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アプリにはまる

自分で操作する遊びで最後にすごいと思ったのは「あつまれどうぶつの森」で2020年の春に発売されたゲームです。
あのゲームでの操作は、わたしが小学生の頃に感じたことのある、海に潜る感覚、海からあがるときの身体が重たくなる感覚を思い起こさせてくれました。2020年の夏の間はずっと魚を釣ること、海に潜ることに夢中になれていたと思います。

それからしばらく、わたしは自分でなにかを操作する時間をあまり持たなくなっていました。

ところが!
ここにきて、たいへん夢中になっているアプリがあります!
2024年の1月23日にiPadにダウンロードしてからずっと、それについて考えており、それについて考えをめぐらさずにはいられない状態がかれこれ3週間つづいているのです。

朝歩いている時も、夜歩いている時も、家事をしているときも、いつもずっとこのことを考えていますし、友人に伝え、知人に話し、ご近所さんにも喧伝し、ついにはレポートをはじめ、言葉をふせんに抜き書きして並べ替えてみたり、なんだりしているのにまだ足りないという気持ちがあるのです。

このアプリを教えてくれた人にそのことを伝えてみたところ、Youチューバ―になれば良いのでは?と提案されたのですが、そこまでの元気はまだないので、アカウントをすでにもっているnoteに飽きるまで綴ってみることにしました。

どのくらいハマっているかといいますと、中学生の頃に夢中になったスーパーファミコンのゲームくらいには余裕でハマっているのです。
こんなことってあるん??という気持ちと、
こんなことになるには絶対に理由がある!という気持ちが錯綜し、
永遠にBGMで聞き続ける毎日です。
スーパーファミコンのゲームもファミコンのゲームもCDやカセットテープをずっと聴いている毎日だったことと同じように過ごしています。
アプリとAppleMusicで毎日∞再生。

音楽を聴き続けることで、その世界で得た感覚もついでに再生して、アタマをチューニングして、よりそこに焦点を合わせていくと、
歩きながら泣きそうになるのがデメリットでしょうか?
でも、音楽にはそいういう感覚を再現する強度があると思っているので、
昔、言葉をつづる時間が多かった頃は、ずっとその言葉がある世界の音楽を聴き、ちゃんと合うものになっているといいなと思っていました。

かつて夢中になったものと同じ興奮を得られないかとずっと追い求めているけれどたどりつけないという話を聞いたことがあって、
それは、いろんなものがリメイクされていることからも、多くの人がもつ夢と希望なのだろうと思うのだけれども、
わたしとしては、時間の中を人間は生きているのだから、感覚をかつてにチューニングするのは相当難しいのだろうなぁと漠然と思っているだけでした。

ところが。
このアプリを作った人は、かつておもしろかったものの源泉がどこにあり、それがなにゆえうまれたのかを検討し、それと同じものがいま現代においては何にあたるのかということを突き止めて、でもそれはかつてのそれと同じであるような位置づけにはいないので、アプリの中の位置づけをいまの世間での位置づけとはちょっとずらして設計してから、くりだしてらっしゃるのではないかと思うのです。

まぁ勝手に思うだけなんですけれども、なにも根拠はないし、根拠はわたしの感覚だけなので。

でも、そいういう感覚が得られたってだけで夢があると思うんです。
というわけで、これからしばらく飽きるまで、感覚と発見の話をしていきたいなと思っています。

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