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【1ヶ月書く日記】メテオ【18日目】

 気分が良い。


 こういう時こそ何も書かないべきだ。


 文章を書くという行為には少なからず鬱屈さが伴う。日常生活の中で生まれる煮え切らない思いや、答えのないがんじがらめな葛藤、自己陶酔か他者への僻み。

 発端は色々あれど、共通してネガティブだと言える感情を燃料として投下し、ダイオキシンに似た不快で有害なため息を排出しながら製造する。文章ってそんなものだと思う。あくまで自分の中では。

 清々しい気分の時につらつらと書くべきではない。

 自分が文字を打ち込むときは、心の内側で溜まりに溜まったドロドロを細かくちぎり、ねり消しのようにこね混ぜる。一緒に出てくる臭いやらまとまらなかった黒いカスも共に取り込んで、さも偶然の産物ですと言い張るかのようにして、作られた歪な球体を完成させるんだ。

 今の自分には書かないという選択肢しかない。

 そうやって誰にも見せるでもなく、机の上に転がっているいくつもの無名の作品たちは、連日の寒さで乾燥しきってダメになっている。放置された紙粘土のようにカサカサで、くすんだ灰色の丸い物体。時々、気まぐれに一つ掴みとって外へと持ちだし、星の見えない夜空に向かって真っすぐに投げてみたりする。

 でも、やはり思い立つ時もある。書きたい言葉を。

 上へ、上へと、ひねくれた自分のコピーが跳ねる様を見るのは楽しい。等速で上昇と落下を繰り返す不安の塊。でも周りから見ると、実際には何も映ってはいない。誰にも、何も見えない。透明の丸い物体を投げている。

 今の自分には書くことしか出来ない。


 自分しか知りえない感情なんて透明だ。例え手に持っているのがカラフルなボールだったとしても、誰かに向かって投げていないのなら、その行為は単なる壁打ちだ。壁打ちという言葉が指し示す意味以外には、何も持ち合わせていない。何も生まれやしない。

 一人遊びに飽きたら、いしつぶてをどこか遠くに放り投げて、さっさと部屋に戻って横になる。それだけだ。今日はそれだけの一日だった。そうさ、伝えたいのはそれだけだ。

 本当にこれだけか?