脱糞について本気出して考えてみた
「糞を脱ぐ」
いや、「大便をすること」の能動的な言い方が、「排便」であるとすると、
受動的な行為である「脱糞」は
糞が「脱げる」
と表現するのが正しいのかもしれない。
というわけで、今日は脱糞について語るとしよう。
◼︎ 本題
小便の排泄も快感を得られるのだが、大便の排泄はまた別次元である。
体積・質量の問題であるのか、形状に依拠するのか、あの感覚は代替できない。
クリトリス、Gスポット、ポルチオか射精か
性感帯における *オーガズム に匹敵するような感覚であるか、あるいは私にとって、排便はそれらを超えてくるモノなのか。
私はよく排便を我慢する。
それはこの忍耐の末の排便の快楽が、とてつもないものであることを知っているからだ。
便意の我慢は「性的緊張」に似たものであるようにも感じる。
排便時の強い快感から弛緩した、ゆるんだ状態になるというのもまた、オーガズムに通ずるものがある。
軟便・下痢は、更にまた別種の感覚をもたらす。
通常便に比べ、これらはコントロールが難しい。
自ら排便を我慢して…などという領域はとうに越えてしまっている。
ただ屁をこくつもりが下痢が漏れてしまった…これこそまさに脱糞の真髄と言えるだろうか。
今日は腹がゆるい…これは死活問題だ。
過敏性腸症候群などは、これまた大変恐ろしい。
ただ、この「下痢の脱糞」…緊張からの緩和・骨盤周りの筋肉の痙攣をもろに感じる。
まさに、オーガズムの最たる例の1つであるように思えてならない。
特に外出中、下痢の流出を抑えた末の便快楽は、これまた至高と言っても過言ではないだろう。
◼︎ そして…
さて、この度私が脱糞について語るに至ったのには、実は訳がある。
ある凄惨な事件が私に、脱糞について考えることを強いたのである。
次回はこの事件について語るとしよう。
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