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実践、情報デトックス2

―前回のおさらい―

「最近よく聞くデトックスって言葉だけどさ」

「あぁ、解毒って意味だよね」

「そうそう、それそれ。実は情報デトックスってやつもあるらしくってさ」

「何でも付ければいいってもんじゃねーぞ!」

「誰に怒ってるのさ。
 でも実際の話、考えがまとまらなかったり疲れ目とかやばくない?」

「思い当たること結構あるかも?」

「他にも眉唾な話をし始めたり、性格が変わったりとか……」

「え゛、そんなヤバいことになるの?」

「絶対ではないけれど、ありえる原因の一つにはなりそう、って感じかな。話半分で聞いてみてよ」

――――――――
ということで、今回は解決編です。
でももやし的には前回のお話の方が完成度が高い気がするので、むしろそっちを読んで欲しいですね!

実践、情報デトックス

では早速、前回のたとえ話の引用です。

たとえば起きている間は蛇口(環境)から水(情報)が出ていて、バスタブ(自分)が受けて溜まった水を常に濾過(判断)して汲み上げています。
日中は水がバスタブに供給され、排水の形でアウトプットや忘却が行われるイメージですね。
そして睡眠と共に蛇口が閉まることで、バスタブに残っていた水もゆっくりと処理され、きれいさっぱり空っぽになります。
翌日、目が覚めると同時に蛇口が開き――とサイクルが繰り返えされています。
ちなみにバスタブからの汲み上げは、人によって量に差があり、しかも増減させられる特徴があります。
極力排水能力(アウトプット)が高い人物になりたいものですね。

といった感じで、単純にデトックスを考えるなら、この『汲み上げ管(判断・アウトプット)を取り替える』意味になります。
要は行動を変えよう、ってことですね。
しかし現在の等身大の自分とは違う行動を行うとは、成長・変化であり自己否定に等しい行為です。
実際に『自分を変えたい』って決意して行動までした人のどれだけが変われているかを想像すれば、その難しさがうかがい知れます。

また、何とかできたとして、汚染されたままのバスタブから水を汲み上げれば、すぐに汲み上げ管が悪化するのは目に見えています。
むしろ大きな苦痛を伴う自己否定を経てから、再度毒に染まるようなことになれば、周囲含めて諦めの境地に至りますよ。
ダイエットを断念してリバウンドを繰り返すなどがまさに典型例と言えますよね。
こんな話をすると、

――ならまずやるべきはバスタブの掃除だな!

と判断された方は多くいらっしゃるでしょう。
たしかに、汲み上げ管が壊れるのはバスタブの汚れのせいですからね。
汚れた水槽を掃除するように、汚水を捨てて器を洗って水を入れ直せば良いのです。
そうすれば綺麗な水に戻って汲み上げ管が壊れることもありません。

まったくもってのその通り。
バスタブ内の掃除となると、自分のあり方や考え方を問いただし、自身の価値観と向き合う自己改革のお話ですよね。
こうして書くと脳筋チックな『とにかく行動しようぜ』理論から、急にスピリチュアルな話になった気がします。

けれど残念、あと一歩足りません。
今回のお話は、水を循環させているような水槽と違います。
そう、人は他者と交わることで自分を定義している部分も多いので、殻に閉じこもって勝手に自己完結できないのです。
ゆえに給水(インプット)・排水(アウトプット)を呼吸の様に繰り返すので、イメージするなら海に流れる川の方です。
雨が降って、地面から染み出した水が寄り集まって川になり、大海へと流れ行く感じ。
そうなんです。溝掃除をどれだけ頑張っても、ドブ川から水を引くなら、すぐに悪臭が立つのと同じです。


ですのでこの話、実は――

情報の
デトックス× 汚染対策〇

が正しい表現だったりします。
タイトル詐欺って思わないでね。
でも実際に『解毒するからって毒を飲むってあほか?』って普通の発想ですからね。

ともあれ、この件に限らず、問題解決を考える際にまず最初に考えなくてはいけないのは『起こさないこと』です。
今回のたとえでは、元を断たなければ『汲み上げ管の交換』と『バスタブの掃除』が頻発します。
デトックスの意味だけを考えればこちらが正しいのですが、問題の根を断つことでこれらの負担を大幅に軽減できますからね。
つまり今回の場合はデトックスよりも前に、日々増え続ける情報に対処するのが先決になります。
その解決策は以下の三つが考えられます。

1:受動的な情報を断つ

自然に入ってくる情報は、選別されていないだけあって知らなくてもいいものも多くあります。
先ほどの川の例だと、未処理の工業廃水が混じってる時点で下流の水は飲めません。
こんな風に川であれば支流の話で済みますが、情報の場合は『知っているだけ』なので、気になる規模や範囲が広大になりすぎます。

たとえば何処かで飲酒運転により死傷者が出ました。
大変痛ましく、運転手には怒りを覚えます――が、実はあなたの生活には一切関わりありません。
もちろん関係者が被害に遭ったら別ですけどね。

ただし。この情報により『飲酒したら運転をしてはいけない』と心に刻むならとても意味があることです。
たびたび見聞きするのも、忘れないための復習だと考えれば効果は高くなります。
このように得た情報をもとに、何らかの行動(アウトプット)を起こすのであれば非常に有益な情報でしょう。

