

怨霊よりも厄介な、人間が抱く負の感情の塊こそが、もっとも人から祓い去ることのできない怪物としてまつわりついてしまっている。

本連載を書き終えたわけだが、まだかける部分もあるだろうとはいえ、おおよそ問題になっていた論点はほとんど書ききれただろう。

過去に書いたものを中心に改めて性犯罪に特化している内容としてまとめたわけだが、まとめることで、情報がかなり読みやすくなったのではないかと思う。

そして、これを公表したからこそ、私自身にもいろいろな怨念のようなものがまとわりつくだろうが、真実を探求するということ及び誤りを是正するためには致し方ないことと思っている。

かなわないことかもしれないが、いつか怨嗟の連鎖を断ち切れるnoteになればという願いと同時に、このnoteが一人でも多くの人にとって怨念に対する護符のような存在になることを願いたい。

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