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6.「じゃあスマッシュ打つまえぐらい相手の位置確認したらどうですか」

「じゃあスマッシュ打つまえぐらい相手の位置確認したらどうですか」

僕が部長に対して言った言葉。今思うとなかなかパンチの効いた良いフレーズだ。

案の定、僕への風当たりはどんどん強くなっていった。だがもう何にも気を遣わないと決めた僕にはどうという事ない。

3コートに入れられたって球出しが出来るから超ラッキー、みんなが他でワイワイしててもその間にサーブ練習すればいいんだから超ラッキー、しかも男子のダブルのゲーム練習でたまに1コートに入ったら3年生に思いっきり打ち込める。

俺に当たるのは良いけどその分俺はあなた達を先輩とも思わない。
この中でダントツに上手くなってやる。

僕は目を付けられたという反動で良くも悪くも異常なほど自分に固執するようになってしまっていた。


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決定的な出来事

男子のダブル練習をするという事で僕は1コートに呼ばれた。
ノックとパターン練習をやることになった。

最初はノックから。
ノックと言うのは野球のノックと大体一緒で、決められた球数か決められた時間で出される球にとにかく食らいつくもの。特に出し方のルールはないのでノッカーの裁量できつくもゆるくもなる。

分かってはいたが明らかに僕に来る球はきつかった。きついというよりは無茶な球ばかり。
ノックと言うよりただただ何も考えずに球を僕から遠い所に出してくるだけだったので、正直練習になっている気はしなかったが、僕が動かないと組んでいる先輩に迷惑が掛かるので全部追いかけた。

次にパターン練習。
パターン練習と言うのはどこに出すのか、その球をどこに打つのかが決められた練習の事。
例えば、後ろでスマッシュを2本打つ、その後低いハーフ球(真ん中くらいに落ちる球)をドライブ(シャトルと床が平行になるように打つ早い球)で返しながら前に詰める、次の球をプッシュで決める。
といった、次の動きを考えながら行う練習の事。出すコースも打つ球も決まっているので、ノッカーの球出しの質がそのまま練習の質につながる。

これもまた明らかに僕に来る球のタイミングが早かった。
かなりきつい体勢で入ることが多く自分が想定するコースよりもかなり内側に入ってしまったり、かなりサイドラインからアウトしてしまう球もあった。

ノック、パターン練習が終わった後、僕たちの球出しをしていた部長に
「遅すぎる。男子ならあれくらい余裕で入らないと」や「コースが悪い。内側に入ってるし、いくら早いの打ててもあんなにアウトしてるんじゃ打たない方がいい」というのを今まさに無茶な球を出してきた張本人に言われたことでかなりイラついてしまっていたがこの時はまだ抑えられていた。

しかし最後に笑いながら捨て台詞のようにに言われた言葉。
「ラケットを上げながら入らないと。そのフォーム変えないとうまくならないよ。」
この言葉だけがどうしても許せなかった。

小さい頃からついて行っていた練習で上手な大人の方に教えてもらい、すごく綺麗なフォームを作ってもらってきた。
だからこそ、その一言は僕を教えてくれている人を馬鹿にされたのと同じだった。

我慢できずに僕は先輩の背中に言った。

「じゃあもう少しまともな球あげてもらっていいですか、コース狙えるような球じゃなかったんで」

続けて言う

「僕に入らないなら打つなって言いますけど球出し悪すぎるんですよね。きつくすればいいって思ってます?」

「こっちはある程度打てる球だしてるんで、部長はじゃあスマッシュ打つまえぐらい相手の位置確認したらどうですか」


その場の雰囲気が凍ったのを今でも覚えてる。

その後は大変だった。何を言われたのかも覚えていないが、激怒している部長や一緒になって怒っている他の取り巻き達、この一言が決定的になり完全に僕は部内の「邪魔者」に認定された。


