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社会人生活半年(弱)を振り返る。死にたいと思うことをやめられたか?


お久しぶりです。
今日はこの人目につかなさそうな時間帯のうちに、社会人生活半年を振り返ります。

まずは学生時代終了編から。
初期の記事、特に1,2本目を読んでくださった方はご存知のとおり、学生時代の私は嫌なことがあったら何かにつけて「学生最後の日3/31に死ねばええか、どうせ死なんし」で済ませてきた。
そうでも思わないと乗り切れなかった。メンタルが弱いので。

案の定死ななかった。

3/31、「信号無視した車に轢かれる以外、今日死ぬなんてあり得ないな」と思うほど穏やかに、長閑にランチを食べていた。

その日は天気が良く、死にたいとは1ミリも思わなかった。


4/1の0:00は大学の友達と電話をして迎えた。

「社会人になりたくない」
などと話しながら学生生活を終えた。
社会人って、大人ってどんな存在か分からないからさ。

小学生の頃は中2(14歳)が大人だと思っていて、その歳になれば自然と同級生の男の子と恋愛をするのもだと思っていた。
中学生の頃は高2(17歳)で、部活やら恋愛やらキラキラの青春を送るものだと思っていた。
大学生なんて、髪染めてお酒飲んで、自分で履修組むってなに?未知の世界。
社会人、いつも淡々と正論を連ねてきて抜け目のない堅苦しい存在。

いざ自分が社会人になると、社会にはポンコツだらけだなと思った。中学生も高校生も大学生も社会人も、
何も完璧じゃない。

おもんないな、社会人。


最初の2ヶ月は「死にたい」なんて考える暇もなく過ぎた。ただただおもんないと思っていた。

6月頃、一人暮らしを始め毎日病むことは無くなったが、病む時はとことん沈んだ。親元を離れたことの罪悪感に苛まれたのだ。いやお前が親元にいようがいまいが大した利害ないからwって話なんだけどもね。
死にたくて仕方なかった。

7月、基本的に病んでいた。
労働しながら、いつまで生きていないといけないのかと考えていた。毎日、明日こそは休もう明日こそは明日こそはと、結果、皆勤だった。
と言っても二度遅刻した。体が動かない。間に合う時間には起きているのに行けない。もうこのまま音信不通になってクビにしてくれと思っていた。
でも今日行かなかったら明日も行かないだろう、そしたら誰誰困るよな、と考えて、泣きながら向かった。
「顔が疲れてますよ〜汗」と心配してくれた言葉に、安心した。今日でもいつでも(精神的に)折れてやろうと思った。
遺書を書いた。何人にも宛てて書く。何通も何通も。これはとても良い方法だった。今の心のモヤモヤが晴れていく。悩み事が整理されるし頭のストレージに空き容量ができて、いつでも死ねるな、と気持ちが楽になった。

8月、引き続き病んでいた。
この頃から求人を見る時間が増えた。転職を考えている時間というのは死について考えているときとは真反対にあって、気持ちが楽だった。明るい方に向かっているのが分かった。
誰かが死んだ、殺された、自殺した、そんなニュースを見ては、この人はここ数日を何をどう思って生きていたんだろうと思いを馳せる。


そして私は、自分の死については考えている方だしそれなりの覚悟はできているものだと思っていた。
しかし先日、Twitterにも書いたが、家の鍵を玄関に挿しっぱなしにして一日中留守にしていたのだ。最初はまじかよwと思いながら鍵を抜いて、玄関を開けようとした。でも、ノブを引く直前に、中に誰かがいたら?と頭をよぎった。
それから職場の男の人に電話を繋いでもらって、開けようとしたけど、包丁で刺されたら…とか考えると怖くてどうしても開けられなかった。
スマホの充電もなかったから仕方なく、最寄りの交番に行って着いてきてもらって一緒に入ってもらった。(警察の方々、納税者の皆様、すみませんでした。)

一安心。したのも束の間、どデカい鬱が押し寄せてきた。日頃から死にたいと一丁前に考えてるくせこういう時は生に執着すんのかい、と。
本能的に仕方ないのかもしれないけど。そもそも自死と他殺では意味が全く違うしね。


なんかもうめんどくなってきたや。

なんだかんだうるさい大阪のおばちゃんになるまで生きてんだろうかね。その頃には生きる意味を見つけられていたらいいんだけど。

お腹すいたからなんか食べて寝るとするよ。みんなもお腹いっぱい食べてあったかくして寝るんだよ。

おやすみ。


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