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プロレスマスクと雪の夜。

どうも、覆面シンガーソングライター、岡本健太郎でございます。

私、シンガーソングライターをやる前はプロでドラマーでした。
で、CD作ったりしてるうちにあれよあれよとシンガーソングライター化していき、それならばと一念発起して飛び出した東京にてプロレスマスクを作る特殊技能を育みました。

で、気がつけば覆面シンガーソングライターとして、マスクを被りドラムを叩きながら歌を歌うという奇妙キテレツな姿とあいなってしまいました。

まあ、これまでの人生を総括しつつ舞台上で表現しようという心意気を鼻で笑いながら見てくれたら私はもう感無量と、そういうわけですね。

で、なぜ、プロレスマスクを作ろうと思うようになったかというと、
これはもう気分ですよね。歴史を辿ると、小学生の頃に初代タイガーマスクをVHSで見て、すごく憧れました。
体育の授業はみんなでバスケだバレーだとやってる時に一人で倉庫に忍び込んでそこにあるフッカフカのマットの上でドロップキックとかローリングソバットの練習をするほどには憧れました。

もちろん、時代が違うのでタイガーマスクなんて知らないみんなからは「岡本はバカだ。」と空き缶を投げられたりもしましたが「お前ら、俺がタイガーマスクになったらスペースフライングタイガードロップで全員リングアウトじゃ。」という謎理論の謎反論で自我を保っていました。

ちょうどその頃、マスクに憧れすぎて家にある手頃な紙袋に穴を開け、絵を描き後頭部に靴みたいな構造を作って取手の紐を通して被り、家で一人タイガーマスクごっこをしていました。

(親が母親しかおらず、しかも夜の仕事をしていて家には一人だったので好き放題してました。)

で、高学年になった頃ようやく初めて「マスク」という魔法のアイテムを手に入れることができたのです。その時初めて買ってもらったのが「アトランティス」というメキシコの選手のマスクで、今思えばあれは量産されたもののような気がしますね。決して選手用などではなく、ざっくりと試合用っぽい生地で作られたものって感じのやつでした。が、まあ嬉しくて嬉しくて仕方なかったのを覚えています。

タグがついていて、「マルティネス」というメキシコの老舗メーカーのものであることがわかりました。

中学生になると、大阪まで一人で遊びに出て当時あった「ソルナ」というお店でメキシコの「ブシオ」というメーカーの試合用マスクを買い漁りました。当時はタイガーマスクと言うと、「プロレスマニア館」というショップが全盛でタイガー1枚55,000円くらいの値段がついていました。
まあ中学生の僕が逆立ちしても買えないから、メキシコの選手に詳しくなっていきましたね。あの頃。

あの頃に買ったマスクが今でも手元に残っていたら、結構なコレクションでしょうが、残念なことに暴君だった僕は夜になると小林邦昭(初代タイガーのライバルで、タイガーのマスクをビリビリ破る小憎いヤツ。)が憑依してマスクを破いていましたので手元には一切残っていません。

とほほ。

そんなこんなで大人になって、自分でそれなりにお金を使えるようになった頃には世の中ではタイガーマスクの値段というのは崩壊していました。
それは要するに自分で作る、いわゆる「自作屋さん」というのが跋扈していてまあいろんなものがいろんな値段で売られている混沌とした状況があったわけです。

僕もそんなこととはつゆ知らず、「おお!タイガーがこんな値段で!!」と思って飛びついて、届いたマスクを眺めながら、「なんかおかしいな。」というのを繰り返し、なんとか審美眼を磨いて行ったようなところがあります。

でまあ、そんなことがひと段落した時に、私にとってとてもデカい出会いがあります。

それは、あの当時僕がVHSで見ていたあの初代タイガーマスクを生で作っていたマスク職人、豊嶋裕司氏との出会いです。
最初は人を通じて、少し頭のでかい僕は「大きいサイズで作ってください」なんてオーダーをして念願かなってタイガーマスクを一揃え作ってもらうことができました。