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周り

当たり前だが先輩たち(部長一派)からは今まで以上に厳しい当たり方をされ、もうほぼ練習なんてできないくらいのメニューしか言い渡されなかった。

凄いこと言ったねとエンドウ先輩は笑っていたが、他の人たちがこんな風に接してくるわけもない。
今回の一件には全く関係ない他の一年生まで距離を取っている気がした。今考えれば絶対的な先輩の敵は自分たちも敵として見ないと、後々の事が色々めんどくさかったのだろう。

この頃から、部活以外でも明らかに周りの態度が一歩引いている感覚や、部活じゃない時間に先輩たちからの嫌がらせ純度100%の雑務などが目立ってきた。

流石にこのまま部活に出ても、ただ走って、ただシャトル拾って、ただフットワークやっての日が続いていくのだろと感じ、思い切って部活を休んでみた。

部長に報告に行かなくてはいけないのが嫌だったが、いざ予定があるので休みますと伝えるとあからさまに明るく振舞われた。

男子の先輩にはちょっと長いこと休むかもしれませんと伝えると、それが良いと思うと僕を心配し、また落ち着いたら連絡入れると言ってくれた。

僕には同級生の男子がいなかったから、一緒に頑張るとか,あの子の為にも行かないと、と言うような感覚は一切なく、休むことに一切抵抗もなかった。

この時一緒にやろうと声をかけてくれる友達が部内に居たら、気にすんなと一言声をかけてくれる友達がいたら。「へっちゃらだ」と思っていたことが、その環境から離れた途端に「辛かった」と思うようになってしまった。

僕の味方をしてくれている先輩もいたし、もちろん心強かった。
それでも一度緊張の糸が切れた僕に部活に出るという選択肢は無かった。

こうして僕は完全な幽霊部員になった。

バドミントンを辞めた訳ではなく、いつもの大人の練習について行き、暇な人に教えてもらう。

それが僕の普段の練習になり、部活なんかいかなくていいやと思うようになってしまった。

学校ですれ違う部員とは話もしなくなり、先輩たちも目も合わさないくらいに関係は悪くなる一方だったが
そんな中でもエンドウ先輩だけは
「部活来なくても、バドミントン続けられてるならよかった」
そう声をかけてくれていた。

変な話だが今思うと、こんなにも胸熱キュンキュン青春ストーリーみたいな完璧な先輩がいて、なぜ僕は先輩を好きにならなかったのだろう。容姿も綺麗なのに。僕の一番の過ちなんじゃないかとさえ思う。
好きになるなんておこがましい?抜かせヘタレ小僧が。そう言ってやりたい24歳の秋です。


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引退

気が付くと三年生は引退の時期を迎えていた。
天敵ともいえる部長たちがいなくなる安堵より、エンドウ先輩がいなくなるのが寂しかった。

先輩が来る最後の練習。きっとお別れ会的なことをやったのだろう。
最後にお礼を言いたい気持ちはあったが気が重い。

部活に行っていない自分が最後だけ行くのも変な話だと、結局、先輩最後の部活には行けなかった。
最後まで直接「ありがとうございます」の一言が言えなかった。

一番の理解者がいなくなった部活にはとうとう行く意味もなく、その頃には部活を休んでいるという感覚も薄れていた。
行かないのが当たり前、でもなぜか部活を辞めるという選択だけは絶対にしたくなかった。

逃げたと思われたくないとか、試合に出れなくなるからとかではなく、部活とはいえバドミントンを辞めることになるような気がして嫌だった。

僕にとって大きな障害がいなくなった部活に戻れる気持ちより
大きな目標で心の支えになっていた先輩がいない場所に戻る意味がわからなくなった。

あの人がいないならとうとうあの部活で「バドミントン」はできない
ただの仲良しクラブにわざわざ邪魔者が行く理由も無いし、行くつもりもない。

結局僕は1年生の夏から部活に行くことをやめた、
もう部活に行くこともないだろうと思った。


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