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学歴厨は語る。「この4年間は宝物だ」と。


何を隠そう、私はそれなりの学歴コンプを抱いている。
でもこの4年間は、宝物だ。

1年生の、月曜1限の英語や慣れない高いヒールでの登校、夏休みの蝉の声だけが鳴り響く第二学舎、時間ギリギリに行くと人がいっぱいで友だちと座ることを諦めた大教室。

2年生の、平成最後の○○ストーリー、英語力の低さに打ちのめされた日々、久しぶりに我が家のピアノに触れて如何にそれが好きで不可欠な存在であったかという気付き、退屈な成人式。

3年生の、文句を言いながら受けたオンライン授業、苦痛でないどころか快適だったステイホーム、この自分が巨大な鉄の塊を動かしているという事実に震えた教習、下手クソな自己PR。

4年生の、病みつきになったやよい軒のチキン南蛮、行くたび変わる○大前のタピオカ屋のラインナップ、最後の3日血眼になって巻き返した簿記3級、雨の降った卒業式。

全部ぜんぶ言葉だけでは表しきれない、感覚として染み付いた私の大切な記憶だ。

こんな経験をさせてくれた両親に感謝します。


さて、学歴コンプだという話。

まず私立大学であることに劣等感を感じている。

とは言え私はセンター試験のセの字も知らない。
知らないのだ。マーク形式であることしか知らない。何科目あるのかも何点満点かも知らない。

「えっじゃあ推薦なん?」
と言われると「うん、そんな感じ」と濁すことさえある。

さらに悍ましいことに中高大一貫校、いわゆる「ディープナイバー(深淵の内部生)」なのである。

そんな中学校に入るのも難しいはずだし一貫校とは言え進学できるの凄いことだよ!と言ってくれる人もいるが、
んなわけないやろがい‼️一般もしくはセンターで入ってる奴がすごいに決まってるやろがい‼️
と思っている。

ふう、私は何の努力もせず金にモノを言わせてきた甘々ちゃんだと思われたくないと言うのだろうか。(この記事はディープナイバーを否定するために書いたものではありません。)実際はそうでしかないのに。

そうなんです。

そう思われたくなくて必死なんです。
裕福な家庭じゃなくて、奨学金は数えきれないほど利用してるし貸与奨学金は機関保証だし奨学生であり続けるのは楽ではなかったし、とか、
留学もただの金持ちじゃなくて、費用の半分以上をも給付奨学金で賄ったしバイト代だし、とか。

なら勉強して国公立行けよという話なんだけどね。(けどまあなんだかんだ国公立の校舎とか古いイメージあるし私立の方が性に合ってたかなとは思う。)


インスタにみんなが載せる「10年間ありがとう○大」的なやつ、よく載っけるなと思っていた。
嫌味でなく、それだけ○大やご両親に素直に感謝できるところはとても尊敬する。いや私も感謝はしてるけど恥ずかしいが勝ってしまう。

まあそんなSNSで言いふらせるか否かは大したことではない。なぜなら私は大学のこの4年間は本当に通ってよかったと胸を張って言えるからだ。

ちょくちょく苦労をして通った4年間(奨学金うんぬんで言うと6年間)にはそれ以上の価値があった。

まず、義務教育を終えてまで親が学費を払ってくれるのが当たり前と考える横暴さが消えた。
そして、学ぶことは贅沢あるいは幸せなことであること、全てくそ真面目に学ぼうとせずサボること、学びは自身を強くすることなどを学んだ。

私はまだまだ弱い人間だけど、学生でもなくなってしまうわけだけど、今後も学ぶ姿勢は忘れずに死ぬ日までを歩みたいと思う。

私と同期の皆様、それぞれの進路先でのご活躍とご健康を、心より願います。


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