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「人生で一番楽しかった時期は?」

以前テーマを募集したところ、嬉しいことにご要望をいただけたためこれについて書こうと思う。

即答で「留学」と言う。

億が一 初見さんがいた時のため説明しておくと、私は大学2年生(ほぼ3年前)で4ヶ月間の留学を経験した。


ここでリクエストくださったIWKNさんに残念なお知らせがあります。彼は私が楽しかった時期に何をどのように感じて過ごしたのかに興味を持ってくれたのかもしれないけど、自分でも悔しいことに覚えてないんだよな。

これは当然のことで、人は退屈になるとロクなことを考えない。暇を持て余すとネガティブな方に思考を張り巡らせるのに対し、(少なくともポジティブな出来事で)忙しくなるとnoteに書き連ねる程度のことは考えなくなる。

だからこのnoteでは、ここぞとばかりに留学体験談を書き、最後にこの問いの答えをもう一度考えようと思う。


まず1年生の6月、初めて大学国際部の門戸を叩いた。「留学行きたいんですけど、なんか奨学金ないですかね?」と言ったのを覚えている。この時点でなぜか私は「これは学部生には難しいと思うよ」と紹介してもらった制度に採用してもらえると信じて止まず、夏休みは毎日大学に通っていたし、冬休みは先輩や職員に圧迫面接で泣かされた。途中何度も諦めようと思ったけど、2月、合格の通知を受けたときの喜びは今でも忘れられない。

がんばる自分カッケー‼︎と思っていたと思う。

私の留学計画が世界でいちばん、計画的で、独自性があって、熱意がこもっているんだと自信に満ちていた。

何でもできる気がした。出国日、現金持ってる?汗拭きシートは持った?と不安げに構ってくる母親をお節介だなあと感じた。離陸するとき、体が重くなるにつれて期待は膨らんだ。


到着するやいなや、学校のタームが始まるのも待たずして地元のソーシャルバレーボールチームに参加した。

やっとの思いで行けた留学。一日も無駄にしたくなかった。学校が始まれば放課後は、バレーボールをしたり、BBQをしたり、往復3時間かけてボランティアに通ったりした。どうしても予定の埋まらない日があると、近所のフードコートで他人に話しかけていた。今考えると奇行である。
私の行った国の学生ビザは、学校の出席率が80%を切ると強制帰国させられる。単純計算、週1で休めるし、午後から出席すれば午前を週2で飛べるのだ。だから平日の飲み会も2回までなら必ず参加した。奇行エピソードを語るとキリがないからここら辺でやめておくよ。

そうやって自分は放課後日本人だけで出かけてばかりいる愚かなクラスメイトとは違うと言い聞かせていた気がする。

友達と出かけるのはとてもエネルギーを消費した。日本で出かけるのでもかなり疲れるのに当たり前だよな。さらに3ヶ月が経つと「あれ、もしかして英語力伸びてなくね?」と疑問が生じる。明らかに伸びている。はずだけど焦りが出てくるのだ。

もっと勉強しなくては、と一日のご褒美に見ていた東海○ンエアの動画もやめ、友達とより長い時間を過ごすようにした。

最後の方はあと○日で解放される、とも思った。金銭的事情で4ヶ月という長いとは言えない期間になったが、その程度で助かった。私の留学はエンジン全開で、ガス欠を起こす直前で帰国することができたのである。


振り返ってみると、楽しかった瞬間よりも苦しみ耐え忍んだ時間の方が長かったかもしれない。

けど、トータルでみると絶対に楽しかったのだ。楽しかった経験として記憶に残っている。それは頑張った前提があるからなんだ。部活でも日々の練習は辛いのに試合や本番が楽しいと感じるのと同じだね。


結論、人生でいちばん楽しかった時期の記憶はここに書くに足らない。ゴメン。けどその記憶は全て鮮明に残っている。

きっと私は頑張っている自分に酔うのが楽しいと感じるんだろう。またあの時みたいに何かに全力で頑張り、自分に酔える時期がくるといいな。


そして、サムネイルの画像は現地で食べた親子丼である。自分は今まで親子丼を他の料理と勘違いしていたのかと不安になる一品だ。

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