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捨てるということ。

ピアノを処分した。
実家から持ってきた電子ピアノだったけど、持ってきたはいいけど、やっぱり場所がなくて処分しようと思っていたのだけど、
ピアノの専門業者には型番が古いからと引き取りを断られ、処分業者に頼むと数千円では効かない。では粗大ゴミとして出すかと思ったけれど、本体が重くて一人では運べない。というかなりストレスの溜まる状況だった。
メルカリにでも出そうかと思ったけれども、分解して保管してあるので写真を用意するのが面倒すぎて、つまり放置していたのだった。

放置しておくストレスが実行ストレスを凌駕してきたので、それではということでダメもとでジモティーに掲載してみた。
だって、古いのかもしれないけど、問題なく使えるし傷もほとんどない、キレイな状態を粗大ゴミとして出すのはなんとも嫌な気分だったのだ。
するとどうだろう、ジャンク扱いで写真も無く、取りに来てくれる人限定で募集したというのに、次々と連絡が来るではないか。
よかった、やっぱり、ピアノの練習はじめたいけど高価なピアノは購入できない、新しい型じゃなくて全然構わないからお手頃に手にいれたいという人はいっぱいいるんじゃないか!しかもこの週末にすぐに取りに来てくれるという。

メッセージのやりとりの中で、カンで本気度が高そうな人に決定し、他の方にはその旨メッセージを送り、そのままやりとりで調整すると、次の日には本当に大きい車で取りに来てくれた。しかも安いといって感謝までしてくれて、こちらこそ、ありがとう!という気分だった。いや、本当にストレスだったので、スッキリした部屋を見て今テンションが上がっている。

ということで思ったのは、いらないものを処分するということにはいずれにしろコストがかかるのだよなあということで、もしも今回処分業者に頼んだら金銭的コストが発生したのだろうし、結果として直接的な金銭コストが発生しなかったけれども、実際見知らぬ人とメッセージのやりとりをするという心理的・時間的なコストが発生しているし、そもそも取引相手がうちに取りに来てくれているという時間的・手間的なコストが多いに発生している。
放置するとそれはそれでスペースを専有するというコストが発生するし、そう考えると不用意にものを手にいれるということは、その周辺コストごと引き受けるという話だよなあ・・・などとコストコストと考えていたら。

人間関係の断捨離をする人というのも、もしかして、放置・もしくは付き合い続けることによって心理的コストが発生しているから、処分コストを払ってまでも整理するということなのだろうか、というところにまで思考が飛んだ。

モノも人間関係も断捨離を進めていくと、「好きなもの」だけに囲まれて暮らせることになるのだろうか?
それを判断するにはもう少し時間がかかりそうだ。

とりあえず次はちゃぶ台を処分したい。

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