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『今日の仕事は楽しみですか』

そんな一文だけの広告が見事に炎上しましたね。
お金を得るために仕事をしている人も多い中で、なかなか秀逸な煽りだなって感心させられました。
まさに炎上商法のお手本と言えるでしょうね。

さて、仕事に限らず『楽しい』のような感情は、状況に対する本人の感じ方がすべてです。
たとえば逆境を楽しめる人と順調を楽しめる人では、同じ状況にあっても真逆の感じ方をしますよね。
まぁ、一般的にどちらの方が多いか、の議論は別ですけども。

ともあれ、心を痛めた方も多いかもしれませんが大丈夫ですよ。
誰もが仕事を楽しくこなしているわけではありません。
もしも皆が日々を楽しんで幸せであれば、自殺者数とか気にしませんからね。

なんて前置きもそこそこに。
タイトルにした通り『見えない仕事』のお話です。
この筆頭に上がるのは保守・点検でしょう。

新しい何かを華々しく立ち上げて注目を浴びることはまずありません。
ひたすら同じ状態を維持する業務であり、『問題を起こさないこと』を求め続けられます。
そしてそうした仕事は『起きない問題への対策』という矛盾をはらんでいるのです。

そしてこの矛盾により、クオリティを保ち続けるのは困難を極めます。
問題が起きさえしなければ、何もしなくても結果は変わりません。
そして結果が同じであれば、楽をしたいと思うのは人の性というものです。
現場での確認作業がおざなりになるのは、現実に即していないことも多いですが、こうした背景があるからです。

しかも困ったことに、完璧な業務をこなすほど、表面的には『何も起きない』がために軽んじられていきます。
ともすれば業務改革の大義名分を振りかざし、予算や人員削減の的にされてしまいます。
こうして人的・時間的・費用的に干上がり、本来必要なはずの業務すらできなくなっていくのは想像に難くありません。
実際に管理部門を削減して倒産した会社すら存在しますからね。
だというのに――何かが起きれば吊るし上げられる。
しかもこれらの『事実説明』をしても、周囲には『言い訳』と取られてしまう始末。
なかなか病む環境だと思いません?


また、それと同時にこれらの技術は生活・仕事をする上での『前提』なのです。
電気・ガス・水道のようなライフラインしかり、通信障害しかり、ATMなどの金融システムのダウンしかり。
どのようなものであれ、日常に組み込んでいる利用者には必要不可欠な機能……前提になります。

たとえるならパソコン業務をしている人が、飲み物をこぼして故障させてしまったなどいかがでしょうか。
新しいパソコンの手配やデータの移行など、復旧の目途を立てるのすら難しく、少なくとも数日は業務が止まることでしょう。
このように一度『前提』となった技術が綻べば、まさしく未曾有の危機が訪れます。
想像しただけで絶望感半端ないですよね。

ここで特に注意なのが、実はどんなことでも『同じことを繰り返すだけ』ではないことです。
何故なら技術は日々更新されているからです。
前よりも早く。前よりも正確に。前よりも高品質で。
要求は時間と共により過大になっていきます。

しかし現実には最新の機器やツールを毎日更新することなんてできませんよね。
つまり日々要求は上がっていくのに、使用できる機器やツールの品質は常に下がっていくことになります。
この時間と共に開いていく技術の差を、個人のスキルによって埋め、それによって生じる問題を解決し続けるのです。
これのどこが『現状維持』と言えるのでしょうか。

そうしてつつがなく運営を続けていても、いつかは限界が訪れます。
限界を迎える前にアップデートを準備していなければ、いつか耐えきれなくなり『いつもの日常』が崩壊します。
ここでようやく生活基盤ともいえる『前提』の大切さに気付くのです。

ここで最初の話題に戻ってみましょう。

『今日の仕事は楽しみですか』

何かを『始める』のは確かに華々しく、クリエイティブな仕事は楽しいでしょう。
実際もやしも、話を考えて文章を書くのは楽しいことです。
発信のプレッシャーや大変さも、気楽な中でも感じられます。

けれどそうして始めた後、いったい誰がそれを『維持』をするのでしょうか?

ほとんどの仕事はまったく新しいことではありません。
あくまで模倣や維持・拡大でしかなく、多くの人の仕事は保守・点検に近しいものです。
そして悲しいことに、こうした現状維持は失敗しないことを求められます。
逆に言えば、何か問題が起きれば減点されます。
かといって問題がなくて当然のため、加点されることも褒められることもありません。
しかも前述の通り『やらなくても結果が変わらない』のであれば、モチベーションを上げるのはさらに難しいですよね。

こうして改めて考えると、誰もが従事している仕事って結構大変なものなんですよ。
なのであの煽り文句は『ほとんど全員に当てはまるんじゃないかな』ってもやしは思うわけです。
あまりに的確で感心させられるほどにね。


さて、こうした人に見えないほどに根付いた仕事で、一定以上のクオリティを保つ難しさについて語ってみました。
こんなことを考えるのもやはり和歌山の水道橋の一件があったからです。
会見のたびに市長の説明が悪い方向に二転三転したのは記憶に新しいですよね。
最初の説明にあった震度七でも耐えられる補強工事っていったい何だったんでしょうね?

ともあれ、これらの問題点はやはり『軽んじられること』でしょう。
あまりに日常化しすぎて重要度がわからなくなるとは……皮肉ですよね。
費用も人も精神も削減されてクオリティを維持するなんて、対価を得る仕事であってもできませんからね。
今回の災害が『大変だったね』で終わらせず、根本的な見直しに動いてくれることを期待しています。


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