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炎上マーケティングなんて言葉も生まれるほど使い古された題材かもしれません。
けれど、もやし的に考えさせられる話だな、と感じたので少しばかり語っていきたいと思います。

最近だとDaiGoさんや宮迫さんのように、炎上した人を見る度に『失敗やスキャンダルが大好物な人たち』が居るんだなと気付かされます。
そしていつでも『誰かやらかさないか』と見張っていて、鬼の首を取ったように一斉にあげつらう。
話題にならなければ流されて終わりですが、困ったことに現代は何をするにも何処かに記録が残ってしまいます。
そうして知らぬ間に過去を積み上げ、どこかの未来で目立つ『やらかし』をしてしまう。
すると、これまで話題にならなかった『やらかした人』の何気ない記録が引きずり出されます。

それが当人の記録だけで済めば御の字です。
自分が行動した事実は覆しようがありませんから。
けれど炎上って、周囲を巻き込んで騒動に発展する、全方位参加型のショーなんですよ。
大して親しくもない人の勝手な感想や考察が溢れ返り、それをベースに存在しない事実の捏造が始まります。
しかも悪いのが、当人に捏造する気はないのに伝え手が未熟で誤解させたり、受け手が読み取れずに誤解したりして広がっていくわけです。
さらに広がるのはインパクトの強い話題ばかりで、そんなセンセーショナルな『無関係な記録』が、新たな閲覧者を呼んで広がっていくのです。
ここまで広がってしまえば、もはや何が本当の話がどれかを見極めるのは難しくなってしまう……恐ろしい話ですね。

さて、そんな炎上も、これまでは週刊誌やテレビが、個人のプライベートや不祥事を、誰の断りもなく勝手に晒して発生させてきました。
おっと……今も芸能人の不倫や熱愛報道が続いているので、もやしの判断で過去の話にしてはいけませんね。
けれど重要なのは、今まで考えられていた消費者・視聴者は、すでに『エンドユーザー』ではなくなっていることなのです。

さぁ、段々と言いたいことが伝わってきましたかね。
繰り返しになりますが、見知らぬ他人が勝手に『自分の評価』をしているのは今も昔も変わりません。
そしてこれまでは噂話や井戸端会議と言われるように、ごくごく狭い範囲で終息することが多かった。
けれど今は誰もが週刊誌やテレビと同じ『報道者』と同じだけの発信力を持ってしまっています。
そう、何かあれば誰もが自由に伝えられる環境が整っていて、当人の気付かない間に炎上していることさえあるのです。

誰にも迷惑を掛けず、ミスをしない人なんて存在しません。
要は誰にでもツッコミどころは存在して、単に顕在化していないだけなのです。
あくまでも『たまたま自分たちが目立っていないから』という理由だけで。
なのに炎上してる人を見て「あんなこと言うから炎上するんだよ」となんて言えばどうなるか。
そんな言葉さえ、何処かの誰かの記録や記憶に残っていて、貴方が『やらかした人』になったときに思い知らされるのです。

見知らぬ他人から「あんなこと言うから炎上するんだよ」って言われてね。

ね、少しは怖さが伝わったでしょうか。
こんな風に炎上を深堀すると純粋に『やっべぇ時代だ』って思いません?

そんな息苦しささえ感じる世界でも、現実はとてもシンプルです。
幸せになる基本的なルールは変わっていませんから。
それは自分が好きな人との関係を築き、よりよい時間や環境を共有できることのはず。
また、その幸せの範囲を広げていけるように生きることが重要なのです。
要は『楽しむ』ってことですね。

この『楽しく生きる』には人・モノ・コトの取捨選択が絶対で、ミニマリストの考えに通じるところもあります。
そして選ぶことは非常に時間が掛かり、面倒でつらいことなので後回しや濁してしまいがちになります。
また、自分が選んだ人・モノ・コトにはしっかりと時間・労力・資金を注がなくては意味がありません。
大事にするために『自分のスキ』を選んだわけですからね。

こんな風に『幸せになる・楽しく生きる』というのは、考えているよりも遥かに手が掛かります。
そして幸せを感じる人ほど、自分の気分を損なうような不協和音に鈍感になりがちです。
内容が何であれ、その人にはもっと重要なことがありますからね。

もちろん、注目されるという意味で、炎上やスキャンダルの暴露はとても重要です。
それが元で世間のルールや仕組みが変わるのならば意義はあるでしょう。
ですがメディアに踊らされて他人を叩くのに忙しい日々を過ごすのは、とてももったいないことだと思います。
人のアラを探すよりも、もっと自分が楽しいことに注目した方がきっと未来はきっと明るくなりますよ!


#もやしいため  #日常エッセイ #炎上騒動 #幸福論 #楽しみ

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