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9.次が見えた最後の大会

爆裂に暇なときに遡って見てください


部活になるべく出るようになった僕だったが、正直有意義な時間だったとは言い難いもの。
ただ強いて言うならはたぴーが嬉しそうなのと他の一年生が話しかけてくれることで「先輩」という意識が強くなったのは間違いない。

そのほかの大会がない僕にとって今自分がどのくらい出来るのか、自分より強い人はどのくらいいるのか、そう言う自分を確かめる場がないというのは試合を控える側としてとても不安だという事が分かった。

合同練習

そんな中1回だけ合同練習が組まれた。別ブロックの上手な子と試合ができるチャンス。噂には3年生、つまり僕と同じ学年にここら辺ではトップクラスに強い子がいると噂だった。

実は今回の学校は1年生の時に1回合同練習したことのある学校だったが、同学年にそこまで強い子がいた記憶はない。もしその子に勝てなかったら、そんな事を考えると少しだけ置いて行かれているような気がした。

その練習は1~6コートで打てる順に1コートから入っていく。
試合で決めるわけではないので各顧問の申告制で入るコートが割り振られていくスタイルだ。

主に男子の3年生が1コート、女子の3年生が2コートという風に入っていくが、僕はもちろん打てる下級生が入る3コートに割り振られたので噂の子のプレーを見る事が出来ないし、しかも最後にコート別で試合をしておしまいになるので最後まで一緒に打つことは出来ない。

1コートには見覚えのある子がちらほら。3コートの子には上級生だから気を遣わせてしまい申し訳ないの半分、ここにいるからってちょっと舐めてない?という態度されイライラ半分。

どうにか1コートに行く方法はないか熟考した結果、「向こうの顧問の先生が近くに居る時いいプレーをする」というものだった。これなら「君良いね!1コート行っちゃいなよ!」となる事間違いなしだ。早くこっちに来てくれ。

甘かった。忘れてた。うちの顧問が男子の球出しが出来ないことを。
向こうの顧問は1コート専任の球出しをしているじゃないか。こっち来るわけない。僕は再び熟考した。練習なんかそっちのけで。


先生がコートに入っていなくて、こっちを見れるチャンスは無いか……

試合だ!!


コート別の試合の時間になれば先生たちは座って話しながら試合を見る、その時にこのコートで無双していれば嫌でも目に留まるはずだ!!!

これが僕の最終手段。

そうと決まれば練習を誰よりもしっかりやった。体を温めなくてはいけないからね。
ついに試合の時間。みんなには申し訳なかったがガチガチにやった。それはもう大人げないくらいに。

さっきまで少し舐めているような態度をしていた子にはなんでそんな打てるのにここにいるんですかと言われるくらいに。

僕のやれることはやった、先生もこっちを見ながらうちの顧問に何か聞いている、これはそろそろ呼ばれるぞ。

一通り試合が終わり集合がかかり


練習が終わった。

最悪だ、噂の子とできなかったのもそうだが、何より下級生をただボコボコにしたイキった奴だと思われたに違いない。
片付けに入る前に1コートの子が声をかけてくれた

「おかか君だよね!覚えてる?試合も出てないから辞めちゃったのかと思ったよ!なんでコート違ったの?ちょっと待ってて」

その子は顧問と話しシャトルを持ってきた。
「一緒に打ってもらえる?よかったらゲームやろ!」
神様ありがとう。僕は大切な物を失わずに済みました。

その後その子と試合をしたが噂の子が彼なのはすぐにわかった。一年生のころお世辞にも上手いとは言えなかった彼がこんなにも打てるようになっている、たくさんの時間を無駄にしてしまったのは間違いない。
それでもその試合に勝てた僕がやってきたことは間違いじゃなかったんだという自信にもなった。


最後の市内大会

大会前最後の対外試合が一年生の時にも出た市内大会だった。
対抗戦みたいな雰囲気は変わっていないが最上級生で完全アウェイの中優勝が大前提と言うのはとんでもないプレッシャーだった。一年ぶりに会う同級生たちには僕が部活に行っていないことも知れ渡っていたみたいで、練習してないんだろと煽られた分勝ち上がるのは非常に爽快だった。

準決が向こうの1番手、決勝は順当にいけば2番手という予定。
1番手とはいえ先日の子の方がよっぽど上手いので正直負けるわけなんてない。

無事に決勝も勝ち優勝することができたのだが、大会後1番手、2番手の子がもう一回お願いしますと暗い顔で改まってお願いしてきた。もう一度二人と試合をやり、もう一度勝つとばつの悪そうな顔でコーチの方へと行く。

「なんで練習もしてない奴に何回も負けるんだよ!」

大人の本気の怒鳴り声が体育館中に響いた。続けて女子に向かって

「〇〇!おかか君にやってもらえ!」

小学生からやっているとても上手な女子が指名された。やってもらえとは言っているが勝ってこいと言わんばかりの剣幕で指示を出している。上手とは言え3年生にもなってくると男女では体格に大きな差が出てくる時期でもありこの試合も危なげなく勝てた。

