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4.バドミントンを始めたきっかけはサッカー ~団体競技が嫌いになったから~

バドミントンとサッカー

4人家族の末っ子、10歳上の従姉妹が近くに住んでいた
ほぼ4人姉弟の末っ子の僕。とにかく甘えん坊だったと思う。

母親は地元で家庭婦人のバドミントンチームに入っていて、夜はこれまた地元で年齢性別問わない練習に参加していた。

生粋のお母さんっ子だった僕は何をしてるとか関係なくただただそれについて回った。

でも僕は何故かサッカーが大好きだった。ボールがあればボールで遊ぶ、でも無いからシャトルを積んだり、ラケットの上にたくさんシャトルを乗せて運んだりして遊んでいた。

これがたぶん僕が初めて「バドミントン」に触れた時だ。

バドミントンをやるつもりはなかったけど、一人端の方でぽこぽこ打ってるとすごく褒めて貰えて、それが嬉しかったからずっとついて行っていた。

幼稚園に入り、園のサッカー教室に行くようになった
ただただお友達とボールを蹴ってただけっていう記憶しかないが最高に楽しかったしワクワクしていた。

この時はバドミントンよりサッカーが好きだったとかではなく、バドミントンには当たり前に行く+サッカーを新しく始めた。と言った感じで、ある種バドミントンについて行くことは生活の一部になっていた。
結果的にサッカーをやっていた5年間ずっとバドミントンにもついて行っていた。



大好きなサッカー

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小学生になり、一緒にサッカーしていた子たちはほとんど違う学校にいってしまい、サッカーをやりたい気持ちよりも人見知りが勝ってしまい学校のクラブチームにはなかなか入ろうとは思えなかった。

二年生のある日、同じマンションの仲のいい子が遊びに来るなり
「アイス貰えるとこ行こう!!」と誘ってくれて喜んでついて行った。
ついたのは学校、そこでは友達やまだ話したことない子たちがサッカーを教えてもらっていた。

大人の人にアイスを貰って
「僕もサッカーしていいですか?」と勇気を振り絞って聞いてみた。
知らないおばさんが知らないおばさんにコソコソ。知らないおばさんが知らないおじさんにコソコソ。知らないおじさんが「もちろんいいよ」と言ってくれたのでみんなとサッカーをした。小学校のチームの練習だなんてしらなかった。でもそのおかげで友達も増え、晴れて小学校のチームに入れた。

今までただボールを蹴って走ることしかしていなかったが、初めて技術を学んだ。サッカーが上手なお友達を初めて見た。苦手な技、得意な技があることを知れた。自分が上手じゃないというのも初めて体感したがそんなのどうでもよかった。それ以上にサッカーをやるのが好きだったから。



陰り

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試合があるって事で希望の背番号を聞かれたとき、10番か7番が良かったけどもう埋まってしまっていた。でもまだ空いていた10番と7番を足した「17」という数字がとてもかっこよくて僕はその番号を貰った。すごく嬉しくて、着る日を楽しみにしていた。サッカーをする日がとっても楽しかった、この時は。

初めての試合。大好きな17を背負ってみんながやってるのをベンチから見ていた。早くサッカーしたいという気持ちの後ろに今までにない感情が芽生えた。
それはコーチや監督がいつもより厳しく言葉遣いが荒いのもそうだが、何より中でやってる「お友達」が普段と違ったから。いい言い方をすれば真剣、悪い言い方をすれば勝つためにやらされている、そういう風に僕には見えた。

いつもとの違いに多少の戸惑いもあったが、それでもまだサッカーをやりたい気持ちの方が大きかった。
しかし、初めて試合に出たときにこの心の引っ掛かりが気のせいじゃないことが分かった。



団体競技がが嫌いになった

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初めて試合に出ることができた日。
何かの大会という訳でもなく、自分で言うのも悲しいが僕が途中で出ても良いくらいのレベルの試合だった。
交代で入った僕は始めて競技としてのサッカーというものをやった。守備でマークにつかないといけないし攻撃ならマークを剥がさないといけない、どこに味方がいるのか常に気を張っていないといけない。今ならわかるが何もかもが初めての僕にはあまりにも難しすぎた。

僕のマークするべき選手にパスが入り、相手にパスが繋がった。ただのなんてことないプレー。
すると後ろから
「何やってんだよ!ちゃんとやれよ!パス出さすなって!」
怒鳴り声が聞こえた。
振り返ると普段仲良く話している「お友達」が僕に怒っていた。

最初は何でそんなに怒っているのか全く分からなかったからあまり気にも留めなかったが、注意深く周りの音を聞くと、あちらこちらで強い言葉が飛び交っていた。しかも友達同士で。

その時にここにいるのは友達でも何でもないただの同じ色のユニフォームを着ている人たちだと理解した。
言うまでもなく見せ場もなければ、ダメなとこばかりで初試合は終わった。
試合自体には勝ったが試合が終われば監督コーチから、ここがダメだった、これが良くなかった、もっとできたはずだとみんな怒られた。
なんで勝ったのにこんなに怒っているんだろう。あんなに楽しみだった試合が全然楽しくない物だと思った。