あの当時に佐山さんに作っていた本人のマスクですから、
何の文句もなく、本物のマスクです。

大興奮でした。

程なくして、僕は彼と直接お電話をする機会に恵まれました。
ど緊張ですよね。自分の車の中から、教えてもらった豊嶋さんの携帯にお電話をかけました。

「はい、シマスポーツです。」

緊張の数コールを待って、渋い声です。

はっきり言ってどんな人かも分からず、気難しい人という噂もあったので構えていたんですが実に気さくなおじ様でございまして、気がつけば1時間、すごくレアな当時の話をたくさん聞かせてくれました。

そんなこんなでいろいろな話をオーダーを入れる合間にしている時、
豊嶋さんがこんなことを言いました。

「自分で作ってみれば?」

思っても見なかったし、どっちかといえば否定していたことです。
自分は生まれた時から不器用だ不器用だと言われて育った方ですから、自分に裁縫、手芸、洋裁の類は絶対に無理だとおもってたわけですね。

最初は「いやあ、不器用ですから。」と高倉健みたいなことを言ってたんですが、豊嶋さんの言葉がどこかに残っていたんだと思います。

そして2019年の11月末日、僕は近くのハードオフで可愛らしい家庭用ミシンを買って初めてマスクを作り始めたのです。

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そして、何となくの知識で作ってみた型がこちら。

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そしてこう。

おそらく普通は、何らかの型紙をどこからか入手した上で作りにかかるんでしょうが全くノーアイデアで手探りでやり始めたものでちょっと試行錯誤でしたけど、最初は我流でやるというのはドラムにせよ何にせよいいことかもしれません。最初から人に教えてもらったのでは当たりようもないエラーがいくつもあって、それは自分の知識になりました。

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二作目の「猫男爵」家庭用ミシンも、初めて使うもので何が何かわかってないのがよくわかりますねえ。可愛い作品です。


で、結局その次の年明けには家庭用ミシンから「職業用ミシン」にグレードアップしました。家庭用ミシンは、一ヶ月と少しで卒業となってしまいました。

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懐かしい・・・。

これで基本的な作りをようやく実践できた気がします。
試行錯誤も芯を食ってきたというかね。

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なんとなくそれっぽくなってきましたねえ。マスクボディの型も安定してきました。自分用にちゃんとアジャストして。

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いいですねえ。

で、そんなこんなで職業用ミシンを使い始めて4ヶ月くらいして、
「なんかそろそろちゃんとしたのを作ってみたいなあ。」と、思うようになりました。

で、豊嶋さんにお電話。

僕「あの・・・タイガーマスクの作り方を教えてくれませんか。」

豊「いいよー。家においで。」

そんなことで、直接彼にタイガーマスクの作り方を教えてもらってしまいました。つまり、弟子ということです。

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自分の手でこんなのを作れるようになると、幸せを感じました。
で、せっかくこんないいのを作れるようになったら、ミシンもええのを使わねばなあと思って、職業用ミシン使用半年で私は工業用ミシンへと移っていったわけです。

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ネクシオ。すごいミシンですね。コンピューター制御です。

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メイン機。古いJUKIです。すごい気に入ってます。

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立体物を立体のまま縫う用ミシンその1。
ポストミシン。めっちゃ良い。

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立体物を立体のままに縫う用ミシン、その2。
腕ミシン。横シリンダーとも言いますね。

そんな感じの4台を用途別に使いつつ今は覆面シンガーソングライターの顔を作っています。

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豊嶋師匠製のブラックタイガーと、私製のタイガー。玄関に飾ってます。

豊嶋師匠のタイガーは、他にない怖さがあります。
いろんな人が作りますがそこばかりは真似できない感性の部分ですね。
同じ型を使おうが何をしようが、結局当時あの時代に感性が爆発していた人の現在に後追いの人間が追いつくわけがないよなあ。と自分で作りながら思いますね。だからこそ、自分は自分の完成を爆発させていこうと、グッと力が籠るわけですね。

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オリジナルデザインたちです。

豊嶋氏風に言うと、「なんか熱く語っちゃってもう、お腹いっぱいだよう。」って感じなので、また更新します。グフフ。


岡本健太郎でした。

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