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僕とお婆さんと傍観者の1分間

2022年1月25日16:00

平日の夕方、閑散とする大手スーパーに隣接されるカフェの駐車場で衝撃が走った。

駐車場には、道路整備をする警備員さん。買い物客。カフェの利用客。ざっと50人くらいだろうか。

その状況の中に、後ろドアを開けたまま、車を走らせるお婆さんの姿が現れる。確かに何十人がその姿を見た。

整備をする警備員さんの前を車がゆっくりのろのろと走る。「これでお婆さんの後ろのドアは閉まる。一安心だ」と思ったのも束の間。警備員は思いっきりスルー。仕事放棄もいいとこだ。

それでも大丈夫。自分のところに来るまでにまだ何人もの大人がいる。魂を悪魔にでも売ってもいない限り、流石に声をかけるだろう。

しかし、またしても自分の期待は裏切られる。誰一人として声をかけない。この社会はおかしい。どうして、誰もお婆さんに声を掛けてあげないのか。

ついには自分の前に車がやってきた。何十人といる大人の中を掻い潜ってきた車に自分だけが声をかける。

お婆さんは言う。「変な音がしてたんだよ。あなたに声を掛けてもらえなかったら事故してたかもね。助けてくれたお礼をさせて」と。

”お礼をさせて” 普段なら有り難く嬉しい話だ。でもずっと違和感が残る。扉が開いている人に「開いてますよ」とただ伝えただけにすぎない。

多くの人を見て思った。「この社会はおかしい」「誰もが他人任せ」であると。その人たちの真意は自分には分からない。しかし、確かに自分の中で社会に対する憤りを超えた悲しさを覚えた。

「誰かがするだろう」から「自分が何かをしてあげよう」へと意識を変える必要がある。

誰もが社会の当事者になれる。誰もが傍観者では決して世界は変わらない。いつの時代も”深い愛と高い志”そして”決断と実行”によって社会は変革してきた。自分がされて嬉しいことを他の人にも施す。自分も他人も大切にする。少しの変化で社会は大きく変わる。

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