その子がコーチのとこに戻り3分くらいで戻ってきた。
もう1ゲームお願いしますと言う彼女は泣いていた。胸がとても苦しくなった。

この学校は昔から強いことで有名だがほんとにそれだけでいいのだろうか、この子たちはきっと楽しくてバドをやっていない気がする。コーチに怒られないようにしながらバドをやっているのではないか、まるで昔の自分を見ているような気分になった。

強くなれればそれでいいのか
もし僕がこの学校に入学していたら強くなっていたのか
上手かったらバドが嫌いでいいのか

僕はきっとこの学校に居たら部活はもとよりバドミントンが嫌いになっていたと思う。
大好きなサッカーが嫌いになったように、自分でやるものではないという判断をしてしまったと思う。
この時、僕に合った環境、合った練習があるという事を考えた。この自分の考えというものが後の進路を決めるのに一番の決め手になっていく。

最後の大会

最初の約束通り外部での練習がある日以外はちゃんと部活に出たので晴れてログインボーナス「試合出場権」を獲得した。

確かブロックでベスト4に入ると次週他のベスト4と合同の8人トーナメントになり、そこで6位以内に入るとまた次週試合があり、なんやかんや最後まで行くと都大会に出れるというシステムだった気がする。

僕はシングルスのみ出場。

先輩がいない状態で大会に行くのは初めてで右も左もわからない僕。
ご察しのとおり顧問は別会場の女子の引率にいるためその場にいるのは不安な僕と笑顔のはたぴーだけ。

市内大会でやる中学(以下1中)の部員たちが助けてくれて何とか大会に受付することができたが、開会式で試合の審判は前の試合の敗者が部内から3名出してくださいとの説明があり大ピンチ。

部内も何も応援なんていないし、選手が2名(内1名は主審は出来ません(笑))負けたら審判の人数が足りないじゃないか。いろんな意味で負けられない、僕の最後の大会が始まった。


大会初日、シード権が無い僕が来週に行くためには4試合を勝ち抜かなくてはならない状況で、2回戦が中シード、順当にいけば4回戦目が強豪校の選手と試合をすることとなる。

1回戦目を勝ち上がり中シードとの試合は意外とあっさりと勝つことができ、3回戦目も勝ち抜きついに4回戦目まで来ることができた。

4回戦目ともなると残っている学校自体も少なく、勝ち残った選手たちは顔見知りが多いため学校関係なく応援している場面も少なくない。相手は強豪校で部員も多い、かなりアウェイな空気になることは覚悟していた。

しかし試合が始まると向こうの応援は1年生が数人しかおらず、向こうの他の選手は違う試合をみんなで見ていた。これは明らかに、「名前も聞いたことない奴に負けるわけないから違う試合見てよ」という挑発だ

こんな状況燃えないわけもなくあっという間に1セットを取った。プレッシャーに弱い僕からすれば相手の応援が少ないなんてこんなありがたい状況は無い、しかも相手は強いは強いが勝てない相手ではないし、勢いそのままに2セット目も取ってやる!と思った矢先、2セット目は応援が増えた。

さっきまで見ていた選手がこっちに来たとかのレベルではなく、どこにこんなにいたのというほどの人数にコートを囲まれた。経験したことのないアウェイ感にのまれた僕はあっさり2セット目を取られてしまった。

このままではやばいというのは分かっていたがこの状況は変えることはできない、しかもファイナルに入ってしまったことでその日最後の試合になり体育館にいる全員が僕たちの試合を見ていた。

頭が真っ白になった、ブロックで有名な選手と名前も何も聞いたことのない選手の試合、嫌でも全員が敵に見える中プレーになんて集中できなかった。

11点を先に取られチェンジコートする際、僕のもとに1中の子たちが駆け寄ってきてくれた。
アドバイスではなく僕を励ましてくれるだけだったが、それが僕には一番必要なものだったのかもしれない。

彼らは自分たちの試合が終わっても僕のために残り、応援してくれていた。しかし敵の応援にばかり気が行っていた僕はみんなが応援してくれていることにさえ気づかなかったのだ。

彼らは試合が始まるとコートサイドと僕の目線に入る相手コート側に散って応援をしてくれた。
そこからは彼らしか目に入らない、ミスっても声をかけてくれる、得点すれば喜んでくれる、僕はあの試合彼らがいなかったら負けていたと思う。

静かになる会場で1か所だけ盛り上がる小さな輪。その中心にいれたのは僕一人の力ではない。

その次の週は初戦をファイナルで負け、その後高熱が出てよく覚えていないが

結果的に僕は都大会に行くことができなかった。

そのまま部活を引退し、顧問と仲が悪かったためになんやかんやで推薦の話もなくなり
またしてもバドミントンが盛んではない学校に入学することになる。

今考えても一番バドミントンが辛かった中学時代。それでも高校で競技を続けようと思えたのは
あの日みんなに応援してもらえて、大きな壁を乗り越えたられたから
あれをもっと大きな熱量で感じられるもの

「団体戦」がやってみたくなったから。

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