けれど、感情を揺らすだけの情報は、過剰供給の現状ではただの毒です。
感情にも容量があり、節約しなければすぐに溢れてしまいます。
ちょっとしたことで怒り出したり、凹んでしまったり。
当人の性格によって表現に違いが出ますが、外からの刺激がそのまま感情の起伏に反映されてしまいます。
こうなるとちょっと付き合いにくい人になりますよね。

さて、このカテゴリーの筆頭がテレビです。
百年とか前の情報が少ない環境では、様々なことを周知するにはとても意味のあったコンテンツでしょう。
けれど同時に、不特定多数に発信する方式のため、誰もが理解できる刺激の強い情報になります。
手っ取り早く今の流行りを知るには優秀でも、だからこそ同じ話題に偏り、しかも得られる情報は広く浅くに留まります。

し、か、も! 惹きつける力が異様に強い。
「テレビって最近面白くないよね」って言ってる人は逆に見慣れ過ぎなのでは? と疑いたくなるほど魅力的。
もやしもテレビを点けると延々と座って見てしまいます。
『家に帰ったらとりあえずつける人』も多いのではないでしょうか。

また、発信者特権で心証操作も行えてしまいます。
安易に信用しすぎるのも危険です。
まぁ、これはどのコンテンツにも言えることですけれどね。

ですので『情報が多すぎるな』と危機意識を持っている方は、とりあえずテレビから離れて様子見してみましょう。
びっくりするほど自分には必要のない情報だったと気付かされますよ。

2:能動的に情報を得る

今度は1の真逆で、知りたい情報を自ら探しに行くことです。
これは過剰かどうかを判断しなくて構いません。
自分が欲しい、必要な情報ですからね。

その際の注意は『情報源』と『意見』を複数持つことです。
たとえばテレビだけ。ネットニュースだけ。ブログだけ。口コミだけのように、一部に偏った情報源は非常に危険です。
発信者が持つ最大の特権は情報コントロールですからね。
特定の何かを盲信する危険性は語る必要ありませんよね?

また、情報源だけでなく内容についても多くの意見が必要です。
賛成・反対・中立など、一方的な見方だけでなく、別視点の考え方を得ることが大切です。

たとえば『レビューがいいから』とワクワクして食事に出かけたけど、殺意が沸くほど不味かった、なんて経験ありません?
食べ物に好みがあるように、情報も人それぞれです。
単純に『自分に合わない』だけで、楽しい・美味しいと感じる人も居るだけです。
この時、もしもその際に他の情報源を意見を取り入れていれば、『自分と同じ傾向のある人が楽しめているか』が分かったかもしれません。

また、そうして得た異なる意見の中には必ず共通点が存在します。
対立する意見の中でも共通するのですから、少なくともその部分は『正しいらしい』と判断できます。
また、差異が生まれる理由まで突っ込んで調べられれば、下す判断に説得力が生まれるでしょう。
ちなみにちっともなかった場合は、全員適当なことを言ってる可能性があるので気を付けてください。

では逆に。情報を取りにいかなければどうなるか。
話している間に内容に矛盾が混じり、追及すると支離滅裂になってしまいます。

たとえば『A=B、B=C、C=A』みたいに結局全部同じである、なんて話題で盛り上がっていたとします。
すると突然すべての関係性をぶった切るようなDの存在を提唱する人が現れます。
新しい見識なので、それ自体は問題ないのですが、残念ながら自ら口にしたDをきちんと説明できません。
つまり枕詞に『理由は知らんけど』とついているようなもので、この言葉が早々に出てくる人なんて信用できませんよね。

もやしの印象ですが、MLMなどの勧誘をする人の中に多い気がしますね。
販売員でもあるのに、仕組みや商品の説明ができないって致命傷ですよね。
やはり教育は大事ということでしょうか。

3:1と2を繰り返す

最後は永続的なお話です。
この二つを繰り返せば、膨大な情報の海から自分が欲しいモノを選び出せるようになります。
これらの何がいいか。
それはやみくもに『情報を浴びている』のはできても、『能力以上の情報を取りに行けない』ところなのです。

たとえば100しかない器で、200の情報を渡されたら100がこぼれてしまいます。
これが思考停止に陥っている状態で、前回詳しく解説しました。
よく説明できたと思うので、ぜひ読んでみてください。

では逆に、100しかない器で、情報を取りに行けば?
実際に自分がバケツから水を汲んでいる状況を想像してみるとどうでしょう?
どれだけ情報が膨大であっても、最大でも器の大きさ分しかすくい上げられません。
動かしたり傾けたりするので、むしろ汲み上げられるのは量は少し減ってるくらいではありませんか?

この差は単に受動的か能動的かだけ。
つまり行動の方向性が違うだけで上限が生まれるのです。
これを利用しない手はありません。

また、1で『テレビを見るな』とは言いましたが、絶対ではありません。
たとえばテレビクルーの方が全く見なくなるのは、市場調査の意味でただの怠慢でしょう。
こんな風に、必要なコンテンツやメディアは自分に合ったものを選択してくださいね。

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