【同人】承認欲求から解き放たれた過程

10年ぶりぐらいに妹に会って人生相談を受けてきた。
承認欲求のバケモノから脱出するにはどうしたらいいか、仙人(私)の考えが聞きたいとのことだった。

思い返してみると、女子高生の頃はSNSに載せた絵に反応が少なければ病みまくり、褒めてもらっても「それは褒められた時点の私への褒めで、時間が経った今の私はどうかわからない」という考えでまた病み、褒められても褒められても満足せず、毎秒感想を欲しがっていた。褒めてくれた方への気遣いもない、かなりのモンスターだった。

それが今や卍感想いらん卍
フォロー1桁、フォロワー4桁アカウントにまでなった(友達は、ほしい)
どうやってこうなったんだっけ……正直あんま覚えてない、が……

■気付き
これはなんとなく覚えているが、承認欲求のバケモノとして感情に振り回される生活をしていることがバケモノ自身も疲れてきて、
・自分でコントロールのできない他人を軸を置く考え方は不毛
と、どこかの時点で天啓のようにハッと気づいた。
こんな私でもネット海のお姉さんたちにかなり優しくしてもらっていたが、そもそも他人は他人。私を褒めてくれるかどうかは気分にかかっている。そんな不確かなものに縋っていてもなんの意味もないぞと気づく。

■諦めと見極め
これは良し悪しあると思うんですけど、絵が上手くなってちやほやされたいよ~(泣)という欲求に対して「でも努力は辛いよね?」と思った。そして私にとって創作とは何かを定義することに。
「私にとって創作は趣味。趣味では私は楽しいことしかしたくない。わずらわしいことは全部やめる!」
努力して成長するのが楽しい!という人もたくさんいると思う。創作のどこが楽しいかは人それぞれなので、自分にとっての楽しさがどこかを見極めたという感じかも。
私は自分の妄想をギリ読める形にできて読めたら楽しい。それ以外は諦めだ!!
苦手なペン入れはやめてシャーペンだけで漫画を描くようにした。背景も描かない。楽しい部分だけやる。そうすると「努力してないし、雑なシャーペン絵だし、それ相応の評価しかなくて当然」「でも楽しいので私にとってはかなり価値のある時間」となり、他者軸から自分軸になっていった。気がする。

■反面教師
感想を貰っても一瞬で食べて次が欲しいよ~(泣)とヘラって迷惑をかけていた。
しかし!あるときTLで読み専さんが「A×Bないよ~(泣)」とツイートしているのを目にした。あるぞ!!!!!!!!???!?
作品はある。でも新作が湯水のように投稿されるカップリングではない。自分もそうだが読み手の時、読んだ作品は読了済となり、萌えが留まらず新規作品が摂取したくなる。それが無いと「ないよ~(泣)」と言いたくなっちゃうのだ。めっちゃわかる。でも描き手の時は「私はこまごまと描いて投稿してるよね。作品一覧にあるもん。大手さんの作品しかいらないってこと!?」と思っちゃうよね。
その時にハッと、自分も感想を消費してしまっていたな……と気づく。感想だって作品だって何度も読み返して味わえば良いのだ!!
というわけでもらった感想を覚えるまで何度も読み返すことにした。そしてこれも人の影響だが、心の中でも謙遜するのをやめた。「私なんてそんな~下手で……」より「ありがとうございます~!私も私が好きで~!」のほうが感じ良いし友達になりたくね?と気づいた(人それぞれ好みあると思います)
なので見よう見まねで頂いた感想に関しても読みながら多少自意識過剰に、うんうん!わかるわかる!と素直に言葉を受け止める。それを続けたら頂いた褒め言葉が心の穴からすり抜けていかず、どっしりと積もって私を形作った。もらってももらっても消えていくものじゃなくなり、感想があればプラスで嬉しいが、無くてもマイナスになることはなくなった。何故か。

そんな感じで考え方や習慣を変える意識をしていったら、気付いたら『承認欲求のバケモノ』から『LINEの返事遅すぎて彼氏に立て続けにフラれまくる女』になっていた。ひとりが楽しすぎるため……。
現在友達も2人ぐらいしかいない。
バケモノの時は逆に、何故かバケモノをヨシヨシしてくれるコミュニティに属し、友人複数人に恵まれていた(のちに大喧嘩して絶縁しているが……)

なので、なにが正解かよくわからないけど……まあ、楽しく創作したいよね……!




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