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【気付き】節度を保つということ

「節度」とは、「度を越さない、適当なほどあい。」という意味です。
「節度を保つ」を、一つ人生の指針としたいなと思いました。

「節度を保つ」ことで自分に気づく

単に、節約したり贅沢しないという意味ではありません。自分にとって大切なものを見極められて、それに集中するということ。また、節約等も自分を苦しめる行為であるなら、それは節度を保てていません。

欲求が暴走することで、苦しみが生まれます。あれが欲しい、こうなりたい、認められたいなど、行き過ぎた欲求は私たちを苦しめます。一旦、足元を確認して自分が欲求に飲まれていないか確認すること、そして、本来の自分から離れていることに気づくことです。

目標に邁進している最中も注意が必要です。「やり過ぎていないかな。」と一旦立ち止まって考えて見ましょう。自分の状況に常に気づくことが大事だと思いました。

邁進することは時には必要ですが、いわゆる「べき思考」にも陥ることがあります。「こうでなければ」「まだまだ足りない」「こんなに結果を出したんだから、認められて当然だ」いつの間にか、自分の首を絞めることになります。

気づきのない集中は、感性を麻痺させます。ここでは、感性とは、「外部からの刺激に対して、気付き、深く味わえる能力」とします。気づきがないと、小さな幸せを感じることができなくなります。幸せでの「小さい」というのは、「大きい」よりも劣っているということではありません。感性がある人は、小さな幸せに気づき味わうことで、結果、人生を堪能することができるのです。

「余裕」を作るのは難しい

日々の生活で節度を保つために、自分の状況に気づいていく重要性を話しました。気づくためには、「心の余裕」が必要です。社会で生きていると日々忙しく、忙殺されて、余裕がなくなります。余裕を持つことを不安に思うこ場合もあるかもしれません。「仕事をしなきゃ」「成果を出して成長しなきゃ」「お金を稼がなきゃ」。
でも、それは自分にとって大切なことから目を背けようとしているだけかも。本当の見たくないものに気づくことを恐れているのかもしれませんね。

みんなが節度を保てれば。。

世界中の人が節度を保てれば、世界は良い方向へ進むでしょうか?わかりませんが、私個人が生きるだけならとても幸せに生きられそうです。仕事もほどほどに、稼ぎすぎず、使いすぎず、疲れすぎず、サボりすぎず、欲張りすぎず、余裕を持って小さな幸せに気づくことができる。それで小さくてもいいから人に何かを与えられたら万々歳です。

資本主義社会では、競争し成長することが正とされます。もちろん、そのおかげで私たちの生活は豊かになった側面もあります。しかし、そうした世界の中で、「成長しなければ」とか、「市場価値を上げる」とか本来の人間には関係のなかった概念が生まれました。

人間は自分達の手元を見て実現できそうなことを実行する能力はあるが、それが私たちや外部に及ぼす影響を予想するのはだいぶ苦手なようです。

散文ですが、今日の気づきでした。頑張りましょう!

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