ショートショート恋
彼女には、PCR検査で訪れたパリの検査機関で出会った。
日本に帰国するために陰性証明書が必要だった私は、その検査所に行き着いた。
受付をしていた彼女を一目見て思った。
「話しかけねばならぬ」
と。
もちろん患者/顧客としては彼女とコミュニケーションをとった。
しかしながらそれでは不十分だ。
ポンパドールと言うべきか、ちょんまげと言うべきか
そんな彼女の髪型、顔に低い声
いまだ座り姿しか見ておらずという状態でも、揺らがぬ事実が厳然として存在していた
「タイプである」
と。
この機会を逃しては2度と会えないだろうと考えた。
今日検査をして、検査結果や証明書を受け取りに、明日またここに来なければならない。
明日私がここに来た際に、彼女が勤務しているという保証はない。
パリか東京か、はたまたどこかで彼女に偶然出会うことがまたあるかもしれない。
まあ言うてもおそらくそんなことはないだろう。
彼女とまた会うためには、ここで接点をつくらねばならぬのだ。
しかし現在、私の体調はすこぶる悪い。
鼻水は滝のように溢れ流れ、くしゃみはとめどなく私の頭を上下させ、高熱はさらに、私の天才的思考力にケチをつける。
このような状態ではコミュニケーションに難ありか?
通常時であれば、めくるめく私の話術で彼女の心を射止めただろうか、一抹の不安が残る。
それでも、今日の私の容姿コンディションはOKと言えるだろう。
スーツは決まってるし髪型も悪くない、肌の調子も悪くなければ身長はいつもながらに十分だ。
それではなにを躊躇することがある?
彼女に拒絶されることを恐れるか?
隣にいる彼女の同僚に嘲笑われることを恐れるか?
(いやおそらくこの同僚は、私をタイプだと思っているに違いない。)
待機している他の客人に異質な目で見られるか?
このようなことは幾度となくあっただろう。
ときに苦笑いで断られ、ときには怒られ、ときにはビンタをされることもあった。
それでもときに、その先が見えたこともあった。
何故いまここで行動を起こすことに躊躇する?
いわゆる成功も失敗も、笑いも悲しみもこの行動の先にあり、それらは私の経験となり血肉となり、私を形成する。
ここで何かをしなければ、後悔をすることになるだろう。
それでもまだ動くに至らないのは、体調不良であるからか?
それとも、動くに値するほど彼女は魅力的でない、か?
行動に至る際に、毎度このような思考をしていては埒が明かぬ。
とはいえ確かに私は、歯磨きをするにもシャワーを浴びるにも、その行動に至るまでに時間がかかるのだった。
トイレに行くにも、今起きるか寝るかについても
腹が減ろうが痛みがあろうが
それらを無視してでも私は今
「思い悩むことに熱中している」
のであった。
そうして考えているうちに、もう色々と面倒になって私は検査所を出た。
そのまま帰ろうかとも思いつつ、検査所入り口の前にあったベンチに腰掛け、考える。
「いや、やはり何かしなければならぬ。」
そう思ったのも束の間、やっぱ今日はもういいやと帰路についた。
と、その途中で財布がないことに気づく。
まずいぞと不安になりながら、検査所までの道のりを戻る。
案の定、財布はその検査所に忘れていたのだ。
入り口のドアを開けると、彼女がすぐに話しかけてきた。
財布を忘れてたからメールも送っておいたよ、と。
(検査に関する情報伝達のために、事前にメールアドレスを教えていた。)
優しい心遣いを有難う。
彼女から、忘れた財布を受け取ってすぐに帰ろうとしたが、考える間もなく、私は彼女に尋ねていた。
もしよければ、今日仕事終わりにどこかで遊ばない?
パリを案内してくれたらとても嬉しい
とかなんとか。
タイプであるとかどうとか、そんな話を伝えたのだっけか。
その上彼女が断った理由も、なんて言っていたか覚えていない。
少々のフランス語と、彼女にとってそう使用頻度の高くない英語を話す、日本人である私。
パリを訪れる他の日本人が、どのような振る舞いをしているのか。
詳しくないが、彼女にとってこれがひとつ、なにか面白い経験のようなものになっていたら、彼女の仕事に少しでも、なにか楽しみを与えられていたのなら幸いだ。
彼女と話していた際のあの笑顔と、隣にいた同僚のニヤつきを思い出す。
(この同僚はぜったいに私を狙っていたと、断固として主張したい。)
迷惑であったか、それとも喜ばしいものであったか
考えうることは山ほどあろう。
それでもあのとき私の心拍数は上昇し、ドキドキなるものを感じていたことは、事実であると解釈する。
今後私がどうなろうとも、恋愛であろうが友情であろうが、ビジネスであろうがギャンブルであろうが、何であろうとも
このドキドキに執着して生きることに、変わりはないだろう。
月並みなまとめをして筆を置くことに不満を感じつつも、ここで
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