そこから学年も上がり、試合にも出ることがあったが試合中思う事は、勝つことや試合のことではなくチームメイトに怒鳴られたくないからミスしたくないという気持ちになっていた。

試合に勝てば~君のおかげ。負けたらあいつのせい。
この時感じていたものはもう少しひどいもの
試合に勝てば(上手な)~君のおかげ。負けたら(下手な)あいつのせい。

試合終わりにいつも試合に出る僕の友達たちが、失点に絡んだ普段ベンチの僕の友達を責めて泣かせてしまっていた。
サッカーが楽しくて、好きでやってるはずなのに。自分よりできない奴、下手な奴を責めるのに何の抵抗もない友達たちを信じたくなかったし見たくなかった。

「俺があそこで決めなかったから悪い」なんて言う子もいない。
口を衝いて出るのは「あそこであれしたお前が悪い」「お前がついてたのに」
いつだってそういう時は負けたことの責任を弱い誰かに押し付けてるだけだった。
現に上手な子がミスしても誰もなんも言わない。


サッカーが全く楽しくなかった。まずチームというものが嫌いになった。



大好きだったものが大嫌いなものに

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ある試合終わりに他チームとちょっとしたミニゲーム(普段より小さなコートで少人数での試合形式練習)をやることになった。
今回は普段やらないポジションをやろうということで、全員が普段と違うポジションでやるという言わばちょっとした遊びのゲームだった。

何試合目かに僕はキーパーに選ばれた。初めてのキーパーで少し怖かったけど僕の前にいるセンターバック(CB)の子は普段からの仲良しで、本番の試合もCBでスタメンに入るような子だったから安心していた部分があった。

相手は年上ばかりのチームで開始5分くらいでとんでもない速さのシュートを決められた。
ごめんと僕が言うより先にCBの子が「動けよ!止める気あるのかよ!」と怒鳴った。
言い返すこともできずにただただ謝った。

その後15分の間にたくさん決められた。最後の一点決められ、また怒鳴られたと時に
「かぶってて見えなかったんだよ」と初めて言い返した。
「じゃあ見えないとかなんとか言えよ!」と怒鳴り返された。普段とても優しい彼がこんなになるなんて僕はもうこれ以上サッカーはやりたくないと心から思った。楽しんでサッカーを出来ていたことが嘘みたいにとても辛かった。


大好きだったサッカーが嫌いになった。



バドミントンを始めた日

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それからは練習に行かない理由を探した。あそこにいるチームと言うものも、あそこでやるサッカーもたまらなく嫌いだったからどうしても練習に行きたくなかった。

サッカーの練習がある日にお母さんが行っていたバドミントンの練習に初めてついて行くことにした。
そこには話したことがあるおばさんがいたり、見たことない大人の人がたくさんいて、みんなが変わりばんこに僕と遊んでくれた。

空いたコートで一緒に打ってくれたり、バスケをしたり、時にはサッカーもやってくれた。
バスケもサッカーも楽しかったけど、小さいころからずっと触れてきたバドミントンが少しづつ出来るようになっているのが楽しかったし感動した。いつかは僕と遊んでくれている人たちとちゃんとバドミントンがしたいと思うようになっていた。

本気でバドミントンをやりたいと思うようになったのは
初めて競技として見てみたバドミントンが「個人競技」だという事に気づいた時だった。


コートに居るのは自分と相手だけ
先に21点2セット取ったほうが勝ち
どんだけミスしたって最後に相手より一回でも多くシャトルを返せばいい


今のが取れなかったのは誰のせい?自分のせい
この試合勝てたのは誰のおかげ?自分のおかげ


僕がやるべきスポーツはこれだと思った


毎週ここに来たいと思ったがここに来るにはサッカーの練習を休む必要がある。色々言い訳を考えたがすごくシンプルに思ったことをお母さんに伝えた。

「バドミントンが上手くなりたいから、ちゃんとバドミントンがやりたい」

お母さんはサッカーの事は何一つ聞かずに快く了解してくれた。
お友達のことがあるからとサッカーはやめなくていいとまで言ってくれた。

今だからわかるが、行きもしないサッカークラブだってタダじゃないし、お母さん同士のつながりでの面倒くさい事もある中でこの判断は僕のことを第一に考えてくれた選択だったんだと思う。


そのおかげで僕はバドミントンをやることができた。
これが僕がバドミントンを始めた日。

きっかけはサッカーが、団体競技が、嫌いになったから。


小学校を卒業して、隣にある中学へと進学した。
当時の友達たちは全員サッカー部にはいるかクラブチームに行くか、みんなが悩みそれぞれの選択をする中僕はこのタイミングでサッカーを完全にやめた。

バドミントン部に入り一生懸命頑張ろう、試合にでてたくさん勝つんだ、そう思っていた。

しかし、サッカーで抱えていた悩みとはまた違う、辛いことが待っていた。



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